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『測りすぎ』 ジュリーZミュラー みすず書房

購入した記事で知った本です。

 医療でも数値化しよう、スコア化しよう、診断・評価基準をつくろうという動きはずっとある。それはもちろん利点もあって、共通の評価基準議論がしやすくなったり、また緊急で対応しなければならない場合の迅速な状態把握に繋がったり、そもそもそういった数値化、客観化の積み重ねで症状を整理して○○病という概念を作り出し、また感覚のみでは絶対に生まれないような、特異的な治療などの解決策を創り出せてきたのだと思う。

 その方針の根底には善意があり、今後も紆余曲折を経ながらサイエンスとして積み重ねて結果を出していくんだるうな、ということも疑っていない。

 記事には幾つかの「測る」弊害がわかりやすく箇条書きでまとめられていた

(1) 一番簡単に測定できるものしか測定しない
(2) 成果ではなくインプットを測定する
(3) 標準化によって情報の質を落とす
(4) 上澄みすくいによる改竄
(5) 基準を下げることで数字を改善する
(6) データを抜いたり、ゆがめたりして数字を改善する
(7) 不正行為

 だけど、頼り切るのもいけないし、”数値で表せられているものが全て”ではなく”数値化出来ない部分の存在”も肯定しておいたほうが良いと思う。そしてそういった漠然とした全体像であったりを捉えていくのが感性なのだろう。

 例を挙げると、既存の病気の分類にあてはまらない、矛盾する、病気の数値で説明出来ない(もしくは検査の異常がない)ものは何でもかんでも”精神的な問題”、”心因性”と短絡的に決められてしまってバカスカ抗不安薬や睡眠薬が出されてしまっているので、今大きな問題になっている。 

 わからなくても、説明できなくても、良いのだと思う。ただ”困っていること”は受け入れ、時間をかけて観る姿勢は持ちたい。


 

 ”富士山”を語るとき、それは標高や場所など数字で表せるものは沢山あっても、それで全てを語れると確信出来る人なんて一人もいないはずだ。

 様々な四季の姿や登った人の感想や無数の情報が集まってようやく、朧気にでもリアルな実体が浮かび上がっていくのが真理だと思う。

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