お客さまが自分をネイリストにしてくださった
私がプライベートネイルサロンオーナーになれた理由
つい最近もネイルサロンのお客様から #この仕事を選んだわけ をタイムリーに聞かれたこともあり、皆さんの記事も楽しいので書いてみようと思います。
…結論を言うとタイトルに少しプラスし、
何度もネイルから逃げようとしたが、
お客さまにネイリストにしてもらった。
が、ネイル人生 まもなく10年生を迎える自分への正しい回答かな。と思う。
ネイルに出会った約10年前 28歳くらいの時
ただいま39歳。(2月で40歳)
28歳の当時、美容ポータルサイトの会社で コピーライターとして文章を書くバイトをしていました。
美容関係という社風もあってか、大半の同僚や上司はいつもキレイなジェルネイルを施していて、その指先を見るたび 目を奪われ 美しく見える女性の所作に憧れを抱いた当時の私。
一方 自分は「他の人より指が太いというコンプレックス」の恥ずかしさから、一度も足を踏み入れることが出来なかったネイルサロン。
「いや。私だって、皆みたいにジェルネイルをしてみたい!」という想いが募り、思い切ってドキドキしながらネイルサロンの予約を取った。
初めて行ったネイルサロンは、関西に数店舗を構える有名なヘアサロン内併設のネイルサロンでした。場所は神戸の閑静な住宅街にある素敵な建物の中にありました。
店内の扉を開けた瞬間から「美しく清潔感のあるインテリア」と「ネイリストさんの接客」に感動したことが印象的で、店長さんにネイルを担当していただいたこともよく覚えています。
スマートにサラりと始まるネイリストさんの自己紹介トーク。
カウンセリング・メニュー説明・技術の時の丁寧さ・ドリンクサービス全てが、初めてネイルサロンに行った私は、感動しっぱなしの幸せすぎる約2時間でした。
最後のお会計は、当時 一人暮らし・アルバイト・28歳の私が支払うには大変な高価格!!
1色を爪全体に塗ってもらい、(業界用語メニュー名:ワンカラー)
ほんの数粒 スワロフスキーを乗せてもらい 約1万3千円!(関西でネイルサロンへ行ったことのある方ならこの驚きをご理解いただける価格ではないでしょうか)
毎回いつ伺っても感動の接客サービスと丁寧な施術で、「そりゃあ、高価格は当然だな。」と思いながら、美しくなった爪を眺めウットリしながらお会計をしていました。
ですが当時の私は
働くことにとても疲れてしまい、自らの意思でアルバイト生活を送っていたこともあり、そんな生活環境で「4週間に1度 1万円以上という高単価なネイルサロンへ通い続けること」は難しく、
その感動に満ちたネイルサロンへは、3回ほど通ったところで終わってしまいました。
結局その後も、ネイルへの愛は溢れ続け
「通いやすい価格で気持ちの良いネイルサロン探し」をするべく
大阪郊外にある地元で通いやすい価格のプライベートサロンや、大阪市内の机がズラりと並ぶ大手量産系ネイルサロン、美容室内に併設のサロンなど、月に1回 1年以上いろいろなネイルサロンに通い続けました。
お客として通っていた後半は、何に酔っていたのか(←何様?)
接客力・衛星管理・提案力・インテリアなどをリサーチ感覚で行くことが楽しくなり、結局また高単価サロンや低価格サロンまで色々なネイルサロンへ通っていました。
当時のネイルといえば「キラキラしているネイルデザイン」がアートサンプルに並んでいること多く、当時から今も変わらずキラキラが少し苦手だった私は
ほぼ毎回、メモ帳へ自らデザインをしたネイルデザインのイラストと色名を書いたメモ帳をネイリストさんへ手渡し、そのネイルデザインをしてもらっていました。
ある時、数ケ月担当してくださっていたネイリストさんに「misachiさんがネイリストになったら、とっても楽しいデザインが生まれるので、色々なお客さまに喜んでもらえそうですね♪」
と、振り返れば100%ネイリストさんのリップサービスで言ってくださった言葉を素直に受け止め、「そうか!私がネイリストになれば良いんだ!!」と、鵜呑みにした瞬間
即アルバイト生活を辞め、高時給でアパレルの派遣OLへ転職し、OLをしながらネイルスクールへ通うために貯金生活へ切り替えました。
約1年後に念願のネイルスクールへ入学
学費も貯まり、毎週土曜日・週1・6時間の実技を習う!というネイルスクールライフを、派遣OLとの2本立てで 2年半続けました。
スクーリングを開始した当時、忘れもしない30歳になったばかりの4月。
学費は120万円よ!**⁺・・・
ネイリストになるわよ!
と決意をした派遣OL30歳の新しい挑戦・・・**⁺(キラキラァ~~)
と、華々しいスタートを切れた訳もなく。笑。
見渡せばクラスの同級生は、み~んな10代や20代前半…。(心の叫び:OMG!)
ネイルの先生が見せてくれるデモンストレーションの技術を、私以外の同級生は、たった1度のデモを見ただけでスラスラと実技に落とし込む。(何回言うねん。何度でも言う心の叫び:OMG!)
私はというと
「先生すみません。もう1度見せていただけますか?(冷汗)」と、実技もタジタジ。理解力も周りより乏しく、クラスでひとり目立っているOL30歳の落ちこぼれ…。
自宅で実技の課題を何時間しても、周りにぜんせん追いつかない30歳。辛い…。
もともと手先が器用でもない。
なんでネイルの世界を勉強しようと思ったんだ!?
その反面で
学費120万円から逃げるの!?今、30歳よ!?
また他のなにかの仕事に逃げるの!?わたし逃げちゃだめよ!
と、脳内は いつも複数人の自分たちが喧嘩中…。
スクールに行くたび、自分の実力に失望し
脳内はずっと喧嘩中でしたが、
幸いクラス皆の仲も良く、先生たちも本当に優しくて愛のある先生方ばかりだったので、
なんとか かんとか、2年半かかり
一般的にネイリストと言われる基準の
ネイリスト検定1級 と ジェル検定1級を取得し、ネイルスクールを卒業しました。
スクール在学中から、美容室の一角を間借りさせてもらったことをきっかけに
Meixing nailという看板を立ち上げました。
センスも乏しく、手先も幼いころから器用でない私は、「練習型」で今に至ります。今もなうリアル練習中です。笑。
そして、タイトルにあるように
自分はセンスもない。
手先が不器用でなかなかうまく描けないネイルから、何度も何度も逃げようとしました。ネイリストを辞めようと毎日考えていました…。
ネイルの看板を立ち上げた当時…
今、当時のネイル画像を見ても皆さまにお詫び周りをしたいくらい
本当に技術がヘタでセンスもない…。
それでも、数名のお客さまは翌月も翌翌月も通ってくださいました。
そして当時も、自分の技術がそこまで上手くないことも理解していました。
ですが、それでも毎月楽しみに通ってくださるお客さまには
「来月のネイルこそは絶対、今回よりも美しいネイルアートを提供したい!また1ケ月間練習をして、技術で恩返しをしよう!」と、そのことを念頭に空き時間は、自主練とモデルさん練習に励みました。
そして翌月、お客さまに施すネイルを自分で客観視をするとまた
…もう向いていない。下手だ。辞めてしまおう。
…え?また来月の予約もくださった。これが最後のチャンスだ!また1ケ月練習をして、翌月こそは技術の恩返しをしよう!
を繰り返しあっという間に9年が経過しました。
その間に、美容室の一角の間借りからスタートし
自分の店を構えることができました。
その自分の店舗も去年の8月に少しだけ広くなったアトリエへ移転もしました。
お客さまのお陰でネイリストという職業をいただけました。
指先の綺麗を提供させていただき、笑顔でアトリエをあとにしてくださる。
きれいごとを言うのではなく、また予約してくださるお客さまのお陰で反復練習の意欲が沸き、来月もさらに進化した技術提供を施させていただいたことで、また来月お会いできることに繋がる。
もうさすがに「逃げたい」想いはない。
「来月より、今月のネイルもまた好き!」と喜んでいただきたい。といつも思っています。
そんな想いで、今日も仕事初めでネイリストをさせていただいた幸せな1日でした。
また、皆さんの経歴も教えて欲しいです。
長文をご覧くださりありがとうございました。
Meixing nail
misachi工務店
misachi
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