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芸能の時間とファンタジー、夢。

気温が下がってずいぶん肌寒い朝だった。ベランダに出るとなんとなく金木犀の香りが漂っている。今年はちょっと遅いような気がするんだがどうだろう?

昨夜遅くまで「十二国記」を読んでいたので寝不足なはずなのに、今朝は早く目が覚めた。

ファンタジーの世界は昔から大好物だ。それはここではない別の世界に行きたいという願望があるからで、夜見る夢の世界が好きなのも同じ理由だと思う。しかし、年とともにファンタジー小説もあまり読まなくなったし、夜夢を見ることも以前より少なくなっている気がする。

それは民俗芸能の、舞ったり奏でたりする時間の中に入ることが多くなったからだという気がする。

芸能の世界に入っている時間は、ファンタジー小説を読んだり夢を見たりしている時間と似ている。両者ともいわゆる「現実」とは異なる別の世界だ。客観的に言ったら違うかもしれないけど、やっている実感としてはそうだと思う。

それではその二つの違いは何かと言うと、ファンタジーや夢の世界には肉体に縛られない自由があるというところ。肉体を伴っているのは普通に考えたらやはり不自由に思える。しかし、肉体があるからこその可能性やユニークさは確かにあるのではないか。特に舞い踊るということの中には。

身体と精神や魂、神霊との関係のつくりかたを学んでいく、そのために民俗芸能をやっている。少なくとも自分自身に関してはそんなふうに言える気がする。




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