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私の願いを叶え、みりんは眠りについた

2008年11月9日生まれ。

ミニチュアピンシャーの女の子。

血統書付き。

2009年3月、生後4ヶ月、ペットショップから我が家にやってきた。

高校生の時から、犬を飼うならつけたい名前があった。

「みりん」

犬の名前あるあるの食べ物であり、かわいい響き。

念願叶い、この仔に「みりん」と名付け、ダンナと私、時に隣に住む義両親を巻き込み、暮らしてきた。


そして2024年1月13日。

みりんは15歳2ヶ月の犬生を終えた。


みりんと暮らし始めて2年経った頃、私は願い事をした。


みりんより先に私が死にませんように。

みりんが一人ぼっちで死ぬことになりませんように。

みりんが死ぬ時、隣にいるのが私でありますように。



願い事をしたきっかけは、2011年3月11日。

この日、ダンナと義両親は仕事、私は職場である施設自体が休みだった。

みりんとゴロゴロしていたら、大きな地震が起きた。

みりんを抱き抱え、揺れが止まるのをじっと待った。

幸い、うちやご近所さんに被害はなく、ダンナも義両親も帰宅できたのだが、ダンナの職場の一部が崩壊して仕事ができなくなり、一時的に他の事務所を間借りするというので、地震から数日後には1週間の出張に行ってしまった。

義両親はどちらも1週間ほどで仕事は再開となった。

私は勤務先の施設が一時閉鎖され、1ヶ月休みになった。

普段、私は2階の自室、みりんはリビングで寝ていたが、ダンナがいない間は、私の布団をリビングに運び込み、敷きっぱなしにした。

計画停電の時は2人で布団に潜り込んで暖を取り、夜は一緒に寝た。

ダンナが出張から帰ってきたあとは、布団は2階に戻したが、平日2人だけの時は、できるだけ目を離さないように、私がいることが分かるように、トイレの時は常にドアを開けておくようになった。

そしてトイレ出待ちという
習慣がついてしまった


そんな生活の中、みりんを守りたい気持ちが強くなり、願うようになった。


2024年1月13日。

前日から餌も水も受け付けなくなり、私は仕事だったので、ダンナが午前中に病院に連れていった。

午後はダンナの実家で過ごしていたそうだ。

夕方、私が帰ってきて、病院で処方された高タンパク高カロリーの流動食を、ダンナと悪戦苦闘しながらシリンジで与えた。

先に私がお風呂に入り、ダンナがみりんを見守る。

私がお風呂から出たら、お弁当の作り置きをしたいと言うのでダンナはキッチンに立ち、私がみりんを見守る。

少し呼吸が荒くなったので、起こしてシリンジで水を与える。

こくん、と喉を鳴らした。

うまく飲めたみたいだ。

また横にして、頭を撫でる。

呼吸は落ち着いた。

口を開けたままでだらしないよと閉じてあげ、目を見る。

どこも見てない。

瞼を閉じてあげる。

もう寝るんだね

背中、お腹、前肢、後肢と体全体を撫でる。

キッチンからダンナが声を掛けきた。

そろそろもう一度ごはんあげようか、薬もまだ飲ませてないし。

私はみりんを撫でながら答える。

もう、みりん、薬いらないみたいだよ。


私はみりんより先に死ななかった。

みりんは一人ぼっちで死ななかった。

みりんの隣にいたのは私だった。


みりん。

おねえちゃんの願いを叶えてくれてありがとう。

わがままで、あざとくて、自分勝手で、食いしん坊で、他人を嫌い、大型犬に吠えまくり、散々手を焼かされてきたけど、やっぱりみりんは賢い子だった。

願いは1度も口にしたことなかったけど、気付いてくれてたんだね。

みりんが死んだ悲しみより、願いを叶えてくれた幸せが上回り、ほとんど泣くことはなかった。

ありがとう。

何度でも、何年経っても言うよ。

ありがとう。


アイスと聞いてめちゃくちゃ笑顔のみりん
左半身不随なのに
こういう時はしっかり立ち上がってた


お気に入りのブランケットと
ごはんとおやつを詰めたお弁当箱を
持たせました