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殺人出産とデスノート

前から気になっていた村田沙耶香の「殺人出産」を読んだ.
さすがクレイジー沙耶香といったクレイジーな物語でした。
「コンビニ人間」で芥川賞を取って一躍有名になった方ですが
わたしもそれまではちゃんと読んだ事がありませんでした。

今回これを手に取ったのは本屋で平積みされていたのと、
「殺人」も「出産」もどちらも興味が有るから。
あと表紙のイラストが可愛かったからです。


舞台は、10人産んだら合法的に1人殺せるという社会になって30年程たった世界。
ここでは殺人の概念が違うというよりは繁殖の概念が大きく違う気がしました。
申請すれば男も女も平等に「産み人」として認定されてめっちゃ崇め奉られる。
そして指定の病院で子供を産み続けて、念願かなって10人出産すれば
晴れて正々堂々と指名した人間を殺せる。

ちなみに産み人に殺される人を「死に人」と呼び、これまた結婚式かなんかみたいに盛大に送り出される。
どちらも名誉な事らしい。

省略するけど色々あって、この世界でも人口減に悩んでいるようで、
そこで開発された繁殖のシステム。国も推奨するこの仕組みは生と死がものすごく密接でタブーが無い。
1つタブーがあるとすれば、産み人申請せずに殺人を犯した場合は死刑ではなく産刑という刑に処される。
牢獄の中で一生産み続けるという死ぬよりエグイこの刑は男も人口子宮を付けられてちゃんと産めるらしい。狂ってる。

でもこの世界ではそれがスタンダードになりつつあって、異議を唱える人はマイノリティとして白い目で見られる。
どんな世界も世の中の流れをつかんでうまく取り入れて馴染まないといけないという話でもあるような気がした。
私たちの世界でも当てはまる話だ。今でも正直10代の子が使うアプリとか乗り切れない部分は増えてる。
自分たちがトレンドの最先端だった時代がどんどん遠くなる中で、
年相応に無理に若者ぶらずに、でもうまく流れに乗れないと、
いつか自分が使えないデバイスでしか情報を得られない時代が来るかもしれない。
さすがに繁殖の仕組みまではここまで変わらないと思うけど。

ただ、ここで1つ私が気になったのは「殺したい人を役所に申請すると一ヶ月後、
その人は全身麻酔を打たれた状態で産み人に引き渡される」といった点。

もし私が10年以上も出産という行為を続けて、それでもなお殺したいような人ならば、
動かなくなった状態で引き渡されても味気ない。
ちゃんと自分の手で仕留めたいだろうに、ずいぶんと事務的な殺人だと思う。

ここで、人を殺せるお話で思いついたのが有名な「デスノート」
このお話ではデスノートをたまたま手にした人たちがガンガン殺して行く。
こちらは「裁き」というお題目があるし、精神的なダメージ以外は特に代償が無い(死んだ時に完全な無になるらしいけど)
この世界ではデスノート所有者=キラはいつの間にか救世主みたいなダークヒーロー扱いで、
「殺人出産」同様崇め奉られてるけど、どちらにせよ人を殺す事を許された人なんて居たらダメだと思う。

「殺人出産」と「デスノート」は両者共に殺す事が出来る人はヒーローのような
神聖な存在として扱われる場面があるけど、その半面、どちらのストーリー内でも
それをおかしいとする者がいて諍いは有る。どちらもその主張を正義とするからストーリーは更にややこしくなる。

ただ、大きく違うのは殺人の先に「生」が繋がるか否かだと思う。
これは作者の性別によるところもあるのかな?とも思ったり。(掲載媒体も当然違うけど)

殺人の代償としての出産なのか、出産の報償としての殺人なのか。
たぶんどちらでもいいんだけど、結局産む事の動機は殺人に変わりないとすれば、
そうして産まれた子供達はどんな気持ちなのか。

あと産むまでの間、ずっとお腹の中で育つ子に対して愛情は湧かないのかな。
そういうのも乗り越えてまで殺したい衝動って凄まじい。

あと一番気になったのは、誰でも殺せるのかって所。
偉い人とか国の要人も殺せるのかってのは重要だと思った。
そして「10人産んだら1人殺せる」っていう明確な数が決まってるのも気になった。
つまり、1人の命は10人の子供と同等という事になる。
そこまでして倫理の狂った国民を量産する国とか世界ってどんな感じなんだろう…。

まぁフィクションの世界の話だけど、今の実際の世界でこの殺人出産制度があったら、
間違いなくトランプ大統領が真っ先にターゲットになりそう。

と思ったけど、殺すまでに最低でも10年はかかるから任期終了してるか。

#読書感想 #村田沙耶香  


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