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弱ると蘇る記憶

先日コロナになった。
はじめてのことだ。

コロナ禍になって4年。今更…。

原因は分かっている。
お酒を飲む回数、人と会う回数が明らかに多く、多少なりともストレスがかかっていたからだと認識している。

以前の持病により、お酒で腸がやられやすくなった。
腸粘膜を刺激し、白血球数が低下し免疫が弱るのだとか。
楽しい酒の場であれば、ストレスも少ないかもしれないが、
病気になってさらにストレスと腸が直結していることを実感するようになった。

コロナは思ったほど喉の痛みや、咳はなく、味覚は正常だった。

「なんか喉が気になるなあ。痛いって程じゃないけど、焼けるような感じ。」
「コロナだったらどうする〜?hahaha〜」
「え。嘘やん。」
抗原キットで4回も検査した。
全て陽性。
何回やっても一緒だろ、現実を見ろ、
と言わんばかりのピンク色の2本線がくっきりと、私に訴えている。

そんなこんなで初のコロナになったわけだが、1日目が一番しんどかった。
「朝まではやった〜本読める時間増えた〜」
と陽気に言っていたが、10時、11時と時間が過ぎるとともに比例するように熱も上がっていく。最高38.8℃
本など読む気にもなれない。

何がいちばんしんどかったか。
それは熱発とともに、膝と腰が激痛だったことだ。
今まで幼少期も高熱やインフルエンザも経験したはずだった。しかし、今までにないくらいの激痛だった。

 そんなしんどい中でも、医療従事者の私は患者のことを思っていた。
「膝痛いとか腰痛いとか、このくらい痛いのかな。そりゃ歩きたくないし、動きたくないよなあ。高齢者大変だなあ。」
 昔、空きっ腹に飲酒をした際も、初めて壁が回るという体験をし、眩暈の患者のことを思った。これはしんどいわ…と。
弱い立場の人、困っている人の立場になって考える癖がついているのか、
我ながら医療職に向いているんじゃないかと思うほどクソ真面目である。


 そんなことは置いておいて、何かこの感覚思い当たる事があるなと思った。痛みと熱と闘いながら布団に蹲りながら、幼少期のことを思い出していた。
 小学生の頃成長痛で膝が激痛で眠れないことがあった。
泣きそうになりつつも、涙は出ず。寝たくても寝れない時にグズって泣くような赤ちゃんと同じように、布団で唸りながら、でも頑張って寝てみようとする。
でもやっぱり痛い。
そんな時、母親に「痛くて寝れん」と言い、
布団に入れてもらって、膝を摩ってもらう。
それだけで痛みが消えるわけではない。
でも母に摩ってもらっている、その安心感で心は満たされ、いつしか眠りに落ちる。

母も働きながら子育てをしていたので、眠たかっただろう。
だんだん母の手が動かなくなり、止まると、「ちゃんと撫でて!」と言っていたような記憶がある。
子供のわがままかもしれないが、見守られる中で眠るのが一番ホッとするのだ。
先に眠られると、孤独感が増し、余計にまた痛くなるような感じがする。

大人になり、コロナになって、どうしようも抗うことの出来ない痛みと戦わなければならない時、もう摩ってくれる人はいない。
摩ってもらったところで、どうにもならないと大人の私は分かっている。
耐えるしかない。
この痛みは一時的なもので発熱時の関節痛だと、今は理屈と経験が摩ってくれる。

母の優しさを思い出しながら、私は一人で大きくなったわけではないのだとコロナを通して実感する。
母が茶碗蒸し作ってくれたな、とか
解熱後、目が覚めるタイミングで母が様子を見にきてくれてホッとする感じとか
色々思い出すのである。

普段は思い出さないことを思い出して、ありがたみがよくわかるようになる。
大病をして人生変わったという人の、小さいバージョン。
母よ、ありがとう。
コロナも悪くないか。
自分にとってはただの拗らせ風邪で、こんなもんかとわかると怖くなくなった。

また一人成長する。

咳をしても一人。
尾崎放哉と同じように体調を崩しても、文章を考えてしまう。
むしろ体調を崩すと文章が浮かぶ。

また書こう。

じゃあな、コロナ。
次は居留守使うからな、コノヤロウ。

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