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「ロックが好き」って言っていいんだって

スマッシュの日高さんのインタビューを読んだのは、今朝。おはようございます。

「ロックが好き」って伝えると、激しい音楽って思っている人とよく出会ってきた。

オルタナやインディなどロックにも種類があることを知らなくて、例え「インディ・ロックが好き」って伝えても、「なにそれ?」って表情をされるのは分かりきっているから言わないでいた。

ロックのイメージって色々あると思うけど、イメージされてきたのは、バンドやギターやベース、ドラムの楽器類、ヘドバンや怖そうな人が集まっている。稀に、かっこいいって言う人もいたな。
でも実際は、ソロでロックやってる人いる。ヘドバンしないゆったりとしたテンポのライブもある。逆に満員電車より人口密度高い中で好き勝手に動いてぶつかり合うモッシュもある。ライブ中に倒れたら助けてくれるのは、怖そうな見た目の人だったりする。

「ロックってこうでしょ?」ってゆう勝手なイメージを押し付けられてきて、私は徐々に「ロックが好き」って言えなくなっていった。

日高さんのインタビューで、

https://lite.blogos.com/article/419534/?axis=&p=1

‘‘「最初は地元の人も『え~、ロックの人でしょ』と引いてたけどね。ロックの人だって洋食ばっかりじゃないよ。おにぎりとみそ汁も食ってんだよ。それにそもそもロックの人とか分けるのは日本だけだから。都会の人とか田舎の人とか外国の人とか。そういう括り、意味ある? すべてを含みすべてを取り込むのがフェスティバル。何でもありがフェスティバルだから」’’

に、感情が揺さぶられた。
そうなんです。おにぎりだってみそ汁だって食べる。都会だって田舎だって関係ないし、音楽の下ではみんな同じなんです。

ギタリストが汗だぐで演奏しているのも、ボーカルが必死な表情で歌ってるのも、ドラマーが倒れそうなくらいのトランス状態も、音楽に命をかけてる。オーディエンスも一瞬一瞬を忘れまいと必死なのも、(おこがましいけど)同じようなもの。

‘‘ 今年は大雨の中テントが水没しても、めげずに思い思いの方法で音楽を楽しむ人たちがいた。まさしく日本のフェス文化を牽引してきたのはフジロックで、そこにくっきり通る一本の筋は日高正博というひとりの人間の音楽観、価値観、自然観によって支えられている。 ’’

と、記事にもあるように、好きなものを追い続けていく、それがその文化を残していくことに繋がっていく。コンビニがなくても電波が繋がりづらくても山の中で自然に囲まれて気温差もあって、大雨もある、それでもフジロックに行く理由の本髄は、「ロックが、音楽が、好き」とゆう気持ち。そこにあると思う。

知らないが故の刀を振りかざしてくる人のことは気にしなくて良くて、堂々と「ロックが好き」って言っていいんだって、今なら思う。

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