深読みで楽しむDetroit:Become Human (20) いっしょ人、ひとり人

はじめに
 本記事はDetroit: Become Humanを最低でも1度はクリアした人向けの、本編ネタバレ満載の内容となっています。さらには本編の内容を直接解説した部分が3割くらい、残りの7割が深読みと邪推とこじつけで構成されています。以上の点をご了承の上、お読みください。

「海賊の入り江」シノプシス
 ズラトコの魔手を逃れたカーラとアリスは、倉庫に放置されていた車を使い、ルーサーとともに国境を目指していた。雪が降りしきり、気温が摂氏マイナス10度にまで下がる中、突如車のエンジンが不調を起こし、立ち往生を強いられる。一晩の宿を求めて、三人は閉鎖された遊園地に足を踏み入れた。


海産物の館
 「海賊の入り江」は、子どもたちに愛された「海賊」テーマのアミューズメントパークだったそうです。その割には骸骨を柱から吊るしたり、びっくりどっきり人形が置かれてたりと、ちょっとホラー風味強すぎやしねえか?

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 一晩を過ごせる場所を探す途中で、壊れかけたジェリーに近づくと、「海賊の島へようこそ!ゆっくりしていってね!(Welcome to Pirate Island, me hearties! You're gonna have a whale of a time!)」と声をかけられます。ここに出てくるme heartiesという言葉は、とりあえず文末につけると海賊っぽくなる単語だそうです。元々は船乗り言葉で、仲間の船乗りに呼びかける時に使われる人称代名詞。日本語だと、野郎ども、アニキたち、くらいのニュアンスが近いんでしょうか。映画「カリブの海賊」のサウンドトラックにも「Drink up me hearties(野郎ども、酒を飲み干せ)」というタイトルの曲がありますね。

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 また、whale of a ~というのも「すばらしい〜」というイディオムです。have a whale of a timeで「めっちゃ楽しむ」くらいの意味になります。もちろんここでwhale(クジラ)の出てくる慣用句を使っているのは、この遊園地のテーマが海(海賊)であることと掛けているのだと思われます。
 ちなみに、ヨーロッパで海賊といえば世界最古の海賊がエーゲ海から地中海にいたと言われているので、ジェリーもフランス語では地中海訛りだったりしないかなーと思っていましたが、あんまりそういう喋り方じゃありませんでした。残念。
 
 さて、この章の最後には海産物メリーゴーランドが登場しますが、実はフランスには、とても有名な海産物メリーゴーランドが実在します。西部の都市ナントに拠点を置くロボットアート集団La Machine(「機械」の意味)のアトリエ兼アトラクション施設「Les Machines de l’île(中洲の機械庭園)」にある、その名も「海洋世界のメリーゴーランド」です。私は外から眺めただけなんですが、3階建ての巨大な機械仕掛けのアトラクションで、あらゆる海洋生物に乗れる(?)し微妙にキモいという、実にフランス人テイスト溢れるファンタジックな空間に仕上がっています。
 このアトラクションを運営するLa Machineはもともと生物をモチーフにしたメカメカしいロボットを作って大道芸イベントで動かす出し物をやっていた企業で、日本でも2009年の横浜開港150周年記念イベントでパフォーマンスを行っています。人が乗れる巨大マシンが目玉の一つで、人が大量に乗れる巨大メカ象や、子どもを乗せて動き回る昆虫・鳥などが、実際にお客さんを乗せてくれます。
 ナントという街は、フランスのアメリカ大陸における植民地経営の拠点となった都市でもあります。フランスはナントを欧州・アフリカ・アメリカを結ぶ三角貿易の拠点としました。もっといってしまえば、黒人奴隷貿易のフランスにおける拠点がナントだったのです。フランスが関与した奴隷貿易の4割強、18世紀だけで45万人の黒人奴隷が、ナントを拠点とする船によってアメリカに運ばれました。現在のナントには、その黒歴史を記憶するべく「奴隷制廃止記念館」が存在します。
 黒人奴隷解放の歴史を追うテイストの強いカーラ編において、黒人奴隷のアナロジーであるカーラたちが、フランスの黒人奴隷貿易拠点を思い出させるアトラクションでひとときの安らぎを得る。どこか皮肉な感じがするのは、気のせいでしょうか。

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いっしょ人、ひとり人
 異世界転移無双小説、いわゆる「なろう系」の金字塔として世界中で愛される小説の一つに、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」があります。学校でいじめられていた冴えない主人公が異世界に召喚され、その世界の神とも言える全能の女王に「何でもやりたい放題できる力」を与えられて異世界の英雄となり、周りの人にひたすらちやほやされるという、今時のネット小説のお約束を完璧に網羅した、先見の明ある名作です。
 さて、主人公のバスチアン、わかりやすく「イキリ黒歴史太郎」とでも呼びましょうか、彼が物語の終盤で出会う人々に、霧の海を渡る「イスカールナリ」という船乗りたちがいます。イスカールナリは「いっしょ人」という意味の名称で、実際に彼らの間には個の概念がなく、なんの隔たりもなく互いを受け入れることができると同時に、一部の個体が失われることに何の感情も抱かない、文字通り全員が一心同体の存在として描かれています。
 作中のジェリーも同様で、基本的に「僕たち(we)」を主語に話し、互いの情報共有もかなり密に行っているようです。もしかするとこれは、遊園地という職場の特殊性を踏まえた保安装置なのかもしれません。つまり、迷子になったり、怪我をしたりした子どもの情報を素早く共有し、迅速・安全に保護するという目的があるために、こうした機能が付いていた可能性があるのではないかと思うのです。

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 これまで散々、「アンドロイドが変異するということは、かけがえのない個に目覚めるということ」だと語ってきましたが、ジェリーは常に自分たちを「一人称複数」で語り、互いの情報も共有しているなど、他の多くのアンドロイドとはことなる、まさに「いっしょ人」のような変異体であるのは印象的です。「はてしない物語」の中でも、イキリ黒歴史太郎くんは当初、垣根なく互いを受け入れている「いっしょ人」に憧れますが、最終的には自分をかけがえのない個人、つまり「ひとり人」として受け入れてくれる誰かを求めるようになりますが、作中のアンドロイド変異体も、「自ら固有名を持ち、かけがえのない個となりたい」という要望によって変異しています。交換可能なアンドロイドではなく、家族の一員になりたかった(なったと信じていた)、最初の変異体ダニエルが、まさにこうした「ひとり人」の変異体ですよね。
 カーラ編ではラルフもまた、精神の統合ができていない特殊な変異体でした。また、この先カーラ自身の変異体としてのアイデンティティを問われる場面も出てきます。そう考えると、カーラ編は他の二人の主人公よりも内面的に、アイデンティティとしての自己を問う物語だと言えるのかもしれません。
 ちなみに以前、redditのDBH掲示板で、「ジェリーと交際したらポリアモリー(同時に複数の恋人を持つ性的嗜好)になるの?」という質問があって、面白かったです。私は「ジェリーの場合、自我=魂は一つなのだから、躯体が複数あっても恋愛対象は一人ってことになるんじゃないかなー」と回答しましたが、皆さんのお考えはどうでしょう。
 
悲しみの赤毛連盟
 ジェリーの「いっしょ人」としての特性が、子どもが大勢訪れるアミューズメントパークならではのセキュリティ面の機能だとすれば、ジェリーの躯体のつくりは子どもの相手をするアンドロイドとして明確に設計されています。
 最終章をクリアすると、一部のアンドロイドはギャラリーで素体状態を見られるようになりますが、ジェリーのお腹周りはよく見ると他のアンドロイドよりちょっとふっくらしています。これは子どもたちがボディコンタクト(つまり体当たり)をしてくることを想定して、クッション材を少し厚めにしているからかもしれません。
 それに加えて注目すべきなのは、彼らの髪の色です。オレンジ色に近いですが、いわゆる「赤毛」と言われる色です。赤毛に分類される髪色は、赤茶色から錆色まで、かなり幅広いものとなっています。
 「赤毛」はヨーロッパの歴史の中で、不遇をかこつことの多かった身体的特徴です。基本的にはアングロ・サクソン系、特にスコットランドなどに多いのですが、赤毛を持つ人物は、感情的、短気、暴力的、口が悪い、性欲が強いなど、よく言えば野生的、悪く言えば動物的(野蛮)な性格だというステレオタイプがあるのです。さらに遡れば、赤毛の人間は魔女や吸血鬼、あるいはユダヤ人(!)だとされ、特にキリストを売り渡した裏切り者ユダは赤毛だったと信じられてきました。他にも、宗教画の中で娼婦として描かれるマグダラのマリアも、赤毛とされることが多いようです。そういえば、エデン・クラブのトレイシーの中にも、赤毛の子がいますね。
 赤毛に対する迷信は根強く、かつてスペインでは赤毛だというだけで魔女裁判にかけられるほどだったと言います。また、現代でも、「赤毛だったから」という理由だけで殺される事件が起きることがあります。物語の終盤で、カーラはまさにジェリーが「魔女裁判」にかけられて殺されそうになるシーンを目撃する(可能性がある)わけですが、DBHが黒人差別と同時にユダヤ人虐殺をも念頭に置いたストーリーづくりをしていることを考えると、ジェリーの赤毛が意味することもつい考えてしまいます。
 
 こうした「赤毛への偏見」は、フィクションの世界にも影響を与えています。たとえばシャーロック・ホームズシリーズ初期の短編「赤毛連盟」は、ホームズに相談に来る赤毛の人物が、「とある赤毛の富豪が、社会で不遇をかこっている赤毛の仲間のために、楽してお金を稼げる仕事を提供する」という話を真に受けたことから始まります。また、ディズニーのアニメ映画「人魚姫」のヒロイン、アリエルは二次元とは言え赤毛であり、アリエルが赤毛だったことで勇気を得た赤毛の子どもたちがたくさんいたことが知られています(そのため、実写化でアフリカ系の歌手が抜擢された時に、「赤毛の子どもたちのロールモデルを奪うのか」と大バッシングが起こりました。同時に、アリエルに勇気をもらって育ったという赤毛の大人たちからは、「私たちがアニメのアリエルにもらった勇気を、アフリカ系の子どもたちに届けたい」という支持の声も上がっています。)

 さて、赤毛には悪いイメージがあると言いましたが、いくつか良いイメージもあります。それは、悪いイメージをもたらした「炎のような力強さ」のもう一つの側面、若々しさや生命力、明るさです。若々しいというイメージのために、わざわざ髪を赤く染める人もいるといいます。
 ギャラリーを見ると、ジェリーは「明るい性格で、子どもたちに好かれやすい」とされています。こうした性格や、子どもたち、つまりより幼く、元気一杯のホモサピの雛の相手を得意とするといった性質から、逆説的にジェリーの髪が赤毛になったということも考えられます。
 つまり何が言いたいかというと、ジェリーかわいいよジェリー。和平エンド後は、道端で子どもが喜ぶやいなやどこからともなく現れて、無意味にお祝いするフラッシュモブをやらかしてぽかんとしてる子どもをよそに去っていくような、そんな楽しい人生を送ってほしい。こちらからは以上です。

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