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〜人生のマイレージ「ようやくゼロへ」〜第五話

父親が死んだ

2023年8月末のことです。
兄から「お父さんが死んだんやけど知ってる?」と一本の電話。
わたしは何も知らなかったので「へ〜」としか言葉が出ませんでした。

よく『好きの反対は無関心』という言葉があるように、わたしは本当に感情が動かなかったんです。
その『無関心』という感情が生まれて初めての感覚で恐怖を感じました。

父親への恨み

その後は、兄が遠方にいるので、比較的近い距離に住んでいたわたしが役所やデイサービス、自宅の片付けなどをしないといけませんでした。
兄から「家族の写真と弟の仏壇は持って帰って保管しておいて欲しい」と言われました。
でも、探しても探しても出てきませんでした、、

父が手の届く範囲には、学生時代の恋人や独り身になってから知り合ったであろう女性との写真ばかり、、

家族との写真どころか、我が子の仏壇もないのです、、

押入れの奥の方から、ようやく段ボール箱を見つけました。
そこには、無造作に弟の仏具が入っていました、、
その奥から家族の写真、通知表、賞状が出てきました。

わたしの感情は怒りから呆れるしかありませんでした。

わたしはその呆れや恨みつらみを兄や家族にぶちまけていました、、
いつまで経っても気持ちが収まることもない日々を過ごしていました。

ある日、このままでは自分がまた腐ってしまうと思い、わたしがしているビジネスを通じてコーチングをしてもらいました。

すると、、

幼少期の暴力などだけでなく、兄弟の中で女の子がわたしだけだったので、可愛いがってもらったことや特別扱いされていたことだけでなくて、小学校5年生からヤンチャだったわたしを学校などの迷惑をかけた場所にいつも迎えにきてくれたのは父だったことを思い出したのです。
そして、そんな時は母がわたしをボコボコに殴る蹴るをしていたのですが、父はかばってくれて、いつもいう言葉は「家で何をするのかは自由やけど、よそ様には迷惑をかけるなよ!!」とわたしに繰り返し言い聞かせてくれていました。
わたしはその優しさをよそに迷惑行為を続けては、父の優しさに触れる日が続く毎日を過ごしていました。

小学校、中学校の時に居場所がなかったと思っていたわたしには父という優しく接してくれた人がいたことを父が死んでから気づくのでした、、

感謝

『感謝』って重たいけど、『ありがとう!』って言いたいと思いました。
言えたら、わたしはやっと自分の人生が始まるような気がしています!

そう、人生のマイレージがようやく『ゼロ』になったのです!!

この2年でわたしは変化しました
こんな貴重な人間成長ができる環境って凄いと思いませんか!?

興味を持った方は、わたしとお話ししてみませんか?
なにか経験シェアできたらと思います。

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