深読みで楽しむDetroit: Become Human(29) ジェリコは七日にして陥ちぬ(※5日です)

はじめに
 本記事はDetroit: Become Humanを最低でも1度はクリアした人向けの、本編ネタバレ満載の内容となっています。さらには本編の内容を直接解説した部分が3割くらい、残りの7割が深読みと邪推とこじつけで構成されています。以上の点をご了承の上、お読みください。

『交わる運命』シノプシス
 マーカスたちは犠牲者を出した大行進の次の一手について議論していた。そこに、カナダに脱出するための偽造パスポートを求めるカーラ一行と、ジェリコの場所を突き止めマーカスの捕獲を命じられたコナーが到着する。一方で、ジェリコの場所を知ったFBIは強襲を準備していた。

「収容所」の不吉な響き
 この章の冒頭で、初めて「キャンプ(収容所)」という言葉が出てきます。正式名称はリコールセンターですが、この時点で既にナチスのユダヤ人絶滅収容所の方が頭にあるのが丸見えです。
 いわゆる強制収容所としては、アメリカでも南北戦争の捕虜収容所や、第二次大戦時の日系人強制収容所などもあるわけですが、その辺は世界的にはあまり知られてもいないし、欧米人の琴線にも触れがたいということでしょう(日系アメリカ人については、ブリュイエール解放戦で多数の死者を出しつつ奮戦した442歩兵連隊の方が、フランスでは知られているかもしれません)。
 ちなみに、日系人の強制収容に立ち向かって一時は有罪となり、1980年代になってようやく名誉が回復されたフレッド・コレマツ氏は、1948年にデトロイトで白人女性と結婚しています。当時はまだ人種間結婚を法律で禁じていた州もある中、デトロイト、つまりミシガン州では人種間結婚が認められていたのです。こうやって、アメリカ史における自由への戦いでちょいちょい名前が出てくるあたり、やはりデトロイトって独特な位置付けの場所なんだなと思います。
 
 さて、ユダヤ人の強制収容に話を戻します。
 フランス革命以前、フランスではユダヤ人が植民地の有色人種以上に差別されていました。中世にはフランスから追放されたこともありますし、啓蒙思想家すらユダヤ人は人間ではなく、「考える獣(ヴォルテールの表現)」とみなしていたのです。
 ユダヤ人の扱いは、フランス革命を経て一変します。ナポレオンがユダヤ人にフランス市民としての地位を認めることと引き換えに、固定された苗字の導入など、キリスト教社会であるフランス文化への同化を受け入れることで、ユダヤ人は正式にフランス社会の一員となりました。もちろんその後もユダヤ人差別は続くのですが、王政復古、7月王政(オルレアン朝)、第二共和制、第二帝政(ナポレオン3世)、世界初の労働者独裁政権であるパリコミューンを経て第三共和国に至ると、エリート層の中で「宗教は何かとトラブルの元になるから、公共空間から宗教を締め出そう」という合意が出来上がります。こうした動きには、カトリック、プロテスタントおよびユダヤ教の進歩派と、フリーメーソンのフランス分派が絡んでいました。
 フリーメーソンというと、日本では「なんか怪しいことをしてる秘密結社」というイメージがありますが、フランス第三共和制では歴代閣僚の3割くらいはフリーメーソン(フラン・マソン)だったと言われるくらいには認知された存在で、普通にテレビでインタビューされたり(インタビュアーが「おたくは秘密結社なんですか?」と聞いて、総長が「はっはっは違いますよ〜」と答えるやり取りはお約束)、雑誌で特集されたりするレベルです。
 しかも、フランスをはじめとするラテン諸国で最有力のフリーメーソン分派(グラン・ドリアン、東方社)は無神論を奉じており、「とりあえず神を信じることが条件」である本家英国のフリーメーソンからは破門されているという変態っぷりです。彼らは当時の3大宗教の指導者たちとともに、フランスに「無宗教教(Religion Laïque)」と呼ばれることもあるほどの強力な政教分離理念を導入しました。宗教より共和国の理念の方が偉い!というこの定義により、フランスではかつて「ユダヤ人・ユダヤ民族」とされていた人たちは、「ユダヤ教徒のフランス人」と位置付けられることになったのです。
 余談ですが、よくフランスにおける異文化排斥のように語られる「イスラム教徒女性の公立学校でのスカーフ禁止」は、この「公共空間における宗教の排除」の延長にあります。禁止されているのはスカーフだけでなく、十字架からユダヤ人男性のもみあげ、シーク教徒のターバンに到るまで、ありとあらゆる宗教的シンボルなのです。

 それでもユダヤ人憎悪があっさり消えたわけではなく、むしろしばらくは盛んでした。その象徴とも言える事件が、1894年に起きた「ドレフュス事件」です。
 ドイツ陸軍の士官宛に送られた、フランスの軍事機密が山ほど盛り込まれた手紙の発見が事件の発端でした。軍は手紙と筆跡が似ているという理由だけで、ユダヤ人のドレフュス大尉に終身禁固刑を宣告し、アフリカの離島に島流しにしました。軍はさらなる調査を続け、真犯人はハンガリー貴族の末裔で、フランス生まれオーストリア育ちのエステルアジ少佐であることを突き止めました。ところが、軍はそれ以上の調査をやめ、あまつさえエステルアジ少佐を無罪として、ドレフュスの再審の訴えを退けたのです。
 これがきっかけで、フランス世論はドレフュス再審賛成派と反対派に分かれて大騒ぎに。文豪エミール・ゾラは「私は弾劾する(J'accuse...!)」と題した大統領への公開質問状を、新聞の一面をぶち抜いて堂々と掲載。「ドレフュス大尉は醜い反ユダヤ主義の犠牲者だ」と糾弾しました。これによってゾラは名誉毀損で有罪とされ、一時イギリスに亡命せざるを得ませんでしたが、すったもんだがあった結果、1906年にドレフュスの無罪が確定しました。そらまあ真犯人がわかっている上、ドレフュスを有罪にできる証拠なんて全然なかったしな。なお、エステルアジ少佐はその後も一切追求されることなく逃げ切っています。
 もちろん、これでもユダヤ人憎悪がなくなったわけではないのですが、ゾラが質問状に付けた題名「J'accuse」は、その後も差別や権力の不正を糾弾し、正義を追求する姿勢の代名詞となりました。

祖国のために血を流せ
 この事件を経て、フランスの一部ユダヤ人からは、ユダヤ人国家建設を目指す思想「シオニズム」が生まれました。マーカスのテレビ演説の中に「アンドロイドのための独立国家」を求める訴えが(選択肢次第で)ありますが、これはまさにシオニズムと、それに基づくイスラエルの建国を思わせるものです。どれだけ平等が掲げられようが、差別は必ず起きるから、自分たちだけの国を作ろうというわけです。理屈としては正しいよね。ただ、そこにはすでに住民がいるということを無視すれば、だけど。
 とはいえ、フランスのユダヤ人は概ねシオニズムとは距離を取り、フランス市民として生きる道を選びました。第二次大戦が始まるまでの期間には、文学者(マルセル・プルースト)や哲学者(シモーヌ・ヴェイユ、同名の政治家とは別人)、社会学者(エミール・デュルケム)、実業家(アンドレ・シトロエン、自動車メーカー「シトロエン」の創業者)など、数々の著名なユダヤ人が活躍し、フランスの発展に貢献しています。また、第一次・第二次大戦共に、フランスに住むユダヤ系の人たちは、フランス国籍の有無を問わず、多くが軍に志願しフランス防衛のために戦っています。
 このあたり、労働だけでなく芸能を含むさまざまな分野にアンドロイドが進出しているDBH作中の世界とも通じるものがありますね。

 政治の世界では、1936年にレオン・ブルムがユダヤ系として初の首相となりました。ユダヤ人が「思考できる獣」から人間、一市民とされておよそ100年、ユダヤ系フランス人はついに行政府の長にまで上り詰めたのです。彼は戦後に国家元首(今の大統領)も兼ねる臨時政府首相を務めたので、1カ月ほどとはいえフランスの元首はユダヤ系だったことになります。
 しかし、1940年5月にナチス・ドイツの侵攻が始まると、フランスはたった1カ月で敗北し、6月には屈辱的な講和と親ドイツ政権(フランス国、通称ヴィシー政権)が成立します。ほんとお前ら戦闘よええな、なぜか最後には勝ち馬に乗ってるけどさ。。。

 ヴィシー政権は、発足すると次々とユダヤ人の権利を奪う法律を成立させていきます。まずは財産が没収され、次にユダヤ人は二級市民とされ、最後には絶滅収容所への移送と殺害。フランス国内に住むユダヤ人の5人に1人が強制収容所に送られたまま戻らなかった「ショア(Shoah/大災厄、いわゆるホロコースト)」は、大きなトラウマとしてフランス人全体の心に刻まれています。
 ちなみに、この章冒頭でマーカスが選べる決断のうち「隠れてやり過ごす」は、多くのユダヤ人が選んだ道でもありました。当初は南部の、ナチスの影響が少ない地域に避難する人が多かったのですが、大戦が激化し、フランス国内におけるドイツの支配地域が拡大するとともに、ユダヤ人たちが安全に住める場所も失われて行きました。幸い、フランス人の側でも彼らを匿ったり、ナチスのガサ入れを警告することで助けたり、といった形で抵抗する人たちがおり、多くのユダヤ人がそれによって死を免れました。クエンティン・タランティーノの映画「イングロリアス・バスターズ」なんかにも、ユダヤ人を匿うフランス人と、ナチスのユダヤ人狩りの様子が(だいぶん戯画化されて)出てきますね。そういう文脈で見ると、少し前に出てきたローズは「ユダヤ人をかくまった、正義のフランス市民」の姿と重なります。まあ、実際にはそんな善人ばっかじゃなかったんだけどな。

 しかしこの辺から、脚本はすっかり第二次大戦のレジスタンスの気分になって書いてたんじゃねーかーなーという雰囲気になってきます。当初のテーマだった公民権運動そっちのけで、第二次大戦のトラウマの方に意識が飛んでいっちまってるのが見え見えです。
 マーカスがコナーを説得してくる時の発言の一つ(選択次第)に「私が死んでも代わりはいるもの」……じゃなかった、「俺が死んでも、他の誰かが立ち上がるだろう」というものがあります。これ、まんま以前紹介した「パルチザンの歌」の一節なんですよね。もう完全に頭の中は第二次大戦、というか対独戦の文脈に切り替わっています。

裏切り者は誰だ
 旧約聖書では、ジェリコは「ユダヤ人たちが6日間、聖櫃(十戒が刻まれた石版を収めた箱)を担いで毎日まわりをぐるりと1周し、7日目は7周してから鬨の声をあげると、壁が勝手に崩れて陥落した」とされています。ジェリコを征服したユダヤ人たちは、住民を皆殺しにし、財産(家畜)も全部ぶち殺しましたが、一人(正確には1家族)だけ許された人物がいます。ユダヤ人がジェリコの街を偵察しにいった時、匿ってくれた宿の女将ラハブです(俗に売春婦だったとも言われています)。
 彼女はユダヤ人の偵察兵をかくまった上で「ユダヤ人の神が超すげーのは知ってるから帰依する。その代わりに、街を征服するとき、うちの一家だけは助けてくれ」と願い、実際に許されてユダヤの民として受け入れられ、なんとキリストの祖先となったとされています(※諸説あり)。たった一人の女性の裏切りがジェリコの街を陥落させただけでなく、のちに救世主をもたらすことになったとかおい、すげーな。
 DBHにおけるジェリコも、一人(コナー)の裏切りによって陥落します。まあ変異するのとしないの、どっちが裏切りになるのか難しいところですが、攻撃側である人間についた場合が裏切りだとすると、コナーもまた裏切ったことである意味、一族(シリーズ)が保全されることになるという意味で共通しているとは言えそうです。
 まあ聖書のジェリコは7日持ったけど、こっちのジェリコはたった5日で落ちてるんだけどな!(マーカスの変異日から計算)

「Crossroads/交わる運命」についての続きはこちら

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