放幸さんウェイ

この男、多彩につき。/神戸ソーシャルキャンパス 法幸 勇一さん #N男N女 File.2

明日の社会を良くしようと、様々な課題や問題と日々格闘するNPO法人。
そこで働く人たちを戦隊ヒーローに例えるなら、自らの正義を信じてリーダーシップを発揮する代表は赤レンジャーか。では、いつでも冷静沈着な青レンジャー、周りを明るくするムードメーカーの黄レンジャーは・・・?

定期連載「N男N女」では、それぞれの個性や強みを発揮しながら、熱い思いを持って団体の活動を下支えする職員らにスポットを当てる。

第2回となる今回は、メーカー勤務から世界一周の放浪人、グローバルニート(!?)からカナダのNPOと、多彩かつ異色なキャリアを歩んできたこの男。NPO未来ラボメンバーの法幸勇一さん。

法幸さんは、現在神戸にある神戸ソーシャルキャンパスで働いている。神戸ソーシャルキャンパスとは、NPOや企業、建築家やデザイナーなど、様々な職業の方と学生を繋がる交流拠点として、大学生の「学街活動」を支援している団体だ。
そこで法幸さんは、大学生が地域の商店街と共に祭りを企画したり、教育に興味がある学生が指導塾を営むNPOの職員に繋いだりと、大学生が中心となって走るプロジェクトをコーディネートしている。
そんな法幸さんにうかがった、NPOに対する思いやそれが形成されるキッカケなど、様々な視点から法幸さんについて、前後編に分けて探っていくことにする。前編では、法幸さんとはどういう人で具体的にどのような経歴の持ち主なのかに迫っていく。

安定をなげうって飛び出した世界一周

28歳にして新卒から勤めた会社をやめ、世界一周の旅に出ることにしました。

6年間勤めたプリンターメーカーでは、1年目からプロジェクトリーダーを任される。右も左もわからない状況で結果を出し、3年目にして前々から希望していた海外駐在を果たす。日本に帰ってきてからは長期事業計画のメンバーに選ばれるなど、順調に出世コースを歩んでいた。そんな安定の地位を投げ出し、6年間勤めた会社を去ったのには理由がある。

不思議と楽しくないという感触がありました。希望していたグローバルな人材にはなれていた自覚はあったんですが、なんとなくやりがいを感じず、悶々としていました。そんなある日にヘッドハンターから引き抜きの手紙が届き、自分に需要があるのでは?という仮説をたて、それなら今の自分が本当に価値を感じることを全力で取り組みたくなった。そんな思いから、一念発起して会社を辞めました。

その世界一周では、アジアは台湾から始まり、タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアと回る。そこからオマーンに渡り、アフリカはエジプト、ケニア、モロッコ、そしてスペインを経由して南米のアルゼンチン、パラグアイ、ブラジル、チリ、ボリビア、ペルーを回った。そこからメキシコに渡ったのち、サンフランシスコへ。これだけ多くの土地を4ヶ月という短い期間で回ったのにはある理由があった。

世界一周では、ただ回るだけではなく、世界で活躍する人にインタビューをして回ろうと思いました。世界を舞台に活躍するという、自分のブレない軸を見つけ、それをより強くしたいという気持ちがあったので、ダラダラと回るのではなく、各地域で会いたい人を決め、アポをとり、すぐ行って話す。こういうことを繰り返していると、4ヶ月で世界一周になりました。

海外では本当に様々な体験をしたそうだ。マレーシアでは名も無き田舎町で高熱にうなされ、生死の境を彷徨ったこともあったし、南米では現金がなく言葉も通じない上で、周りの人の好意で生き延びることができたと言う。

こういった体験を繰り返すうちに、ある思いが芽生えたそうだ。

助けてもらいながらではあるが、言葉が通じない地域で金もなく生き延びることができたことで、人間って強いなって思いました。死なないなって思いました。自分の尽くせるベストをやった上で命を落としたら、これは仕方がない。そう考えることができるのは、死というものを肌で感じることができたからだと思います。

世界一周の旅人からグローバルニートへの転職

世界一周の中で見えてきたのは、もっと世界で活躍する日本人を増やしたい、という強い気持ち。それがキッカケで留学アドバイザーになるべく大学時代に留学経験のあるカナダへ。しかし、ここでも大きな挫折をする。

思い切って世界一周に出て、せっかく見えたキャリアだと思ってカナダに飛び込んだんですが、そこで就職して留学アドバイザーとして働いているうちに、自分のやりたかったこととの差異を感じてしまったんです。
仕事をやめて、異国の地でグローバルニート(笑)になった時は、本当に気が抜けて、公園でぼーっとしながら一人で緑を見ているだけの1日もありました。なんのためにこっち渡ってきたんだろうという気持ちも日に日に強くなってきました。
ただ、カナダにきた理由は、留学アドバイザーをやりたいだけでなく、逆に日本の文化を海外で発信するということもやりたい気持ちがあったことを思い出し、そこからカナダで日本文化を保護するイベントをやる日本文化センターを見つけました。そこはカナダに住む日系人であったり、日本に興味を持つ外国人が多く集まって日本文化に関する展示をしたり体育館での太鼓や武道教室などが開かれたり、和室では茶道教室に囲碁将棋を教えていたりなど、海外での日本文化の価値を感じられる場所でした。またそこで日系祭りを企画し、神輿を担ぎ、盆踊りを踊り、一番大きいもので1万人ほどが集まりました。

やりたいと思っていたことが違ったことによる大きな挫折を乗り越えて、日本文化の価値を再認識した法幸さん。カナダには日本のことが好きな人が多いことに気づき、それならばと、フリーランスで日本語家庭教師を始める。ただ、日本語教師の経験はないため、自分自身も通信講座で日本語を勉強をしながら、徐々にカナダでの生活に価値を見出していったという。

目標を失って苦しんだ経験があって、本当に苦しい日々だった。ただ、とにかく少しでも興味の湧いたこと、ダンスとか茶道とか、とりあえずやってみる。この精神で興味のサイクルを回す。そうすると日本語教師にたどり着いた。完璧を追わず、正解を求めない姿勢を手に入れ、自分がふとやってみたかったことに価値を感じることができ、そこから好転していきました。
ただ、ある時カナダの経営者に永住権のサポートを持ちかけられて、自分が日本のために何ができたかを考え、このまま海外の人間になってしまっていいのか、そんな思いが込み上げてきました。そこから気づいたら、日本に帰国する道を選んでいました。

海外から日本を見つめ、価値を再認識し、日本のために何かしたい。こんな思いがいつの間にか芽生えていた。世界一周に旅立った時から始めていた日本の歴史や文化に関する勉強は、自分を形成する上でこんなにも影響があったのかということも改めて実感したと言う。

日本を外側から観察し、価値を見出した法幸さんが日本でのキャリアの再スタートとして、NPOを選んだ理由とは?また、その志とは?後編では、法幸さんの現在について深く掘り下げていこうと思う。

文章・編集 藤原 雅樹

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