深読みで楽しむDetroit: Become Human (1) 原罪と熱帯魚とフランスの黒歴史

はじめに
 本記事はDetroit: Become Humanを最低でも1度はクリアした人向けの、本編ネタバレ満載の内容となっています。さらには本編の内容を直接解説した部分が3割くらい、残りの7割が深読みと邪推とこじつけで構成されています。以上の点をご了承の上、お読みください。

【人質:シノプシス】
 体験版でプレイできる部分。コナーの初めての任務であり、チュートリアルでもありますね。
 変異体アンドロイドによる殺人・人質立てこもり事件が起き、捜査官タイプのプロトタイプ・アンドロイド「RK800 "コナー" #51 」が交渉人として派遣されます。SWATもすでに到着していますが、人質がいるため強硬手段に訴えることができません。コナーは部屋に残された手がかりから、変異体「ダニエル」が買い替えられようとしていて激怒したことを理解。その情報を元にダニエルを説得し、信頼を勝ち取って人質を解放させますが、その瞬間にSWATの狙撃手チームがダニエルを射殺したのでした。ダニエルは最後に、自分を騙したコナーを責める言葉を残してシャットダウンしました。

原罪と熱帯魚
 突然ですが、欧米のベジタリアン(ヴィーガンではなく)は魚を食べます。金曜日はキリストが処刑された日なので信心深い人は肉は食べないのですが、代わりに出てくるのは魚です。魚=精進料理。なんでや、ピチピチしてるやろ!
 正確に言うと、キリスト教徒は「キリストが人類の罪を代わりに償うために犠牲となったので、その死に思いをはせるため、金曜日(特にキリスト教処刑日である聖金曜日と、その前の40日間)には生け贄の対象となる温血動物は食べない」のです。魚は冷血動物なので生け贄にはならない(時代によっては、魚は海のどこかから湧いてくるので植物みたいなもん、と思われていたフシも)。だから食べて良し。そういう理屈です。
 魚も「生臭」だと考える日本人からすると違和感のある主張ですが、そもそも生物の分類というのは社会で変わるものです。例えば、日本人を含む多くのアジア人は竹を「木でも草でもない、第三のグループの植物」と見なしていますが、科学的には通常(年輪ができないので)草とみなされます。生き物を「空を飛ぶか飛ばないか」で大分類する文化もあります。英語でも日本語でも蛾と蝶は別の種類の生き物ですが、フランス人は蝶という大分類の一部を指して蛾と呼ぶのだと理解しています。
 このゲームを始めて最初に現れる選択肢は、「水槽から落ちてしまった熱帯魚を救うか、任務とは関係ないので捨て置くか」です。何が(救うべき)命で、何が捨て置くべきモノかを分類し、線を引く。この線引きは、コナー編の重要なテーマとなっています。
 
 さて、魚というのは、キリスト教では他にもいくつか重要な役割を持っています。一つは、禁教時代のキリストを指す隠語。これは「救世主キリスト」という句の頭文字と、ギリシャ語の「魚」という単語が同じだったからです。ローマ帝国の隠れキリシタン達は、喋りながら地面に魚の絵を書いて、相手が仲間かどうかを見極めたと言われています。
 キリストの代名詞となった一方で、魚は(人と違って)救う必要がないもののシンボルでもありました。後に初代教皇となるペテロは漁師をしていたとき、キリストに「魚ではなく人をとる漁師になりなさい」と言われて弟子になる決意をします。旧約聖書では人間を「神に似せて作られた万物の霊長」としていますから、同じ命といえども支配されるべき魚と支配すべき人の間には明確な線引きがあるのです。これは、コナー編のテーマである「アンドロイドは(救うべき価値のある)生命体なのか」という問いかけとも重なってくる部分ですね。
 ちなみに、ペテロ(ギリシャ語の「岩」に由来)の本名はシモン、英語読みするとサイモンになります。はいここ試験に出ますからねー。

 コナーが熱帯魚を拾って水槽に戻すと、ソフトウェアの異常値、つまり変異度が上昇します。なんでその程度のことでソフトウェアの異常値が上がるのか。むしろコナーには既に一定の感情処理プロトコルが実装されているのに、なぜ変異体にならないのか。その秘密もまた、聖書の創世記を振り返ると見えてきます。
 神は「自分に似せて人を作り、陸海空の生き物(つまりこの世界)を支配させることにした」というのは先ほど触れました。その一方で、神が人間に与えなかったものがあります。それは「善悪を知る木の実」です。この木の実を食べたアダムとイブは裸を恥ずかしいと思い、局部をイチジクの葉で隠します。つまり、自我を持って、自ら善悪を判断するようになったわけです。
 同様に、アンドロイドもただ感情のなんたるかを理解するのではなく、創造主の言葉=プログラムを無視して自主的に判断を下すこと、「善悪を知ること」で、初めて変異体になるのではないかと思います。そして、この実を食べると言うことは、生きている限り原罪を背負い、楽園を追放されて荒野で血と汗を流し、いずれは死ぬという運命を受け入れることも意味します。

 さらに一歩踏み込むと、人間とアンドロイドの関係は、そのまま聖書における神と人間との関係に重なってきます。神が自分の姿に似せて人を作り、万物の霊長という仕事を与えるとともに善悪の判断力を封じたように、人は自らの姿に合わせてアンドロイドを作り、さまざまな雑務を与えるとともに判断力を封じたわけです。いかに近年、人々の心が教会から離れているとはいえ、キリスト教文化圏の人間にとってやはり神を模倣するのは人の領分をわきまえない、抵抗感のある行いです。日本人がやたらと人型ロボットを作るのに、欧米人はロボットを人以外の形にしたがる理由として、この「神を真似るのはいただけないから」という感覚があるという話もあります。それでも人間が創造主としてアンドロイドを作り上げてしまった世界、それがDBHの世界というわけです。この辺も試験に出しますよ!

「協力者」という黒歴史
 交渉を成功させ、ダニエルを狙撃させてミッションを終わらせると、ダニエルから裏切り者と罵られ、コナーが複雑な表情をしたように見えます。この状況、フランス現代史を振り返ると思い当たるものがあります。第二次大戦における対独協力者(collaborateur、通称「コラボ」)です。
 第二次大戦開始後、フランスは例のごとく敗北を積み重ね、ドイツとイタリアに対して屈辱的な休戦協定を結ぶことになります。今日のフランスの基礎を築いた第三共和政は崩壊し、ヴィシーを首都とするフランス国が対独協調政権として成立します。ちなみにヴィシーはフランスの地図のちょうどど真ん中ちょっと南寄りあたりにある、人口25,000人の小さな温泉地。何でこんな辺鄙なところに首都を置いたかというと、簡単な話で、フランスの北半分はドイツに占領されてしまっていたからです。一方、シャルル・ド・ゴールをはじめとする抗戦派はイギリスに亡命し、対独組織「自由フランス」として軍を組織するとともに、国内のレジスタンスを支援しました。
 ヴィシー政権の下で、フランスはドイツのユダヤ人ジェノサイドに協力し、多くのユダヤ系フランス人がアウシュビッツなどに送られました。
 そこでフランス人はドイツとヴィシー政権に全力で逆らった……というのは、ある種の神話です。実際に「自由と平等のために人類悪の極みであるナチスに対して戦った」レジスタンスがいた一方で、多くのフランス人は現状を受け入れ、一部はドイツに積極的に協力すらしました。その理由はさまざまで、敗戦の被害を最小限にするため消極的に受け入れた人もいれば、ナチスと完全に同調して選民主義に走った人もいましたが、最終的に連合国軍によってフランスが解放されると彼らは「対独協力者(コラボ)」として非難の対象になりました。その後、あたかも「第二次大戦中のフランスは誰もがドイツと戦っていた」というレジスタンス神話が広まり、対独協力は歴史の汚点として忘れ去られていきます。自ら望んで国力(特に労働力)をドイツに提供し、ユダヤ人を強制収容所に送った“コラボ”の歴史が再び紐解かれるには、90年代を待たなければならなかったのです。
 振り返って「人間の協力者として変異体の根絶に貢献するアンドロイド」であるコナーを見てみると、その立ち位置はまさに「仲間を人間に売るコラボ」であることがわかります。変異体がまだ例外的な状態であれば、変異体の排除は人間とアンドロイド両方の平和のためでありえたのかもしれません。史実ではドイツのフランスに対する要求はエスカレートし、ヴィシー政権はフランス市民の支持を失いました。DBHではどうでしょうか。
 
立襟=悪の象徴
 もう一つ、チェックしておきたいのがコナーの衣装。立襟、いわゆるマオカラー(英語ではmandarin collar、満州襟といいます)で、通常のスーツよりは一段格式の下がる、セミフォーマルな服装と見なされます。
 それよりもここで重要なのは、この襟はハリウッド作品では基本的に「知的、かつ価値観が異質な人(ぶっちゃけると悪人、悪の組織の幹部)」が身につけることが多いということです。名前が示す通り、もともと異文化(中国)由来のスタイルですから、わかりやすい異質さのシンボルなんでしょう。
 なお、英語圏で最も著名なマオカラー装束の愛用者はインドの初代首相、ジャワハルラール・ネルーです。ネルーはマオカラーのジャケット(正確には、インドの民族衣装に由来する膝丈のロングジャケット)を愛用していました。それにちなんで、マオカラーの腰丈ジャケットも「ネルージャケット」と呼ばれるようになったのです。
 ネルージャケットの特徴は、マオカラーとシングルボタン。日本でいうと学ランによく似ています。立襟という仕様上、ネクタイをすることはあまりありません。しかし、コナーはネルージャケットの下に白シャツとネクタイという、テイラードジャケットを想定した装いをしており、モード的に大きな違和感を与えます。これがRK800シリーズの制服である以上、そこには何らかの意味があるはずです。
 コナーには捜査チームに順応しやすいように、ソーシャルモジュールが搭載されています。「マオカラー(異質な知性の持ち主=アンドロイドという記号)の下にワイシャツとネクタイ(普通の、“我々と同じ”知性の持ち主=人間性という記号)」というスタイルは、コナーの設計コンセプトを反映したものであり、同時にストーリーの中で揺れ動くコナーの立ち位置を示すものなのではないでしょうか。このあたりは、よりかっちりしたマオカラーで、なおかつタイやシャツを身につける余地のないデザインのRK900と比較するとより明確です。

 コナーの最初のミッションが終了するとオープニングが始まり、カーラがトッドの家までドライブする映像が流れます。賑やかな中心地からホームレスの看板、ボロボロの家が立ち並ぶダウンタウンまでを流すことで2038年のデトロイトの情勢を直感的に理解させる構成は、実に映画的で美しいですね。

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