深読みで楽しむDetroit:Become Human (17) Can you pet the dog?

はじめに
 本記事はDetroit: Become Humanを最低でも1度はクリアした人向けの、本編ネタバレ満載の内容となっています。さらには本編の内容を直接解説した部分が3割くらい、残りの7割が深読みと邪推とこじつけで構成されています。以上の点をご了承の上、お読みください。

「ロシアンルーレット」シノプシス
再びアマンダに呼び出されたコナーは、捜査の進行について尋ねられる。「いかなる対価を払っても問題を阻止しなさい」と命じるアマンダ。新たな事件の報告を受けて、コナーはハンクの自宅を尋ねる。


英国式庭園(なお中華)
 この日のゼン庭園は雨が降っています。ヨーロッパでは、雨は冬から春というイメージがあるので(基本的に、日本とは逆に、夏は乾燥していて冬が湿っている)、ちょっと季節感が混乱してしまいます。その雨の中、アマンダは庭園の散策を提案し、ここで初めてコナーは持っていた傘をさします。ということは、この時点でコナーはアマンダを人間(少なくとも非アンドロイド。これはフランス語だと敬語で話していることからも推測できる)とみなしていると考えられます。

 さて、この庭の設計ですが、睡蓮が浮かぶ庭や池にかけられた橋、咲き乱れる花々などは、ジヴェルニーにあるクロード・モネの庭を思い出させます。この庭園のスタイルは「英国式庭園」、フランスでは「英国式中華庭園」と呼ばれるスタイルで、パリのモンソー公園がその代表格です。
 英国式庭園はそもそもフランス式庭園のアンチテーゼとして創出されたものなので、その意味合いを理解するにはフランス式庭園を理解する必要があります。フランス式庭園とは、庭を幾何学的に造形し、なおかつ王(主君)の居場所から全てを見通せる形に作られた庭園のことで、とにかく真っ平ら、無駄にひらけてる、やけに角ばってるというのが特徴です。もっとも代表的なフランス式庭園はヴェルサイユ宮殿ですが、パリ市内だとシャイヨー宮からエッフェル塔を経て旧士官学校(エコール・ミリテール)に至るシャン・ド・マルス(「軍神の庭」、旧練兵場)一帯がとてもわかりやすくその精神を示しています。
 旧士官学校軍議室の窓は、ちょうどシャン・ド・マルスの正面に位置しています。大きく長方形にひらけている庭園の奥に(エッフェル塔は後付けですが)セーヌ川が流れ、左右対称形のシャイヨー宮と噴水がある作りです。これは、軍議をはかる王の目から全てが合理的に見渡せるという権力の象徴なのです。また、庭自体が幾何学的にできているのは、科学・論理(=人間の知性)による自然の支配を意味しています。

 ここでまた旧約聖書に戻らなきゃいけないんですが、週が7日なのはなぜでしょうか。どうして5や10みたいな数えやすい数にしなかったんじゃい。実は、これはユダヤ教の成立時における、ユダヤ民族のアイデンティティに端を発します。
 ユダヤ人というのは当初、民族・血族というよりは、「唯一の神を信じる民」という宗教的アイデンティティを元に構成された集団でした。彼らが自分たちのアイデンティティを確立するに当たって、「俺たちは他の民族とは違う」という否定的な形で自己を定義していったのです。しかも、その違いは、文化を形而上的に定めることでした。
 ユダヤ人の周囲にいた多くの民族は季節や天候といった環境要素に暦を支配されていました。例えば1カ月というのは月の満ち欠けの一周です。だがしかし!ユダヤ人(というかユダヤの神ヤハウェ)は指の数5でもその倍10でもない、なんかややこしい7とかいう数で1週間を定めた!7という数字で暦を刻むことは、人類の知性が自然の掟を凌駕し、自然を支配するという証明なのである!!!!!なので自然に支配されているその辺の異教徒より、ユダヤの民は優秀で知的だと言える!!!……というのが、大雑把な主張です。
 この主張は同様に食のタブー(コーシャー)にも展開され、何を食べていいとかよくないとかいうルールも「蹄が割れていて、反芻する生き物ならOK」という、概念によって定められています。実際のところは普段食べているものを分類した結果そうなったのを、「われわれはかしこいので科学的に知っていました!!」とひっくり返したのだと思いますが、この「人間にのみ与えられている知性によって、神に委任された地上を支配する」というのはのちの人知主義、科学至上主義につながっていきます。幾何学的で自然っぽくないフランス式庭園は、その思想の延長上にあると言えるでしょう。

 一方、英国式庭園は、そんなフランス式庭園へのアンチテーゼとして生まれました。曲がりくねった遊歩道と生い茂る森、人口の川や池、そして東屋などの建築は、中国式の庭園にヒントを得たものです。英国式庭園がもたらした「自然に近い景色」は、18世紀以降、ヨーロッパ各地に急速に広まっていきます。
 フランスでは19世紀、ナポレオン3世の治世下でジョルジュ・オスマン知事により大規模なパリ再開発が行われ、あらゆるスラムが破壊されていまのような(そこそこ)美しい街ができるのですが、その時に作られた多くの庭園(ブローニュの森、ヴァンセンヌの森、モンスーリ公園、モンソー公園、ビュット・ショーモン公園など)は英国式庭園となり、それ以前に作られていた貴顕のための庭(上記のシャン・ド・マルスのほか、現在のチュイルリー庭園、リュクサンブール公園など)とは全く違う風景をパリにもたらしました。
 DBHにおける19世紀的な、もっというなら「第三共和国的な」文明観の重要性についてはここまで幾度か触れてきましたが、ゼン庭園についても例外ではなく、近代的な「人の知性の美しさ」を象徴する場として描かれていると言えるでしょう。
 
You can pet the dog in Detroit:Become Human
 呼び鈴を押しても返事がないので窓から確認すると、ハンクが昏倒しているのが目に入り、コナーは窓を割って侵入することにします。即座にセントバーナードのスモウ君に襲われますが、名前を聞いていると大人しく解放してもらえます。
 「スモウ」という単語は、実はフランス人にはよく知られています。というのも、第22代大統領ジャック・シラク(1995-2007)が日本人との間に私生児をこしらえる程度の日本びいきで(日本人との私生児についてはその前のミッテランもなんですが)、彼の愛犬の名がスモウだったからです。なお、こちらのスモウはマルチーズで、精神不安定で度々シラクに噛み付き、病院送りにしたこともあるそうです。一時は抗うつ薬づけだったらしいし、世の中わかんねえな。
 相撲を好んだシラクのせいで、ケーブルテレビのスポーツチャンネルではフランスだけ相撲が流されていたり、パリ領事の一番の仕事は場所中、毎朝エリゼ宮に前日の取組結果を報告することだったりしました。ちなみにこのシラクとかいうおっさん、来日時に土偶と埴輪の違いを日本人に対して延々語ったとかいうどうしようもない日本オタです。
 ハンクの状態を確認したコナーは彼を担いでバスルームに連れて行こうとします。この時、抵抗するハンクに対して「ご協力いただけますね」と言っていますが、英語やフランス語ではもっと慇懃無礼に、「ご協力に感謝します(Thank you for your cooperation)」という言い方をしています。「ご協力いただけますね」だと仮にも相手の意思を確認していますが、「ご協力に感謝します」だと相手の意思を完全無視しているわけで、ここはちゃんと直訳した方がコナーの「ソーシャルモジュールがあっても機械らしい立ち居振る舞い」を表現できてよかったんじゃないでしょうか。なんというか、一見日本語としては自然なんだけど、本来の意味合いやニュアンスを無視した誤訳が多いんですよねこの作品。
 ハンクに服を渡した後、部屋を見て回ることができますが、スモウを撫でる時の微妙なコントローラーの振動はよくできてるなーと思います。このゲームでも屈指の感動場面です。

死の影
 部屋の探索を通して、ハンクの背後に影を落とす死の気配が見えてきます。一つ目は章のタイトルにもなっている「ロシアンルーレット」。リボルバーに一つだけ球を込めて弾倉を回転させ、自分の頭に当てて引き金を引くゲームです。コナーはこの行為から「ハンクには自殺の傾向がある(かもしれない)」という情報を記録します。以前の章で、戯曲「ゴドーを待ちながら」において「来るとも知れない未来を待ち、ついには待ちきれずに自殺を試みてなお失敗し、待ち続ける」という行為があることに触れましたが、ハンクの行動はそれと似通っています。
 もう一つの死の気配は、息子コールの存在(事故死)です。この時点ではすでに死亡しているということしかわかりませんが、ハンクとコナーの関係が、ハンクのコール(の死)に対する思いに強く影響されていることについては、今後も繰り返し言及されます。コナー編はコナーのストーリーのようであって、実はハンクのストーリーで(も)ある、というのは、この先ゲームを進めるほどに明確になってきます。DBHは基本的にアンドロイドが主役となっている物語ですが、コナー編がやや特殊なのは、ある意味ハンクとコナーの「ダブル主人公」のストーリーとして構成されているからなのかも知れません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?