Jガーデンありがとうございました&個人的な日記

Jガーデン45、来てくださったみなさん、ありがとうございました^^

すごく楽しかった~。売り子さんもいつもほんとにありがとうございます。いただいたものなど、またゆっくり楽しませていただきますね。

しばらくイベントはお休みですが、執筆頑張ります。いろいろお声もかけていただけてすごく嬉しかったです。

ちなみに通販です。

通販
フロマージュさん
https://www.melonbooks.co.jp/fromagee/detail/detail.php?product_id=418093
コミコミスタジオさん
https://comicomi-studio.com/goods/detail/107598
アニメイトさん
https://www.animate-onlineshop.jp/pn/%E3%80%90%E5%90%8C%E4%BA%BA%E8%AA%8C%E3%80%91%E3%80%90%E5%B0%82%E5%A3%B2%E3%80%91%E6%81%8B%E3%81%99%E3%82%8B%E9%A3%9F%E5%8D%93-%E4%B8%89%E3%83%BB%E5%9B%9B%E3%83%BB%E4%BA%94%E6%9C%88-/pd/1580241/

今回は商業誌の番外編じゃないので、ほんとご興味あれば……どうぞ!

それからここからは、ぜーんぜんイベントと関係ない自分の個人的なことで、今書いておかないと気持ちがしぼんでしまいそうなので書いておくことなので、私の日常や個人的な生活に興味のない人はどうぞここまでで読まないで大丈夫です。ただのわたしの個人的な自慢というか、身内の話というか、まあようは、以下、わたしのおばあちゃんの話です。少々薄暗いかもしれませんから、そういうのがいやなひとはバックしてくだされ~~




昨日、実はわたしの大好きなおばあちゃんが亡くなりました。私は三歳から、家の事情でおばあちゃんに預けられていた時期があって、十八歳まではちょくちょくおばあちゃんの家の子になっていたので、母が、本当のお母さんと、叔母二人と、おばあちゃんで、四人いるみたいなお得な感じで育ちました。

その四人の母のなかでも一番泰然としていて、肝のすわった、おばあちゃんが、息を引き取りました。がんを患い、延命を断り、挨拶をしてまわり、お味噌とぬかづけの始末まですべて一人でつけてから、私に連絡がきました。実に強い、わたしにとっては最後の最後までカッコイイおばあちゃんでした。

『狗神の花嫁』の中に出てくる比呂のおばあちゃんのセリフは、実際に、わたしがおばあちゃんに言われた言葉もいくつかあります。

わたしが悩んでいるとき、おばあちゃんは一番シンプルな言葉で勇気づけてくれ、一番合理的な道を選ばせてくれる人でした。

おばあちゃんは幼いころに両親を亡くし、苦労して育ち、破天荒なわたしのおじいちゃんと結婚しました。おじいちゃんは、朝テレビのニュースでオオハクチョウが東北の湖に飛来したと聞くや、今から行くぞと言って、おばあちゃんを連れて車に乗り込み、広島から東北までノンストップで走るような、そんな人だったようです。(わたしもそういう旅行は何度か体験しましたが、子どもだったのでよく分かっていませんでした)おばあちゃんはそんなおじいちゃんに否やを唱えるでもなく、付き従い、子どもを産み育て、おじいちゃんの仕事も手伝いました。自分の娘(私の母です)を自分よりさきに亡くすという大変な悲しみに遭っても、動揺していませんでした。どんなにか辛かったかは、聞いたことがありません。そしておじいちゃんが亡くなってからは、おじいちゃんの「おれが死んでも五年は生きとれ」という言葉のとおり、おじいちゃんの五年めの命日を過ぎてから、息を引き取ったそうです。カッコよくないですか? カッコイイなあと私は思いました。

そんなおばあちゃんは私がデビューすると、すぐに本を買ってくれました。「BLだよ」と言うと「無から物語を生むことの大変さ、BLだろうとなんだろうと関係ない。森の小道や異国の街を(デビュー作が西洋ファンタジーだったので)頭に思い描けるように書く。これが普通の人にできますか」と言ってくれました。二作め、活字になったのは、小説Charaに掲載された中編でしたが、おばあちゃんは雑誌も買い、コインランドリーの椅子に座って、小さな字を眼で追って読んだと言ってくれました。

私がデビューしたばかりのころ、おばあちゃんにもらった手紙があります。そのなかに、今も大事にしている言葉があって、自己満足ですがここに書き記します。

「仕事を持つということは、無理をしないとできない生活です。ずっと持っていた才能を花開かせることができればその使命で多くの人を幸せにできるのですね。心よりうれしく思います。」

時々、読み返します。おばあちゃんは、田舎の主婦だったかもしれませんが、私にとっては詩人でした。こんな豊かな言葉を、わたしにかけてくれる人がいるなんて、本当に幸福なことでした。おばあちゃんは、多くの人を幸せにする使命があるから才能を花開かせられるとは書かなかった。才能を自ら開くことができれば、人を幸せにできるのだと書いてくれました。開くも閉じるも、私自身にかかっているのだという、手紙をもらった当時は、そういう思いで読みました。今は、辛い気持ちになるたびに、小説を書くことの意味は分からないけれど、もしかしたらこの一作で、誰かを幸せにできるかもしれないと、自分を励ますために読み返してます。そのときどきで、おばあちゃんのくれた言葉はシンプルに、私へ勇気をくれています。

おばあちゃんは合理的なことが好きでした。ごく普通の主婦でしたが、進歩的でした。おばあちゃんが亡くなって、どうしようJガーデンあるんだよな。そう思ったらまあ、おばあちゃんなら、「みさちゃん、みさちゃんの本を好きな人が来てくれるんじゃけ、そりゃ行かないかんで。笑顔でいっといで」と言うだろうなあ……と思いました。私は楽しくJガーデンの一日を過ごしました。大笑いして過ごしました。ほんとに楽しかった。みなさんありがとう。元気をもらいました。

明日おばあちゃんにお別れしてきます。少し前に一度、おばあちゃんに会いに行きました。「作家は、定時になったらはいおしまい、言う仕事じゃない。朝から晩まで、キャラクターが頭の中を駆け巡るんじゃけ、大変な仕事。だから体だけは気をつけよ」と、おばあちゃんは私に、最後の言葉として、言いました。おばあちゃんはなんで、作家じゃないのに、作家のことがこんなに分かるのかな? そのとおりだよ。最後までおばあちゃんはわたしの理解者でした。

わたしのおばあちゃんが、どれだけわたしの自慢だったか、誇りだったか、支えだったか、もう二度と書くこともなさそうなので、ここに残して自慢したいと思いました。もし生まれ変わっても、またおばあちゃんの孫がいいなと思います。以上が、わたしの個人的な日記でした。ここまで読んでくださったかた、お目汚し、失礼いたしました。おばあちゃんへのお悔やみ等は、リプなどなくって大丈夫です。自慢のおばあちゃんだったので、自慢したかったんだなあと思ってくださいね。次は新刊の予告日記が書けるといいな!笑 以上です!

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