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ターニングポイント1.中学生

人生のターニングポイントを考えてみると、先ずは小学校の卒業。田舎の学校で転校する子以外は、皆んな同じ中学に進学した。私はタッチを読んで、南ちゃんに憧れて野球部のマネージャーがしたかった。だから、どうしても部活のある学校に行きたかった。しかし、親から勧められた私立の学校にも興味があった。制服はなくて自由、学校見学で出会った在校生が素敵だった、小学校で一人私立に行くなんてちょっと嬉しい、寮生活もして見たい。しかし、男女は別学だし、部活がない。ならば、中学は私立、高校は公立を受け直せばいいやと思い私立に進学した。

 入学して新しい友だちができること、初めての環境にワクワクしていた。親のいない寮生活も楽しみでしかなかった。「楽しい」と自分を奮い立たせなんとか頑張った。寮生活は朝5:30起床、掃除をしたり、朝食を作ったりして、登校。なかなか友だちができなくて、一緒に行こうと誘えなくて一人で行っていた。17:45が門限、平日は外出できず、夕食作りがあれば15:30には帰宅しなければいけなかった。休日も外出届けを事前に出し、門限は変わらない。土曜日は学校があったから、家に帰省しても滞在時間は僅かだった。そんな生活がスタートしたら、12歳では辛いし、親に会えない寂しさが募る。でも強がって辛い、淋しいと電話をかける事もしなかった。淋しいと泣いて電話をしている同級生より、耐えている自分はすごいと思っていた。そうやって自分な気持ちに無理をしていたらストレスで布団でオネショをし、加えて起床後直ぐに始まる掃除の前にトイレに行くタイミングを逃し漏らしてしまった。こんな事、小学生の時にすらなかった。ショックだった、恥ずかしかった、助けを求められず隠れて汚れたものを洗い、汚れたスリッパは隠した。そのスリッパが見つからないか怯えた。今思えば、助けを求められたら直ぐに笑い話になってたのかもしれない。でも、隠したから恥ずかしい記憶で今まで誰にも言えなかった。

そんなボロボロな気持ちで迎えたゴールデンウィークは、母親に愚痴ざんまいだった。辞めたいと何度も言葉にして、しまいには「学校辞めなさい!」と怒られた。久しぶりに会えて嬉しいはずなのに、反抗期で素直になれなかった。今思い出すと、そんな素直になれない自分、学校生活で上手くいかなくて傷ついた事を慰めて欲しかった。もっと寮生活を心配して、皆んなみたいに電話をかけてきて欲しかった。きっとなにも伝わってなかったし、母の気持ちもわからなかった。言葉にしないってそう言う事なんだなと、いまはよくわかる。

まあ、そんな散々なスタートで幕を開けた中学生活。反抗期や思春期も合間って、愚痴ざんまいだった。自分で作った悪循環は、体にアトピーとして現れた。全身掻いて、ただれて顔まで腫れる。もう消えてしまいたかった、友だちは辛そうと心配してくれた、親もスキンケアに高いお金をかけてくれて、一生懸命ケアした。でも簡単には治らなくて、写真に写る事も、誰かに会う事も嫌だった。

そうしているうちに中学3年になった、3年間忘れていなかった夢、高校野球のマネージャーで南ちゃんのように甲子園に行く。やっとここから離れられる、出来るだけ勉強を頑張った。でも勉強は苦手だった、痒くて集中できなくて進まない。(後に出会った東大生が私より酷いアトピーで痒みもあるなか、東大に進学し卒業後に医科歯科大の医学部に編入した。私の痒くて集中できないは言い訳なんだな。やる人はどんな環境でもやれるんだよね)

結局、行きたい高校には進学できる見込みはなく、今の学校に残るか散々迷い願書提出前日に、大泣きしながら担任と話しあい取りやめた。この時本当に私自身に感謝がなかったけど、既に内申書をもらい外部進学を表明していた学生が、内部進学に切り替えるのはこれまでになかった。その後の教職員会議で担任の先生が内部進学できるよう上申してくれた事で、私は高等科に進学できた。許可をもらえなければ、高校浪人になっていた。人に助けてもらいながら生きてきたなって、これを書きながら改めて感謝が湧いてくる。

私の中学3年間は「不満」に溢れてたけど、肝心なところで人に助けてもらい、優しさをもらい、中学生の多感な時期にアトピーによる外見的な恥ずかしさに絶えて頑張ったと思う。もっと楽しい学生生活が送りたかったけどね...。思い出したのは、マレーシア、シンガポール、ネパール、カナダこれだけ自由に海外に行かせてもらい、受験だといっては塾に行き、アトピーのために病院やら化粧品やらお金をかけてもらって、本当に本当に親は私に経験を積ませてくれた。友だちもアトピーから自己否定に陥っていた私、受験に失敗して恥ずかしかった私、その気持ちを言葉にできていなかったけど、変わらず友だちでいてくれた。私だけがわかってもらえないと線を引いてたんだ。信頼していなくてごめんなさい、そしていまも変わらず大切にしてくれる家族、友達に感謝が尽きないです。

思い出すって大事な作業だな。

mw






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