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自分を物語る

ことばって、何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指さすのが、ことばだ。

長田弘
「花を持って、会いにゆく」、『詩ふたつ』

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今年もたくさん読むのだろう。
社会人になっても、年間70冊くらいは読むことができている。

電車の中でほぼ全員が携帯をいじってる。その均一性がどうにも気持ち悪かった。
テレビやYouTubeは何もしなくても全ての情報が頭に入ってきてしまって、趣味としては受け身すぎた。

そんな動機で始めた読書だけど、でも今はちゃんと言える。
本が大好きだ、と。

文字だけで完結される世界。
自分の中で映像が、情景が想起される。
気持ちが追いつくまで何回も読み返したり、しおりを挟んで立ち止まったりできる。

情報の種類が1つしかないから読み進める力は必要だけど、だからこそ固定化されない。
自分の頭や心まで、支配はされない。

そんな本がたまらなく好き。
そうやって、これからも共存していくのだろう。


一方で、読書という趣味に対して
「いい趣味だね」
「私も読書できるようになりたい」
とよく言われるけど、いい趣味だとは思わない。

本を好きな理由はもう1つある。
それは、言葉への執着。

元々自分の感情を言語化することが苦手で、それでもいいやと思っていた。
言語化できない思いが浮かんでくる毎日。
それらに対して言葉を付けようとすると、どうにも薄っぺらくなってしまうような気がして。

そんな思いを抱いてる時に出会った。
風景が、感情が、出来事が言語化されているものに。

綺麗だった。魅せられた。
言葉が紡がれていく姿から、どうしようもなく目が離せなかった。
ずっと溺れていたかった。

なにもかもがどうでもよくなった。
本さえあれば生きていられると思った。

そうやって、自分の人生を捨てた頃があった。
物語を読むことで生きた気になっていたから。

でも、それは「共存」ではなくて「依存」になってしまう。
本を読むことが娯楽であるうちは良い。
けど傾倒してしまうと、それは自分の人生を生きていると言えないような気がしている。


いまは自分の人生を生きているだろうか。
自分を、自分の周りの人を、大切にできているだろうか。

そんなことを考えてはいるけれど、相変わらず自分のことは後回しだし、本は増えていくだけ。
これからも本は読み続けていくのだろう。

仕方ないよね。面白いんだもん。

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