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絵本『むぎひとつぶ』と迷い道の朝

今朝は無用になぜか、緑の景色が見たくて
朝、小さな道をひょいと入ったら
旺盛な緑の稲穂に出会えたのだが、道に迷ってしまった。
ふと腰を下ろして息を吸いながら思い出した
絵本『むぎひとつぶ』と
その寓話の中でテーマにある
罪を犯すと追放される先の世界とは何だろうという話。





朝のバリ島の喧騒と寄り道

私は、現在バリ島に住んでいるのだが、
人口が多く、発達する途上のアジアの朝は
バイクの排気ガスと喧噪に満ちている。
ここのところ、
ふわりとあらぬところに上昇してしまう意識の世界と
この喧噪のはざま、ふと深呼吸をしたくなって
息子を学校に送った帰り道、
あてずっぽうに小さな路地を曲がってみた。

でこぼこの、曲がりくねった埃っぽい道の行き詰まりに、
青稲の田んぼがポッツリとあった。
もっと大きく広がる悠々とした緑の広がりを期待していたのだが、
しょうがない。

日本でいうと愛知県ほどの大きさの島に442万人が暮らす島。
南国の楽園というイメージからすると
今は、ぐっと開発が進み、昔は一面に広がっていたはずの水田も
私の住む南部では、虫食い状態のように残っている感じだ。

それでもと、気を取り直してバイクを降りて
あおあおした緑の稲穂に近づいてみる。

いいじゃない~!きれいじゃないのよ~。
ふと、昔からこの時期の水田の ”緑フェチ♪” 
だったことを思い出し笑えてくる。
最初に就職した会社の仕事の帰り
田舎の広がる緑の稲田の景色に一人興奮したっけ。。。。

こちらは、ちょっと稲穂さんがポーズをとったような感じね。
『どお!?』みたいにね。

そんなあらぬ妄想を抱きながら、
辺りにただよう緑の稲穂の空気というか、精をふうっと吸い込んでみる。

『はあ~』っと体が緩んで、
青い稲穂の上に、漂うような気分が伝わってくる。
ちなみに、これ、金色に実った稲穂だとこういう感じではないの。
この時期の、これから『実ります!』っていう緑の稲にある
水田の上に広がる空気というか、
エネルギーというか、
植物の精(スピリット)なのかもしれない。
私は、この独特の雰囲気が、得たいがしれぬほど好きなのだ。
ここまで来ると完全フェチですね。いやはや。

こんなことを緑の稲を見ながらぼーっと考えていると
後ろの木でたくさんの蝉が鳴いている声が
近く感じられるようになり、
空に浮かぶ雲がしっかりと動いているのが
よくわかるようになる。
こんなにも綺麗な存在が、
果てしなくいつもあるのに、
私たちは、
まるで目隠しをして生きているような生活をしているなと
ふと思う。


絵本『むぎひとつぶ』の世界と現代
朝の迷い道で、ふとこんな緑の精のエネルギーを吸い込んで
一人悦に入っていると、
似たような場面を思い出した。

さねとうあきら作の絵本『むぎひとつぶ』の一場面だ。
1974年初版で、もう今は絶版となり、ここ何年も探しているが
手に入らない。

むぎひとつぶの世界では、
地上の世界は、廃棄物で汚染されてしまい
ただ一つ生き残った国のアマング共和国では
地下に作られたコンピューターに管理された
人工的な環境の中で人々はひっそり生きている。
この国で最も大きな罪は、
”空気を消費しすぎること”、 
つまり、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むことが禁止されている。
この国で権威をもって尊敬されている裁判官も
実は、秘密を抱えている。
自宅で麦を栽培しているのだ。
そして、
その麦を見ながら息を胸いっぱいに吸い込んだ裁判官も
恐怖の地上送り!として
地底の国を追放になるのだ。
(手元に絵本がないので、素敵な絵が載せられませんが、こちらの本屋さんのリンクから見ることができますよ!)

地上が汚染されて人が生きていけなくなる世界!?
これって、2019年の現代の世の中そのものなのじゃないの?

この本を最初に読んだ当時、
15年以上まえ、この絵本の中で人々が恐れる
『追放された先の世界』というのを
私は、宗教の定義する 『地獄』のような世界に置き換えて考えていた。
当時、
『人の生きた後の世界は、何があるのだろう?』
『私たちが、おそれをもって生きている世界=死後の世界って何なのだろう?』と思っていたからだ。


追放された先の世界は、実は楽園だった
この絵本『むぎひとつぶ』では、
自宅で麦を栽培した裁判官と
大きく息を吸ったとして罪に問われた子供が
汚染された”地上送りの刑”を言い渡される。
そして、地下の国から果てしもない階段を通って
追放された後に見たものは、
実は、楽園だったという話だったと記憶している。


禁じられたものの先にあるもの
『むぎひとつぶ』は絵本として書かれたものなのだが、
今から、
45年ほど前に世に出た意味を考えさせられる。
当時日本は、高度経済成長の真っただ中。
『時は金なり』経済的に成長することこそが
世の中の圧倒的な価値観として人々が傾倒した時代。
その時に、さねとうあきら氏は
子供向けに 
”胸いっぱいに息をすることが
罰せられる時代が来るかもしれない”とこの本を作ったのだ。

では、
”胸いっぱいに息をすること”の意味することは何だろう?

深呼吸をすること。
自分をリセットして自分の中心につながること。
頭が人生のかじ取りをしようと急ぐときに、
身体感覚に自分をもどすこと。
そして、この地上で生きるほかの生き物とつながること。
風の音を感じ取ること。
季節の移ろいを肌で感じること。
大地にグラウンディングすること。

恐ろしく正確に、
現代という時代に生きる子供たちが。
いや、自分を含めて、ほとんどすべての人が
失っているものかもしれない。

本当にコンピュータに管理されて
地下に暮らす時代が来る前に、
あらゆる自然の美しさを見つけたら、
深呼吸をして、つながろうではないか!自分自身と。
精いっぱい美しく今に命の姿を見せている植物や生き物と。
そして”追放”と恐れさせられている世界へと
自分で飛んでいこうではないか!

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