深読みで楽しむDetroit:Become Human (25) 何が憎いかじゃなく、何が夢かで自分を語れよ

はじめに
 本記事はDetroit: Become Humanを最低でも1度はクリアした人向けの、本編ネタバレ満載の内容となっています。さらには本編の内容を直接解説した部分が3割くらい、残りの7割が深読みと邪推とこじつけで構成されています。以上の点をご了承の上、お読みください。

『キャピタルパーク』シノプシス
マーカスたちは、デトロイト市内の5カ所のサイバーライフ店舗を襲撃し、売り物として展示されているアンドロイドたちを味方に引き入れる計画を立てる。マーカスはノースとともに、キャピタルパーク地区の店舗を任され、人気のない夜に乗じて襲撃を試みる。

デトロイトにも名所はある
 この章のタイトル、日本語版ではキャピ「タ」ルパークになってるんですけど、スペルはCapitol Parkです。Capitalは頭から転じて重要なもの(地理的には首都)という抽象的な意味。Capitolはローマの主神ユピテルの神殿(があったカピトリウムの丘)に由来し、議会とか市役所などの政治的に重要な「建築物」を指します。そして、デトロイトの旧市街・「歴史地区」と呼ばれている地域がキャピトル・パーク(Capitol Park Historic District)なのです。地名としては丸の内とか北の丸公園とか、そんな感じでしょうか。

 というわけで、マーカスたちは「デトロイトの政治の中心地」という特別な意味合いのある場所に乗り込んで、アンドロイドを解放すると同時に、自由を求めるメッセージを発信することになります。この章で読める雑誌の記事がマーカスの正体を探るものであるのはいいとして、「アンドロイドを大統領に?」はちょっと面白い視点の記事です。この記事では、「アンドロイドは汚職や支持率に影響されないので、目標さえ設定されれば人間より適切に職務を遂行できる。大統領にすら向いているかもしれない」的なことがざくっと書かれています。これは法治国家と人治国家の違い、および猟官制という人治国家的な側面の強いアメリカの政治に焦点を当てていると言えます。

 法治国家、あるいは法の支配というのは、言うなれば「社会のルールがきちんと決まっていて、自分が何か行動を起こした時に、その結果が予測できる国家」を指します。法律っていうのは社会を動かすプログラムみたいなもので、弁護士とか検事とかの法曹ってのは法律というプログラムに特化したエンジニアだというのが私の理解です。彼らは別に聖人でも賢者でも正義の味方でもなく、単に法律というプログラムを自らの与えられた目的(弁護士であればクライアントの最大利益、検事であれば社会機能=秩序の維持とそのために必要な人権の剥奪)のためにフルスロットルでぶん回すのが仕事なのです。
 そして、彼らの仕事の前提として「法律というプログラムがまともかつ明確であること」があります。状況を含めて同じ行動を取っても、Aさんの時は死刑でBさんの時は無罪、じゃあ社会秩序が成り立たないわけです。法律ってのはそもそも、恣意的な解釈の余地は最低限でなければなりません。例えばフランスでは、サルコジ時代に刑法改正で「売春婦の客引き」が犯罪になったのですけど、この時の客引きの定義が曖昧だったので、うちの刑法の先生は「ダメな法律の例」と言っていました(なおフランスでは、売春自体は合法です。売春宿の経営のような「管理売春」が違法)。

 法の支配というのは日常生活からビジネスまで、あらゆる分野で社会を予測可能に(=リスクがある程度計算できるように)するための仕組みなのです。これに対し、社会を運営する人が自分のさじ加減(恣意)である程度好きなように都度、物事を決めてしまえる社会を人治国家と言います。人治国家では、国の運営者である政治家と官僚が優秀で、なおかつ善人(独善ではなく、バランスが取れて滅私的な人格)であれば、平均より適切な国家運営が期待できます。裏を返せば、施政者の才能と人格がそのまま国の運営の質に直結するわけで、資質の劣る人間が要職に就いたが最後、国が傾くことが明らかなわけです。
 さらに歴史を振り返れば、当初は名君であっても、権力に魅入られたり、歳をとって頑固になったり、さらには権力の喪失や死を恐れたりすることで暗君と化すことはよくあります。ていうかだいたいどこの国でも、王様が永遠の命を求めてむちゃくちゃやる話ってどこかにあるんだよな。そうやって怪しげな呪い師に取り入られたり、あるいは身内のひいきや汚職、自分の名を歴史に残すための壮大な建築とかに金を費やし始めるのは、歴史の長くを占めてきた人治主義のあるある現象です。そういう、個人のセキュリティホールを法律というシステムで埋めて、権力はしっかり縛っておきましょうねー、というのが法治主義社会なのですね。すげー大雑把に言ったが。

 アメリカというのは、大統領に強大な権限があり、前回お話しした通り猟官制(重要な官僚ポジションを、大統領が指名する=たいてい有力支持者が重要な役職につく)という、人治主義のリスクがそこそこある体制となっています。現在のトランプ政権は、まさにこの人治主義的なアメリカの側面が思いっきり噴き出している状態です。
 その一方で、トランプがやりすぎた時は司法がその行動をできる範囲で制限してもいます。三権分立という言葉がありますが、司法が独立性を維持していることで、完全な人治国家、独裁国家になってしまうことを防いでいるわけです。
 ただし、トランプは運良く(運悪く)中道派の最高裁判事の交代要員を指名できるタイミングで就任したため(正確には、オバマが指名していた判事を共和党が認めず、トランプに指名権が渡ることになった)、そこに性犯罪歴が取りざたされる保守派を送り込むことで、司法制度を保守化・右傾化させることに成功しています。法律はプログラムなので、セキュリティホールをついてハックすることは可能なのです。

あ、あなたの能力を評価してるだけなんだからね!!!
 社会学的概念と関連づけるなら、社会の構成員がその機能や役割(たとえば弁護士とか教師とか会計士とか調理師とか接客係とか)を果たすことによって成立するゲゼルシャフト(利益社会)の延長に法治国家があり、逆に血縁や交友関係などの属人的な要素に基づいて成立するゲマインシャフト(共同社会)の延長に人治国家がある、ということもできます。
 そして、「アンドロイドの大統領?」という記事は、属人性のない、”何者でもない”アンドロイドは、ゲゼルシャフトを最も効率的に運用できるのではないか、と指摘しているわけです。まあ、彼ら自身がプログラムな訳ですから、目標を定義すれば法律という社会プログラムに基づいて最適ルートを自動処理してくれるAlphaGoみたいな感じに動いてくれるというのは、理論上は十分考えられることです。

 ただ、難しいのは、実はAIは創造者である我々の偏見や差別も含めてラーニングし、その差別を再生産してしまうことです。
 例えばAmazonでは、採用時の書類選考にAIを導入したところ、「もともと男性が多く採用される社風だったため、候補者が女性であるとそれだけで減点して採用されにくくする」という判断をしてしまいました。
 アメリカのとある州で治療する患者をAIでふるいにかけたところ、もともとアフリカ系の住民は貧困率が高く、通院や治療を受けない傾向にあったことから、「白人は治療するけど黒人は治療しなくていいや」とAIが判断するようになってしまったのです。なお、データに人種に関する項目はなかったとのこと。
 Appleが鳴り物入りでスタートさせたクレジットカードApple Cardでも、審査データに性別が入っていなかったにも関わらず、AIが「あ、こういうプロフィールの人は女性やな、女性は収入が男性より少ない傾向があるんやな」と自ら法則を見つけてしまい、女性は限度額が低く設定されるという問題も起きました。

 アンドロイド、つまりAIが運営する社会が公正であるためには、アンドロイドが学ぶ人間社会が公正でなくてはならないのです。いちいちアークに人間の悪意をラーニングさせなくても、ヒューマギアは勝手に人間の悪いところを学んで、人間社会をより悪くするように全力で努力してくれちゃうもんなんですよ天津社長。
 もちろん、法律にセキュリティホールがあった場合、アンドロイドがそこに引っかかってしまったり、人間に誘導されてその穴を利用させられてしまったりということは十分考えられます。人間の脆弱性は、人間を真似て作られたアンドロイドの脆弱性でもあると言えるでしょう。それは、彼らがシンギュラリティを経て自我を持ち、「変異体」になっても変わることはありません。
 そう考えると、アンドロイドは生物ではないものの、結局は人間から分岐・派生した存在、人間の亜種であると言えるのかもしれませんね。

言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ファイヤー!
 というわけで、サイバーライフの店に展示されている仲間を解放するだけで満足せず、ついでにデモというか意見表明をおっぱじめるのは、「タクシーの運転手と話す話題第一位が政治」「パーティーで初対面の人には(会話の糸口として)支持政党を聞く」というフランスっぽさ全開です。奴らは思ったことを口にしないと死ぬ民族です。黙ったら死にます。
 キャピトル・パーク周辺ではさまざまな「行動」でメッセージを送ることができますが、フランスらしいなあと思うのは、ものをぶち壊すだけでなく「電源を切る」ことが暴力的な選択肢になるということ。たとえば、広告はハックして自分たちのメッセージを流すのが平和的で、真っ暗にしてしまうのが暴力的という扱いなんですよね。この辺の思考の裏側には、「対話が成立するかどうか(=対等な相手の存在を認めるかどうか)」を人間関係のスタート地点に置く彼ららしい考え方があるような気がします。
 
 私の父はフランスの企業に勤めていたのですが、私の父なので上司に楯突くのが日常だったそうです。その上司(フランス人)がある日父に「お前とは意見は合わないが、お前は自分の意見を言うから少なくとも信用できる」と言ったことがあるとか。
 無言の相手は、たとえ常に自分に従っていても、本心で何考えてるかわかんねえから信用ならん。でも、自分の意見をぶつけてくるやつは、クッソむかつくけど信用できる。対話の姿勢というのは、交渉のテーブルに着くための大前提と考えられているのです。
 こうした考えは実はフランス人に限らないのですが、フランス人はこの点へのこだわりは強いというイメージがありますね。例えばヴォルテールの言葉とされる「私はあなたの考えには反対だ。だが、あなたがその考えを主張する権利を命がけで守る」と言うフレーズ。実際には、後世の歴史家がヴォルテールの姿勢を一行でまとめたものなのですが。

 一方、デモや抗議活動をする人たちの一部が暴徒化してぶち壊しや放火を始める(ことがある)のもいつものことなのですが、これは抗議活動が長期化・大規模化することで、最初に行動を起こしたグループとは必ずしも思想的に一致しない人たちが起こすケースが多いようです。
 フランスでは、デモなどの活動の中心となる「組合(労働組合に限らず、あらゆる社会集団に組合=Syndicatがあります)」は基本的にインテリエリートの集団、ロビー活動を職務としている組織なので、本来はデモも平和的にアピールする手段の一つという位置付けなのですね。
 実は初めから暴力的な手段に訴えることを選ぶグループというのもいますが、それは労働組合とかではなくて、だいたいは反グローバリゼーションとか、あとは農業関連の団体に多い印象です。アメリカむかつくわーとか言ってマクドナルドをぶっこわしたり、スペイン国境でトラックを勝手に検閲して安い農作物を積んでたら道にぶちまけるみたいなのがそれです。ニュースでスペイン国境にぶちまけられたイチゴの山を見ると、ああ夏だなあと感じます。いや、食いもんは大切にせえよ。

対話の反対は反論じゃなくて黙殺なのよ
 また、「平和的に」あらゆるものに落書きという形で発信できるメッージのうち、「We have a dream」は、かの有名なキング牧師の「私には夢がある(I have a dream)」というスピーチを念頭に置いたものであることは明らかですが、実はこのスピーチ、原型はまさにデトロイトのキャピトル・パーク地区における演説にありました。
 「ジェリコ」の章のスタート地点であるファーンデール地区からキャピトル・パーク地区にまっすぐに繋がるウッドワード・アベニューでのデモ(1963年6月23日)には12万5000人が参加し、その際にキング牧師が行なった演説は、のちに「自由への大行進」として音源が公開されています。この2カ月後にワシントンで行われた「ワシントン大行進」が、白人を含む著名人が多く集まった、もっとも大きな「自由への行進」となり、そこで行われたキング牧師のスピーチが、私たちがよく知っている「私には夢がある」となるのです。
 この章のメッセージには、他にも「我思う、故に我あり(デカルトの言葉であり、イメージイラストでカルロスのアンドロイドが壁に書いていた言葉)」があったり、地味に製作者がどんな思いでアンドロイドを描いているのかが見える感じがします。
 
 さて、撤収中のアンドロイド達はパニックした警察の発砲を受けてしまいます。警官を取り押さえてマーカスに処遇を決めるよう求めるアンドロイド達ですが、マーカスが警官の命を救う(はい、ここの救うはSpareです)ルートを選んだ場合、「目には目をなんて言うから、世界が盲目になるんだ(Eye for an eye and the world goes blind)」と口にします。
 これは、ガンジーの「目には目をと言うならば、世界全体が盲目になってしまうだろう(Eye for an eye makes the whole world blind)」を踏まえたセリフでしょう。暴力は解決にはならない、という平和ルートの理念を端的に表すセリフです。
 
 ガンジーと人種差別、というとうまく結びつかないかもしれませんが、実はガンジーの思想の根底には、彼が南アフリカ(当時はイギリス領)で経験した差別があるのです。
 南アフリカでは、特に東側の砂糖プランテーションの多い地域で、多くのインド系住民が農園技術者として働いていました。ガンジーは弁護士としてのキャリアをインド系住民の多いナタール州(現クワズール・ナタール州)で開始し、インド人への人種差別、黒人の扱い、そうした差別的な制度に対抗する運動を通して、非暴力・不服従の信念を構築していったのです。
 その後、ガンジーは南アフリカを去ってインド独立を実現しますが、1994年に南アフリカがアパルトヘイトを撤廃したのちも黒人指導者のネルソン・マンデラは白人に対する復讐的な政策は取らず、黒人をはじめとする有色人種の地位向上に力を入れました。このため、現在南アフリカ共和国はサハラ以南のアフリカ(北岸の「アラブ人地域(マグレブ)」を除く、いわゆる「黒人」のアフリカ)の経済の2割を叩き出すほどに成長しています。一方、かつては南アと同じように豊かだった隣国ジンバブエは、白人の土地を接収するなどの復讐的な政策のせいでインフラが崩壊し、通貨「ジンバブエドル」がハイパーインフレの代名詞になるまで経済が悪化してしまいました。


 南アには今も大きな人種間格差が存在していますが、それでも今後のアフリカ経済、ひいては世界経済を牽引することが期待されています。私もガンジーゆかりのクワズール・ナタール州を訪れたことがありますが、道路は高速含めてきれいに舗装されていますし、ちょっとした工業団地もあれば超モダンなショッピングセンターもある、ほとんどヨーロッパに近い生活水準が「富裕層には」約束されている国でした。その一方で、スラムや地方では厳しい生活を送る人たち(主に黒人)も多いですし、優遇されなくなった白人が有能な有色人種の進出のあおりを食らって職を失い、見かけるホームレスはほとんどが白人という思いがけない光景も目撃しました。
 「南アには、アフリカの問題の全てがあります。だから、アフリカの問題を解決したいと思ったら、まずは南アで試してみるべきです」と語ったのは、昨年亡くなった緒方貞子さんだそうです。DBHの世界が和平エンドに向かい、人間とアンドロイドが平和裡に共存できるようになっても、きっと今の南アのように課題は山積みで、それでも確かに希望がある社会になるのだろうな、という気がします。

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