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人生で初めて心療内科に行った話①

あれは去年の7月だった。

毎日の職場の先輩たちとのランチがきつかった。昼休憩の1 時間、先輩たちの愚痴を聞き続けて、それに付き合って相槌をうって、暗い気持ちになった。ランチ代だってバカにならない。毎日の1000円ランチを余儀なくされ、断ることが苦手なわたしは高いお金を払って愚痴を聞かされる日々を過ごした。

左胸がいたかった。心臓、という意味ではなく、乳房。そういえば春の健康診断で左乳房に陽性のしこりがあるので1年に1回は検査するようにと言われていた。頭がサーッとなった。私の祖母は乳がんだったため、「もし悪性の腫瘍になっていたらどうしよう…」と何の知識もないのに不安がっていた。左胸のツーンとした痛みはなかなか治らなかった。

春に付き合い始めた彼から、今度女の子の友達2人と台湾に旅行に行くことを聞いた。その女の子たちは私も知っている人たちだ。いい先輩たちで、彼と男女の関係に発展することはまずない。…でも。…男1女2で海外旅行ってそんな当たり前のことなんだろうか。一般的には、彼女に許可とったりするもんじゃなかろうか。

気づいたら、私は大量の涙をながしていた。
しばらくして号泣している自分にひいた。
大丈夫。今日は金曜日。明日はお休み。明日は前の職場の先輩とランチに行くから、そこで話をたくさん聞いてもらおう。そしたらきっとスッキリする。

先輩はやさしく話を聞いてくれた。わたしはその頃悪夢ばかりみていたので(目の前で事故を目撃して人がつぶれる夢、後輩から罵倒される夢、実家のまわりが火事になる夢など)そのことも相談すると、寝る前にこれのみな、と言ってハーブティーを買ってくれた。うれしかった。ああ大丈夫かもと思った。

その日は夕方ごろに家にかえった。すると都内で震度4の地震があった。強くて、長い地震だった。
そこからだった。
胸の奥がざわざわして、とんでもなく不安な気持ちになった。地震はもうおさまっているし、なにが不安なんだろう。自分でもわからなかった。そのあと、呼吸がうまくできなくなった。深呼吸していないと苦しくなって、心臓がどきどきした。くるしい。ねれない。しんどい。後頭部がサーッとして血の気がひく状態がずっと続いた。くるしすぎて、キッチンの方に目をやると包丁があった。この包丁をつかって自分の心臓を刺せば、楽になるんじゃないだろうか。もうとにかくこの状態から解放されたくてそんなことを一瞬思ったりもした。
いや、でもいかんいかん。死んだらあかん、とりあえず気を紛らわして自然と睡魔がくるのを待とう、と思ってYouTubeを開いて東海オンエアの明るい動画を永遠と流した。寝付くのにだいぶ時間はかかったけど、その日はなんとかしのぐことができた。

次の日、家にいたらまた昨日の夜のようになってしまう気がして、外にでてコンビニのイートインスペースでゼリーを食べた。食欲がなかった。でもそのときも息が苦しくて、うまく肺に酸素が入っていかない感じがした。
あまりにしんどくて泣きながら母親に電話をしてしまった。明日病院にいこう、と決めた。

夕方ごろに彼に電話をした。泣きながら何も喋れないわたしを心配して、家にきてくれた。ゆっくり話を聞いてくれ、たわいもない話をしていたら症状のことは忘れていて楽になっていた。

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