アウトプットに関する愚痴

 自分の声を忘れた動画(上にあるやつ)の5分30秒くらいのところで鴨見カモミ先生も仰っているように、アウトプットは大事なんですね。
 だから、僕もちゃんとアウトプットしていこうと思いますね。思うだけですが。
 というのも、絵とか音楽って細かくてもアウトプットできるイメージありませんか? これは僕の偏見なんでしょうか。絵だったらとりあえずラフに起こしてみたり、音楽も2秒くらいからもうエモさが生まれてると思うんですよね。
 でも、小説ってどのくらいからアウトプットできるんでしょう。絵のラフって小説で言うプロットだと絵を描いたことがない僕は思うんですけど、プロットだけ見せびらかすのってやばくないですか? ネタバレじゃんっていう。
 最近その辺壁ですね。山無し谷無しオチも無しみたいな見切り発車でその日その時書きたいだけのお話をちょろっと書いて、後日必然的にエタる(未完で放置するみたいな意味です)のを繰り返してもいいのかなみたいな。これはなろうとかでも言われてることですけど、やっぱ日常的にエタってる人の作品って読む気失せると思うんですよね。

 いや、下手なうちはやっぱ書き得かも。ごめんなんでもないわ。
 ほんとはエタる間もないくらい全部短くまとめたいけど、実際短編のほうが難しいのが何もかんも悪い。

 少し話が変わりますが、どんな雑魚にも締め切りはあったほうがいいですね。
 なんでかって言うと、割とすぐに話の大枠は決まるんですよ。方向性というかこういう雰囲気で着地させたいな~みたいな。
 でも、今手元にあるプロットを例に出すと、登場人物が最低でも2人は必要で、その2人にはある程度太めの関係性があるべきだってところまでは着地点から逆算して判断できるんですけど、その2人の具体的な関係はぶっちゃけ何でもいい。恋人でも、学校の先輩後輩でも、幼馴染でも、結婚しててもいい。
 この「何でもいい」から先が長いんですよね。何でもいいからってサイコロ振って決めていいってわけじゃないと思うんですよ。何故ならば上手い奴はサイコロで決めてないから。
 この一見何でもいいじゃんって要素にどういう意味づけをして、物語を回転させていくかってところに「読める」小説かそうじゃないかの分岐点があるような気がしてならないですよね。僕だけかもしれないですけど。
 ただ、この作業には終わりが無いのである程度で切り上げて次に行くために締め切りってのは存在してるんだろうなって感じです。コンパクトにPDCAを回すためには外部からの区切りが必要になる場合もあると。後半はそういうお話でした。

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