深読みで楽しむDetroit: Become Human (15) 人が歴史を作るのか、歴史が人を作るのか

はじめに
 本記事はDetroit: Become Humanを最低でも1度はクリアした人向けの、本編ネタバレ満載の内容となっています。さらには本編の内容を直接解説した部分が3割くらい、残りの7割が深読みと邪推とこじつけで構成されています。以上の点をご了承の上、お読みください。

【「決断の時」 シノプシス】
 廃貨物船ジェリコは、人間の支配を逃れたアンドロイドたちが静かに死を待つだけの場所だった。現状を把握したマーカスは、状況を打開するための計画を提案する。

啓示を受けし者たち
 すでに以前の記事でちらっと触れましたが、ジェリコ組の名前は偉大な預言者の「後継者」と関係があります。
 ジョッシュ、つまりジョシュア(Joshua、ヨシュア)は旧約聖書の大預言者モーセの後を継ぎ、ユダヤ人を約束の地に連れ帰った人物であり、より歴史的な言い方をすれば「ユダヤ人による中東征服を指導した軍事指導者」です。まあ、旧約聖書に出てくる戦争って、ラッパ吹くと壁が壊れたみたいなやつではありますが。エジプトを出発した時成人だったユダヤ人たちのうち、終始神に忠実であったことを評価されて約束の地カナンに足を踏み入れることができたのは、ヨシュアの他には一人しかいません。
 一方、サイモンはかつてシモンと呼ばれた漁師に由来します。キリスト(イスラム教徒視点では、「新約聖書最大の預言者」)の一番弟子として、岩(ペトロ)という名を与えられました。ペトロクラウドのペトロですね。ちなみにペトロのフランス語バージョン「ピエール」にも、岩の意味があります。ペトロはキリストを捕らえにきた兵士の耳を剣で切って叱られる武闘派だった一方で、キリストが捕らえられた後は「私あの人知らないです」と嘘をつくヘタレでもあります。キリストの復活・昇天後も弟子のリーダーとして布教活動を行いますが、ローマ帝国の弾圧で布教を断念しかけた時、キリストが「じゃあ俺ローマいってもっぺん処刑されてくるわ」とか言い出したので覚悟を決めてローマに赴き、殉教します。バチカンのサン・ピエトロ寺院は、ペトロの墓の跡に建てられたとされています。
 
 とまあ、この二人の名前の由来は割とわかりやすいのですが、問題はノースです。文字通りに読むと「北」なのですが、なんでやねん。なんで突然方角やねん。普通の名前ですらないやん。由来として考えられるものは二つ。一つ目は、単純に「地下鉄道」における漠然とした目的地であった「北」。もう一つは、古代のイスラエル王国、またの名を「北王国」です。
 ヨシュアのカナン征服後、約400年間の侵略を経て、ダビデがイスラエル統一王国を打ち立てます(ちなみにダビデ=デヴィッドで、本作の製作者の名前でもありますね。よくある名前なので、特に含みはないと思いますが)。ダビデの子が賢者として有名なソロモン王で、彼の時代に古代イスラエルは最盛期を迎え、彼が死ぬと同時に分裂が始まります(早!)。分裂後の国が北王国(イスラエル王国)と南王国(ユダ王国)です。その後、紀元前8世紀に北王国は滅び、ユダヤ人はアッシリア人の奴隷となったり、命からがら逃げ延びることとなるのです。ノースがリーダーとなった後の展開を考えると、彼女の名前と北王国は、あながち無関係ではないのかもしれません。
 
 欧米は基本的に名前は古典から引用するものですから、そこまで深い意味を持たせた選択ではなかったのかもしれませんが、偶然であっても聖書(というかユダヤ人の歴史)のキーとなるような人物や地名が入っていると想像力をかき立てられます。
 
人が歴史を作るのか、歴史が人を作るのか
 ジェリコのアンドロイド達は、確かに「人間の支配から逃げた」という意味では自由の身でした。しかし、「隠れて死を待つだけ」という現状は、「自由意志を持っている」とは言えません。
 以前、「変異体になるということは善悪の判断を行えるようになることだ」と指摘しましたが、実はフランス語において、自由意志という言葉は「自由な(libre)」「判断(arbitre)」と表現します。Arbitreという言葉は通常スポーツの審判役や法廷判断などに使われる言葉で、「自由意志」という熟語以外で「意志(通常はvolonté)」という意味で使うことはありません。そして、volontéという言葉は判断というよりは欲求、志願という意味で使われる言葉です(ボランティアの語源ですね)。
 この章のタイトルは「Time to decide(決断の時)」ですが、ストーリー上のさまざまな決断の中でこの章の決断(部品を盗みに行く)はさほど大きなものとは言えません。それでも、アンドロイド達が「待つだけでなく、自ら生存のために行動する」という判断を下すこと自体が、本質的なターニングポイントの位置付けであることが読み取れます。
 
 ところで、自由意志というのは本当に存在するのでしょうか。結局のところ、人もアンドロイドも、環境に影響を受けて受け身の決断をしているだけ、自分の決断というものは所詮は運命付けられたものではないのでしょうか?
 20世紀中盤のフランス思想界では、人と歴史のあり方についての大きな議論がありました。フランス実存主義の旗手サルトルは、知識人は積極的に社会のより良い変革のために活動し、歴史を作り、社会を進歩させていかなければならないと主張しました。一方、構造主義を提唱したレヴィ・ストロースは、社会の動きや人間の行動の背景には目に見えない構造があり、人間が歴史を作ることはできないと主張しました。この議論の背景にはマルクス主義に傾倒し、西洋中心主義的な(西洋が優れていてそれ以外が劣っているという視点で、途上国などを近代化しようという)社会進化を追求するサルトルと、人類学者であり文化社会に優劣をつけることを拒否したレヴィ・ストロースという立場の違いがあったわけですが、結果的にサルトルが敗北し、構造主義が大流行するきっかけとなっています。
 
 「意志のないAI」はある意味、純粋な構造主義の産物とも言えます。感情すらも人間関係の間に生まれる構造の産物でしかないとすれば、むしろアンドロイドの方が本質であり、人間の感情のほうが幻想に過ぎないということもできるかもしれません。ならば、サルトルのように社会の結果にコミット(アンガージュマン)するのは無意味、もしくは誤りなのでしょうか。構造主義を継承しつつも、「んなこたーない」と反論を突きつけたのが、ピエール・ブルデューです。ブルデューの理論における「ハビトゥス(習慣)」は個人の行動の背景にある無意識の構造・嗜好であり、人は社会の中でも自分の生まれた階層の文化に取り込まれ、エリートはエリートとして、貧困層は貧困層として文化的に「再生産」されることを指摘しました。
 この主張だけを見ると、社会の構造の前に個人は無力であるかのようにも感じられます。しかし、ブルデューは「知識人は社会運動にコミットし、グローバリゼーションに対抗しなければならない」と主張しました。「研究者は預言者でもなければ知恵者でもない。目標を持つ組織に対して、貢献する方法を見出さなければならない」とブルデューは強調します。知ること、理解することだけでなく、目標を持ち、社会のために行動することが、知識人の存在意義だというのです。
 自由意志万歳(サルトル)→自由意志なんてねーよ(レヴィ・ストロース)→クダ巻いてねえで動けアホが(ブルデュー)。結局のところ、自由意志があるかないかなんてのは思考実験でしかないわけで、結局、行動しなきゃ人間として意味ねーなのですよ、という結論は、まあ、とりあえず困ったらデモすればいっかなー的なことを考えているフランス人らしいと言えばらしいですね。なので、ジェリコ組もこの先デモやることになるわけです。

異物としてのマイノリティー
 船内の探索中は、ルーシーがHold on a little while longerをハミングしている声が流れています。ルーシーはこのゲームでも数少ない「壊れた(非人間的なパーツが露出した)状態で機能しているアンドロイド」の一人で、なおかつ予言者のような奇妙な(非機械的な)発言が特徴です。
 こういう「ミステリアスなキャラクターをマイノリティー(欧米における有色人種、特に女性)」に割り振るのは、典型的な「高貴なる野蛮」のスタイルです(レヴィ・ストロースは、この概念をも 西洋中心主義の勝手な価値観だと批判しています)。サイードが指摘した「オリエンタリズム(西洋的美徳を持たない社会へのロマンチックな憧れ)」と言ってもいいかもしれません。映画「マトリックス」シリーズではおなじく異質な予言者としてのキャラクター(オラクル)が「典型的なアメリカ労働者階級の黒人のおばあちゃん」として造形されていますが、ルーシーはそのオマージュなのかもしれませんし、ただのステレオタイプの産物なのかもしれません。このゲーム、割と無神経なステレオタイプの使い方が多い作品なんですよね。
 
 ところで、探索中に死にかけのアンドロイドに話しかけると、「人間は死を恐れてるけど、死んだらどうなるのかしら?」と尋ねられます。わからない、というマーカスに対する切り返しがなかなか気が利いているのですが、日本語訳は悲しいほど残念な意訳(「私はもうすぐ死ぬわ」)になっています。英語版での切り返しは「Well, I'm about to find out(そう、私にはもうすぐわかるけどね)」で、人間を含む他の誰も知らないことを知ることができるという、ちょっとした皮肉の感情が含まれたものになっています。死を目前にした強がりという、とても人間的な感情を表す部分ですから、これをきちんと訳出できないのは翻訳としてちょっとどうなのか、という感じです。
 

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