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茶柱、見下ろす景色

茶柱

お茶が好きだ。緑茶やほうじ茶を好んでよく飲む。強いこだわりがある訳ではないが、毎日急須で茶を淹れる。お茶をしている時間が好きなのだ。

幼い頃、祖母がどんなときでも、決まった時間にお茶を淹れてくれていたのを覚えている。僕が学校に行かなくて怒られているときや、家族の誰かが口論しているとき、僕と祖母が喧嘩しているときでも、必ず時間になると皆にお茶を振る舞った。

その時間がすごく好きだった。どんなに口汚く罵り合っていても、その時間になると誰もが一息ついて、団欒の時間が流れる。この時間があれば、生きていくのに十分だなと、そんなことを思っていた。

地元を離れ、東京に家無しで暮らしていた頃。軽自動車で日本一周をしていた同郷の友人が東京に差し掛かって、そこからしばらく行動を共にしていた。

それまでは知り合った人の家、ネカフェなどに泊まることが多かったが、自分も共に車中泊をするようになる。気兼ねもしないし、金もかからないし、満足してしばらく生活していたのだが、人とは慣れてしまうものでだんだんと手狭に感じるようになってしまった。

群馬の方から一度東京に戻ってきたとき、「たまには普通のところ泊まりたいよね」と宿を探すことに。安くで三人が泊まれる場所というのは案外と限られてきて、ちょうど空いていたのは赤羽にあったゲストハウスだった。

友人がウェブでみつけてきたそこは、本当に宿泊施設があるのかと訝しむほど汚い雑居ビルにあった。階段を上がりドアを開けると、薄暗い蛍光灯に照らされたおじさんがじっとこちらを見つめていた。

受付を済ませ自分の部屋に向かう。その途中、帯の解けた寝巻きから股間が丸見えで歩くおじさんとすれ違う。部屋にいると、漏れてるんじゃないかと疑うほどのでかいオナラを3回連続でこく音が他の部屋から聞こえてくる。

お風呂に入ろうと支度をして浴室へ歩くと、加齢臭の漂う洗面台ではおじさんが口に含んだ水をかなり高い位置から吐き出していた。水は広範囲に飛び散り、僕は少し避けるが、足には水滴がついてしまう。おじさんはうめき声を上げながら部屋に戻っていった。ここはスラムか何かか?

お風呂は案外と広く清潔で、中には誰もおらず完全に一人で安心した。湯船に浸かり、ふと考える。−−この当時僕は自分の現状に絶望していて、先が見えないまま東京をふらついていた−−このまま何も成さないまま、自分も歳を取るとあんなふうになってしまうのだろうか。そういう恐怖に襲われた。

上気せそうになりながらぐるぐる考えていると、また別のおじさんが風呂場に入ってきた。話しかけてきたので色々聞いてみると、もうここに3ヶ月は住んでいるらしい。仕事で赤羽に滞在しなければならなかったそうで、一度ここに泊まりだしたら案外居心地が良く、抜け出す気にならなくなったんだとか。やはりここは早めに脱出するべきなのかもしれないと思った。

オフ会

東京から地元へ帰ってしばらく経ったあるとき、「泊まらせてください」と書かれたプラカードを掲げる怪しげな男が駅前に突っ立っていた。面白そうだと思って話を聞いてみる。どうやら人の家に泊めてもらいながら全国を渡り歩いているyoutuberらしい。

僕も似たようなことをしていたなと思い、泊めることに決めた。そのまま家に案内し、お茶を飲みながらながらいろいろ話した。シュラフ石田と名乗る彼は、28歳の時から5年ほどその生活をしていて、日々人の家を転々とし、冬は沖縄、夏は北海道というように全国を回っているという。結局彼は3日程滞在し去っていった。

後日、彼から「東京は中野で、僕を泊めてくれた人を集めたオフ会をやるので、よかったら来てください!」という連絡が来た。癖のある人ばかり集まってきそうな会だなと思ったので、すぐに出席の旨を伝えた。

確かその会は、彼を泊めた翌月ぐらいにあったと思う。会場に着くと既に結構な人数が集まっていた。とりあえず飲み物を手にし、空いている席に座る。

いろいろな人と喋った。教員や、システムエンジニア、コーヒーショップの経営者など、多様な人が彼を自分の家に泊めていた。ああいう人を泊めるだけあって、みんな少しだけ、過剰に優しい感じがした。

その中に、一際声の大きい人物がいた。会場内で一番声が通り、よく喋り、誰にでもツッコミを入れていた。なんかすごい人がいるなと思って見ていると、席替えのタイミングで近くの席に座った。違うテーブルだったが、こちらから声をかけて話し始めた。たちまち彼の話の面白さに魅了された。特に面白かったのが二郎系ラーメンのエピソードである。

「僕、二郎系ラーメンがめっちゃ好きなんですよ。以前ロンドンに勤めていた時にもどうしても食べたくなって、でもイギリスに二郎系がなかったんですよ。それで一番近くの二郎系はどこか調べたらボストンにあったんです。

遠いような気もしたんですけど、やっぱりどうしても食べたくてすぐアメリカ行きの飛行機を取っちゃいました。たまたまボストンにオフィスがあったので、一応そこに顔を出した後、ハーバード大学の裏の「夢を語れ」という店に行きました。それで念願の二郎系を食って。

そこは「夢を語れ」というだけあって、ラーメンを食べ終わったら立ち上がって夢を語らないといけなかったんです。それで僕は「僕は早く日本に帰りたい!」という夢を語って、ロンドンに戻りました。

その夢が叶ったのが、その年の夏。日本に帰ってきて、そのときも成田から速攻で二郎食いに行きました。その後ある大きい保険会社と商談があったんですが、人間って勢いがついたらほんとにすごくて、ノリノリで50億円くらいの投資が決まったんです。ほんとに二郎好きでよかったなって思いましたよね」

彼は外資系の金融に勤めているらしい。年収は12億もあると言っていた。話も面白いし、それだけ稼いでいたら生きるのも楽しそうだなと思ったが、彼自身はすこし退屈している様だった。彼はなぜか、何度も僕にこう問うた。「幸せってなんなんですかね」

僕からは、東京で経験した変な出来事や自分自身について色々と話をした。すると彼は僕のことを気に入ってくれたようだった。
「いま新宿のタワマンに住んでるから、今度遊びに来てよ」
タワマン。これまで自分の人生と全く縁のなかった単語だ。興味しかなくて、すぐに遊びにいく日程を取り付けた。

見下ろす景色

初夏の涼しげな夜、恵比寿のもんじゃ焼き店で彼と待ち合わせをした。お腹いっぱいに食べた後、電車に乗って新宿へ。

「年収12億あっても電車とか乗るんですね!」といじると、「年収3000万くらいから、生活ってだいたい一緒なんですよ」と現実的すぎる返事がきた。そのあとスーパーで買い物をし、そこから歩きでタワマンへと向かった。

いまは独身らしい。バツ2だとも教えてくれた。「金持ちなのでモテはするんですけどね」結婚生活がうまくいくかどうかは別問題のようだ。

そして、並び立つタワマンの一角へ。高く聳える塔の下へ潜り込む。パスキーを何度もかざしながら、綺麗なロビーを右に進んでいく。「エレベーターが二つあって、入って左が低層階、右が高層階になってる。ちょっとしたバチバチがあったりするんですよ」

玄関から奥へ進むと、生活感のない広々とした部屋が目に飛び込んできた。異様に家具が少ない。かなり広いリビングには、テレビとソファーベッドだけが置いてあった。ベランダへ続く掃き出し窓の向こうには、並び立つタワマンの隙間から東京の夜景が覗いている。

僕はベッドのある広い個室へ案内された。
「好きに、ゆっくりしてください」本来は寝室だが、ほとんど来客用になっているという。ここもベッド以外の調度品が見当たらない。なんだかシンプルすぎて、外からのイメージとは結構なギャップがあった。

次は風呂に案内してくれた。広い。ここは逆に”タワマン感”がすごい。
「入るときはこれでも見てゆっくりしてくださいね」
そう言って渡されたのは、横幅30cmもあるかという大きなタブレット。風呂専用のテレビだという。

あまりにも生活感がないことについてを尋ねると、彼はほとんど仕事部屋で生活していると教えてくれた。リビングにあったドアを開けると、いきなり全く別の世界がそこにあった。まるで、そこだけ安アパートのワンルームのような雰囲気だった。寝るのもここだったり、リビングのソファーベッドのことが多いという。

その後はリビングでいろいろと話した。彼は資本主義に調教され、お金を稼ぐことが自分の喜びになってしまったのだと語った。そしてそこから抜け出せないことについて嘆いていた。
彼は自分の性をだいたい理解していて、さらに色んなことが計算できてしまうから、自分の人生についても「こんなもんだろうな」という予想がついてしまうんだとも。だから意味のわからないパーティーがあれば顔を出して、計算外の化学反応を求めているんだという。

彼は口癖のように、繰り返し言った。
「幸せって何なんですかね」
年収と幸せが比例しないとはよく聞くが、彼を見ているとそれが本当なんだなと、つい思わされてしまった。

その後に風呂を借りた。テレビも見ながらゆっくりと湯船に浸かった。僕は何か考え事をする時、シャワーを浴びたり風呂に入りながら考えることが多い。例えば新曲のメロディや、人間関係。あるいは幸せについて。

だから長風呂をすることも多く、この日もかなり長い間湯船に浸かっていた。すっきりして、髪を拭きながらリビングに向かう。そしてそこには、忘れようがない、いまでも目にしっかり焼き付いている光景が広がっていた。

一面の窓から見える、ベランダ越しの夜景。それを背景に彼は、ソファーベッドにぐったりと座り込みながら、ファミコン風のゲームで時間を潰していた。彼は僕に気づくと、コントローラーを膝に置き、こちらに顔を向ける。
そしてまた、僕にこう問うた。
「幸せって何なんですかね?」
僕はうまく答えられなかった。

翌朝。帰る間際に「たくさん余らせてるから、これ使いなよ」と彼がSuicaを渡してくれた。東京は交通費が嵩んでしまうから本当にありがたい。それを受けとって、玄関で別れた。

新宿駅について、改札を通ろうとすると警告音が鳴り響いた。まさか、と思ったがどうやら残高が足りないらしい。チャージをしようと券売機にSuicaを入れる。残高は65円だった。

(文章: rimo, tatsu)

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