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「正しいだけの言葉」─発信者として考えること─

みなさんこんばんは。
美沙です。


今回は題名の通り、「正しいだけの言葉」について。
考えても考えても答えが出なくて苦しくなってしまうテーマではあるのですが、発信者として逃げてはいけないテーマだから、今のわたしに書けることを書きます。

この記事は次の3段落で構成されています。

・「正しいだけの言葉」になってしまう言葉たち

あなたはあなたのままでいいんだよ。
あなたはあなたが生きたいように生きればいいんだよ。

いろいろな広告や媒体で、勇気をもらえるような言葉を見る機会が増えました。そうした言葉たちはTwiter等各種SNSで爆発的に拡散され、たくさんの人たちに届いています。

わたしもそうした言葉たちに勇気をもらったことがあります。
他にもこういった言葉に影響を受けた方は少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

でも、少しだけ気になってしまうときがあって。

例えばわたしが、あなたが、その言葉に勇気をもらって"自分らしく"生きることを始めたときに周りはどう反応するだろうか。

本当の本当に、受け入れてくれるのだろうか。
もちろん受け入れてくれる人は一定数確実に存在します。
でももしかしたら後ろ指をさされることもあるかもしれないし、馬鹿にされたり笑われることもあるかもしれない。

いいえ、"かもしれない"じゃないです。
100%絶対に心ない反応をされることはあるでしょうし、攻撃されることも増えるでしょう。

そんなときに、その言葉はあなたを守ってくれるのかな。
あなたはめげずに「僕は、わたしは、自分の生きたいように生きるよ!」って言い続けることができるのかな…?
もしわたしがそんな状況にいたとしたら、そんな自信ないです。
わたしも含めて、みんなそんなに強いわけじゃない。

「あなたが生きたいように生きればいい。」
正しい言葉ではあるんです。でも、どこかの誰かが言っていたらしいような言葉には拠り所がない。ただ正しいだけ。それだけの言葉になってしまうと思うんです。

・何かを変えるためには生贄が必要なの?

ここで少し脱線して、昔の話をします。

何年か前に大学教授の方とお話をする機会があり、そのときに話してもらったことを今でも忘れることができません。

唐突ですがみなさんは「部落差別」という言葉をご存知でしょうか?特定の地域の出身者に対して行われる差別のことです。

昔の話とはいえ現代の日本でそんな前時代的なことが!?と非常に驚きましたが、未だに差別が行われている地域もあるそうです。

教授が話してくださったのは結婚時に直面した差別について。端的に言ってしまうと、部落出身の人間との結婚は認められないのだそうです。
そして教授が好きになった相手が、その部落出身の方だった。
両親をはじめとして反対がものすごかったそうです。それでも教授は全ての反対意見を押しのけて結婚した。結婚後も嫌がらせを数えきれないくらい受けたそうです。

話を聞いているうちにすごく苦しくなってしまって。

結局は誰かが生贄にならなければいけないのかな。

これは違う、正しくないことだときちんと異を唱えて、声を上げる。
本当に救われるべきはその人なんじゃないの?
それなのに、そんなのってあんまりだよ。

でも、きっと今までそうだったように、これからもずっとそうなのかもしれない。
何かを変えるためには救われるべき誰かが生贄になって、いろいろなものをその身に背負わないといけないのかもしれない。そして何もしなかった人たちが当たり前の顔で権利を享受する。

そう感じた時の、無力感。分かりたくないのに、そういうものなんだと無理やり分からされた絶望感。

発信する人は"それ"を引き受けないといけないのかな。
犠牲にならないといけないのかな。
理屈では分かるよ。でも、でもさ。そんなのって、あまりに悲しすぎるとわたしは思う。

・果たしてわたしの発信に意味はあるのか。

正直、なんでわたしはこんなことをしているんだろうって思ってしまうこともあります。
怖くなることも、立ち止まりそうになることもある。

でも止められないんです。

男性でもスカートを穿いていい。
男性でもメイクを楽しんでいい。
性別なんてただの記号だよ。

わたしは、わたしの思いや考えを定期的に発信しています。
現にこうしてnoteというメディアも新たに用いて、伝えています。
そしてその中で、わたしの言葉も「正しいだけの言葉」になってしまっていないか常に考える必要があると思っています。

現時点では、少なくない反応を頂けているという点で意味のある言葉を届けることができているのかなと思っています。


わたしは、表現者として、発信者として責任を持ちたい。
だから、受け身ではダメだと思うんです。
何よりもそんな状態の自分を自分で許せないと思う。そんなわたしは認めない。あまりにも悔しすぎるから。

一番大切なことは「わたしには何ができるのか?」という問いであると信じています。

見てください!
聴いてください!
応援してください!
推してください!
って簡単に言えてしまうけど、順番が違う気がします。

わたしはあなたに何ができるのか。
わたしはあなたに何を届けられるのか。
本当に大切なのはそうした主体性であって、これができていれば応援してくれる人も自然に増えてくれるとわたしは信じています。

わたしは主体者として、あなたに届けたい。あなたに語りたい。

わたしが確かに言えることは、「わたしがここにいる」ということです。

もちろんわたしが言っていることが全てというわけではないし、みんなを代表しているわけでもないけれど、届けたいんです。

約束します。
わたしが伝えたいことを、わたしの言葉で発信します。

これはあの人の言葉なんだ。
これは美沙さんの言葉なんだ。

美沙さんが言っているから、聴いてみたい。
理解したい。信じてみたい。

誰かに馬鹿にされたり笑われたとしても、同じように美沙さんも頑張っているから、自分も頑張れる!
そう思ってくれる人もいるかもしれない。
もちろんわたしが直面しているような性別の問題だけに限定せずに、違う問題で苦しんでいる人たちにも届くものがあるかもしれない。

そうなってくれれば、わたしの言葉には当事者性が生まれる。意味が生まれる。それはもう「正しいだけの言葉」ではないはずだとわたしは信じています。

だからわたしは発信することをやめません。
わたしだから言えることを、たくさんの人に届けたい。それに見合うだけの在り方を、行動を積み重ねていきます。

何かがあると思うんです。
何かがあると信じたいんです。
わたしが生贄にも、犠牲にもならずに思いを届けることができて、何かを変えていける、そんな方法。
だから諦めずに探したいし、挑戦したいんです。


やっぱり、どれだけ考えてもこれだ!という答えは出ないのかもしれません。
それでも考えなければいけないことだから。
これから発信を続けていく中で悩んで、苦しんで、迷いながら向き合っていきたいです。


美沙


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