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ただ隣に

中学の半分を不登校で終え、高校は通信制だった私にとって、もっとも思い出深く楽しかった学生時代といえば小学校6年生の1年間だ。

この1年は仲良し4人組でいつもいつも一緒にいて、隣のクラスに好きな子もいて、担任も大好きで、とにかくいい思い出しかない。

仲良し4人組は、小学校5年生まではとくに仲良くはなかった。4人それぞれが、ほかのどの3人ともだ。
それがなぜ仲良くなったのか、明確なきっかけがあったのか覚えていないが、気づいたら春には4人でいたっけ。

4人は同じ中学へあがり、しかし4人ともがバラバラのクラスになった。
4人のうち私、K、Sの3人は同じ部活に入部。
1年生のうちはまだ部活で仲良くはしていたが、お互いにクラスで仲のいい子ができていくことも、お互いにわかっていた。

そうして私は2年生の夏に学校も、部活も離脱。
そのことについて、とくにKやSと膝を突き合わせて真剣に話したことはない。
ないけれど、しかし、KもSもしょっちゅう家に来たり、手紙をくれたり、遊びに誘ったりしてくれた。
KとSがこっそり言い合わせてそうしたとは考えにくい、2人の性格からして。
だからきっと、それぞれに考えて行動していたんだと思う。

お正月、電車で2時間の都会へ福袋を買いに行こうと、Sと遊んだ日。
私の持っているゲームをやらせてほしいと、Kが家に来た日。
町のお祭りに一緒に行こうと、Sに誘われた日。
買い物につきあってくれと、Kとモスバーガーやカラオケに行った日。
暑中見舞いや正月に律儀にハガキを送ってくれるS。
バイトの面接を受けるからと、なぜかKについていった日。

不思議だった。
クラスに部活に、彼女たちに友達はたくさんいるはずなのに、なぜ私なのか?と。
会わないうちに話も合わなくなっていくだろうに、高校生になっても、大学生になっても誘ってくれるのはなぜだろう?と。

学校へ行かなくなって、「普通」から離脱して、私は孤立したと、孤独だと、ひとりだと思っていた。
誰にも心のうちをわかってもらえることはないし、心からの友達もできるはずがないと思っていた。

そう、心を閉ざしていたのは私のほうだった。


彼女たちはどうだ?

仲良し4人組で小学校の校庭に埋めたタイムカプセルを開け、成人式のあとは飲みに繰り出し、事あるごとに近所の行きつけの居酒屋で女子会をした、

その彼女たちのことすら、私は「友達」」だと思えていなかったのなら、なんて傲慢なんだろう。

彼女たちにとって、私は「不登校児」であることの前に、ただの「友達」だったんじゃないか?

理由なんてただ「遊びたいから」「一緒にいたいから」「話したいから」「友達だから」それだけだったんじゃないか?

自らを傷つけながら、眠れない多くの夜を過ごしながら、ずっとずっと一人で暗闇にいると思っていた私の10代は、じつは決してひとりではなかった。

携帯もLINEもSNSもない時代に、なにも問わず、なにも語らず、ただ隣にいてくれた人たちがいた。
その事実だけが、いまは眩しい。

今となってはもう、Kはどこにいるかもわからず、Sは町内に住んではいるが連絡を取り合うこともない。


時を戻せるなら、「ただ隣にいてくれる人たちをもっと大切にしなさい」と、昔の自分に伝えたい。

後悔だらけのこの人生で、私が何より後悔しているのは、友達を大事にできなかったことだから。

学校にはいけなくても、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、まわりの人を大切にできたらよかった。


もう、取り戻せない。







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