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2016年1月18日 黒島

ここ数年、一月に一週間程長崎に行くのが恒例になっています。
今年も行ってきたので、振り返りながら思い出を。

出発は17日朝。羽田から福岡へ。

旅の最初の朝はいつもテンションが上がります。飛行機から見える雲でもう心沸き立つ。

福岡では楽しくイベントに参加していたので詳細は割愛。
…が、ここで電話が。小値賀島のアイランドツーリズムからで翌日行く予定だった野崎島行きの船が、海が荒れて二日くらい出港しないだろうとの事。
けれども野崎島はどうしても行きたかったので天候の回復を待って出直す事に。
予定では福岡から夜行の五島行フェリー太古に乗るはずだったのですが、佐世保までバスで出て翌日黒島に行くコースに変更。
フェリー太古、去年リニューアルして居心地がとても良くなっており、乗るのを楽しみにしていたので少し残念。またの機会に。

夕飯は水炊きを食べました。福岡は何度か訪れているのに初めてご当地っぽい物を食べた気が。美味しかったです。

夕食後、バスで2時間程で佐世保に向かい、駅近くのホテルで就寝。

翌18日月曜日。朝の佐世保、三浦町教会。
白い壁と尖塔が印象的な教会ですが、戦時中は爆撃対象になるのを恐れて黒く塗装されていたとか。
こちらの記事に過去の写真や詳しいいきさつがありました)

堂内でしばらくぼんやり。日が昇ると壁に映るステンドグラスの色も少しずつ鮮やかになっていきます。

佐世保駅から松浦鉄道で黒島行きのフェリーが出港する相浦港へ。
一車両のこぢんまりした電車で、家や山の間をすり抜けるように走って行きます。トンネルも多い。車窓からの風景をもっと見たかったので次は松浦鉄道ぐるり旅もしてみたいです。

相浦港の窓口でチケットを買う際、
「天候が悪くなるようなので今日の帰りの便は分かりませんが大丈夫ですか」
と聞かれ、泊まる予定だったので大丈夫ですと答える。
この時はまだ翌日からの天気を甘く見ていた事を、その後知るのでした。

確かに少し霙は降っていたけど、海はまだこんなに穏やかだったんだ…。

50分程でフェリーが黒島に到着。
お世話になる民宿の方が車で迎えに来てくれて、道すがら人口や大きさ、集落の場所など島の概要を教えてくださいました。

宿に荷物を置いて、自転車を借りて黒島一周に出発。

寒いけれど時折晴れ間も見えて、今の所天気は上々。
まずは宿からすぐの黒島天主堂へ向かいます。

坂道を下ると田んぼの向こうにレンガ造りの天主堂が。
黒島だけでなく、長崎の教会は田畑や民家が広がる日本の風景の中に突然ドンと西洋風の教会が現れるのが面白いです。一瞬、ヨーロッパの田舎にワープしたような気が。

黒島天主堂
フランス人マルマン神父の設計と指導、黒島カトリック信徒の献金と労働により明治35年に完成した煉瓦造一部木造の教会堂。

外観はこんな感じ。

天主堂内部は、艶のある板張りの高い天井と白い壁。祭壇下には有田焼の青いタイル。木造部分の茶色と白い壁のコントラストが落ち着いて上品な印象。
説教壇は神父の手作りだそうで、温かみのある装飾彫刻が刻まれていました。

外は風が強いようで窓や扉がガタガタと鳴る中、ステンドグラスの光が仄かに白い壁に映るのを座ってしばらく眺めます。
5月くらいに丁度ステンドグラスの光が中心の祭壇に落ちて、有田焼のタイルも光で色づいてとても美しいとか。見てみたいです。

天主堂を出て、次はカトリック墓地へ。

現在も使われている墓地で比較的新しい区画はこんな感じ。

古い区画は墓石の形状が平たい石積み。

奥にはマルマン神父の墓もあります。

島の山と空を眺めながら、そっと墓地を散策させてもらいました。

墓地を出るとちょうど昼頃だったのでカフェで一休み。
可愛らしいカフェでお昼ご飯を食べました。シーズンになると観光の方も多いとか。この黒島天主堂も世界遺産候補なので、今年はお客さんが増えるんじゃないかなとの話。

この、世界遺産になると色々変わるというのを、その後の長崎旅あちこちで目にする事になりました。

腹ごしらえして元気になった所で再び散策へ。

黒島のカトリック信徒は主に外海地方から移住した潜伏キリシタンの子孫だそう。
大浦天主堂が出来た頃、黒島の出口親子が長崎に出向いて信徒であることを打ち明け、その後潜伏キリシタンが続々とカトリックに復活。
この碑は出口家跡に建てられた物。禁教令が続く中外国人神父が来島し、ここでミサも行われていたそう。
民家の間にひっそりと建っていました。

島は人口470人のうち8割程がカトリックだそう。
オリーブ農園の向こうに見える建物は修道院です。

島の道を自転車で走って行くと、畑や民家が点々と。今は空き家になっている家も。

さすがにこの時期は観光客は少ないようで、道すがらは時々農作業中のトラクターとすれ違うくらい。
島のお爺さんが話かけてくださったのですが、方言を聞き取るのが難しい…!

集落から見える海。

この辺りの畑の土は少し赤っぽいです。
後に小値賀島に行った時もこんな赤い土を見ました。小値賀は火山由来の粘土質土壌らしいですが黒島はどうなんだろう。

根谷地区のアコウの巨木。
暖地系の植物で黒島では防風林として利用されてきたとか。
このアコウ樹、長崎の島では割と見かけるような気がします。

同じく根谷地区の樹齢250年と言われる大サザンカ。
実から採れる油を潜伏キリシタンも利用していたそう。

いくつかの集落を抜けて、最初に着いた黒島港へ出ました。

乗ってきたフェリーくろしまも停泊中。

この辺りから雲行きが怪しくなってきます。
港待合室を覗くと本日欠航の貼り紙があったので、どうやらフェリーもここで待機中の模様。

キリシタンの島といえ、神社も寺もあります。
港の上には黒島神社。

港を臨む小さな祠には恵比寿像。
やはり漁業の神様だからか海を見守る場所でにっこり。

最初に形成された本村集落に1803年に置かれた曹洞宗興禅寺。
他の島でも、カトリック集落は比較的奥まった所に、仏教徒集落は開けた所にある事が多い気がします。
かつて潜伏キリシタンが外海地区などから移民で来て、まだ人が住んでいない場所を開墾していった結果なのでしょうか。

この辺りで時折雨が降ってきますが、めげずに合羽をかぶって自転車を走らせます。風が強いのでたまに雲が切れて晴れ間が見えるくらいだったので意外と平気。だが寒い。じっとしていられないので走る。

串の浜岩脈。
地下の溶岩が岩盤の裂け目に入って冷え固まり、海岸の波で柔らかい岩盤が除かれ固い溶岩だけが防壁のように残った物。長崎県最大規模だそう。

不思議な岩の模様。

島を一周し、最後に蕨地区で夕焼けを見ながら宿に戻ります。

この日は本当は宿泊客は私だけの予定でしたが、フェリー欠航により帰れなくなった仕事でいらした方が何人か泊まっていました。

夕食はお頭付きの刺身に、焼き魚、小鉢各種、島豆腐、ウチワエビの味噌汁と盛り沢山。瓶ビールと一緒に幸せな晩酌でした。

部屋にこんな小さな祭壇とマリア・キリスト像があったのにびっくり。
他の部屋は見ていないけれど各部屋にあるのでしょうか。

こうして、予定が変わったりもしましたが一日目黒島を満喫して就寝。
二日目に続く。

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