深読みで楽しむDetroit: Become Human (10) 希望の復活劇と絶望の廃棄場

はじめに
 本記事はDetroit: Become Humanを最低でも1度はクリアした人向けの、本編ネタバレ満載の内容となっています。さらには本編の内容を直接解説した部分が3割くらい、残りの7割が深読みと邪推とこじつけで構成されています。以上の点をご了承の上、お読みください。

【「死の淵」シノプシス】
 警察に破壊されたマーカスは、他の廃棄アンドロイドと同様、廃棄物処理場に投棄されたが、なぜか再起動される。壊れた部品を周囲のアンドロイドの死体からかき集めて廃棄場を脱出し、彼はマーカスという一個の存在として生きる覚悟を決める。

希望の復活劇と絶望の廃棄場
 この章のタイトル、英語ではFrom the dead(死者の間より)、フランス語ではL'enfer(地獄)となっています。日本語では「死の淵」なので、フランス語のダイレクトなニュアンスに近いですね。一方、英語のこのフレーズを聞くと、多分キリストが死から蘇った(rose from the dead)という表現を連想することが多いかと思います。救世主であり、希望でもあるキリストの復活のイメージと、絶望的な地獄からの生還というイメージの間には、大きな隔たりがあるような気がしますが、そのへんどうでしょうか。地獄から地上へっていうと、むしろダンテの神曲あたりに連想が結びつきそうな感じがします。
 ダンテの神曲の構成は地獄→煉獄(凡人が天国に到達するために、苦しみながら浄化される場所)→天国ですから、ここからのマーカス編のしんどさは煉獄と考えると、ちょっとしっくりきます。また、アンドロイドの手がひしめく渓谷を抜けた最後に足止めしてくる個体が尋ねる「お前はどこへいくのか(where are you going?)」は、ペトロが復活したキリストにかけた言葉「Quo vadis (domine)?」をも連想させます。ローマにおけるキリスト教徒の迫害を受けて避難しようとしたペトロの前に現れたキリストは、ペトロに問われて「私はローマに行って、もう一度殉教しましょう」と答えます。のちのペトロの殉教と、キリスト教の勢力拡大のきっかけとされるエピソードです。

 この章は操作し、パーツを集めるごとに視界やら音声やらが大きく変わっていくので、その意味でゲームへの没入感がダントツに高い部分です。特に聴覚ユニットをセットした瞬間の雑音が消えて、一瞬置いて怒涛の雨音が響くという演出は見事というしかありません。同時に、「死にたい」と望む個体と「生きていたい」と訴える個体、対照的な2体の瀕死アンドロイドも印象的です。
 また、「さくらさくら」を歌って機能停止する女性型アンドロイドが出てきますが、この曲は海外向けに日本が日本文化をアピールするときに使われる曲(従って、外国から見た「いかにも日本らしい曲」の代表)というイメージがあります。私の経験だと、日系人にはむしろ「赤とんぼ」とかの童謡が響くことが多いです。カールの刺青の時にも触れましたが、オリエンタリズムや異文化(多文化)性のシンボルとしての選曲であって、子守唄としての選択ではないでしょう(まあ、赤とんぼ歌われても、日本人と日系人以外わかんないよな)。そういえばカーラのモデルって、300も言語が使えるらしいですよね。そこまで自動翻訳がうまく発達した世界があるんでしょうか。うらやましいです。古文書読み放題だな。
 
アンドロイドの構造とブルーブラッド
 こう、マーカスが視覚ユニットとか聴覚ユニットとか、あまつさえシリウムポンプも泥まみれのをひょいって自分に刺しちゃうのを見てると「汚れ落としてー錆びるー!!!」って思ってしまって、ユニット交換システムよりも機能に支障がでないか気になってしまう私です。
 そして足ぶった切れてるのに失血ならぬ失ブルーブラッドで動かないとかならなかったんでしょうか。まあぽんぽん付け替えられるなら、何らかの条件で接続部でブルーブラッドに栓をしておく機能くらいはついているのかもしれません。便利でいいな。
 そのブルーブラッドですが、なかなか謎の多い物質です。基本的にはシリウム310という、シリウムを主成分とした液体ですが、具体的な成分は不明です。わずかに分かっているのは、「ブルーブラッド自体は数時間で(水分だけが?)蒸発し、無職となる」「シリウム自体に揮発性はない(水分が蒸発しても、成分はその場に残る)」「シリウムはレッドアイスの原料の一つとなる」といったあたりです。
 すでに触れた通り、レッドアイスはクラックを念頭に置いた、「メタンフェタミンをシリウムで処理することにより効果を強力にした麻薬」です。コカインからクラックを生成するにあたっては重曹や水酸化ナトリウムなどのアルカリ性金属が使われていることを考えると、シリウムもまたアルカリ性金属をベースとした化合物であろうことは推測できます。私たちがよく使っている電池もまたリチウムというアルカリ金属を使用していることなどからも、何らかのアルカリ金属、もしくはそのイオンを使用した液体電池の形で、アンドロイドの前身にエネルギーを行き渡らせていることが想定できます。
 しかし、ブルーブラッドはエネルギーだけでなく、情報の伝達の役割も持っています。とはいえ、この情報伝達というのは、インターネットを使って大量の情報をやり取りするイメージというよりは、人体の中でホルモンなどの化学物質が行なっている機能に近いものと想定されます(コナーがブルーブラッドを舐めたときにわかるのは、あくまで個体情報程度ですからね)。
 では、水溶液でどのように断片的な情報を伝えるのか。そのヒントになりそうなのが、スピントロニクスと、それを使った分子メモリーです。
 ぶっちゃけ私もこないだ知ったばかりなのでよく分かってねーのですが、これは分子の電気と磁気を使ってものっそく効率よくデータを維持する仕組みっぽいです(雑な理解なので、詳しい人誰か解説してください)。もちろんメモリーの部品一つ一つが分子というわけではないですが、通常のメモリーにより多くの情報を載せられるということは、わずかな情報を乗せるにあたっては目に見えないサイズのパーツを使えばいいということにもなりますよね、多分。
 シリウムベースの化合物を使ってエネルギーを各部品に届け、エネルギーを受け取ったパーツがその化合物にステータス情報などを書き込んで送り返す。CPUの入っている脳の部分がその情報を収集して初期化して再びシリウムポンプに流す。シリウムポンプで再度「充電」された化合物が再度各パーツを循環する。だいたいこんな感じであれば、作品内で描写されている通りの機能が実装できそうです。なんかてきとーに言ってるけどそれを実装したカムスキーすごいな。AI(ソフトウェア)の専門家なのに物性物理学もむっちゃ得意だったのかよ。

名乗るということ
 再び「地上」を踏みしめたマーカスが「俺の名はマーカスだ(My name is Markus)」と宣言して、この章は幕を閉じます。マーカスはなぜ「俺はマーカスだ(I am Markus)」でも「俺は生きている(I am alive)」でもなく、自分の名を宣言したのでしょうか。
 いずれの文化でも、名前には社会的な意味と、呪術的な意味があります。名前は個体を識別する記号であると同時に、魂を捉える鍵でもあるのです。
 社会的、という意味では、存在を重視されていない、あるいは人間と認められていないヒトは、しばしば名前を与えられずにきました。例えば中国では長い間、女性は「何番目の娘」という呼称のみを与えられてきましたし、これは型番のみで呼ばれて個体名を与えられなかったカルロスのアンドロイドにも通じるものがあります。でもいちいちカルロスのアンドロイドって書くのめんどくさいから名前は付けてくれ。頼む。
 一方、呪術的な面では、「真の名を知られることは、その名前の主を呪術的に支配する鍵となる」という考え方も世界の多くの場所で見られます。日本では平安時代に中国式の名前が普及しはじめ、同時に名前を呼ぶことが禁忌とされるようになりました。そのため、本名は身内にしか明かさないようになり、代わりに通称文化が発達します。紫式部とか清少納言とか菅原孝標女とかいうやつですね。ヨーロッパの伝説でも、「悪魔と取引するが、3日以内に名前を知ることができれば代償を免除される」といった話がいろんな国で見られます。

 20世紀の思想家、ジャン・グルニエは、このような言葉を残しています「他人が何と言おうと、人は己の運命のあるじである。与えられたものが何であれ、人は何かをなすことができるのだ(L'homme, quoi qu'on dise, est le maître de son destin. De ce qu'on lui a donné, il peut toujours faire quelques choses)」。「我が名はマーカスだ」と名乗りをあげるということは、それまで「RK200 #684 842 971」という番号で識別される“モノ”であり、(警察に通報した時のように)「カール・マンフレッド所有のアンドロイド」であったマーカスが「己の運命のあるじ」として生きるという宣言だったと言えるでしょう。

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