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空想委員会、ありがとう

三浦さんがいなくなってから、ずっとうまくアウトプットができないまま何も受け入れないまま日々を過ごしていました。
空想委員会が2023年12月9日に解散して、空想委員会というバンドがなくなった初めての日2023年12月10日に、まだまとまらない気持ちもありますが、今書ける形で残しておきたいと思います。

路上ライブのマフラー少女

私が空想委員会に出会ったのは2011年の1月
19歳だった私はバイトのお給料を抱え、錦糸町へお買い物に行っていました。
普段は降りない駅で、偶然路上ライブをしていたバンドが空想委員会でした。

1月の寒空の下、ギター・ベースとカホンを広げ歌うその姿と寒空に響くマフラー少女に一目惚れして、その場で「CDを買いたいんですけど!」と声をかけました。

路上でCDを買ったのは初めてでした。
※ちなみにCDを車に置きっぱなしで取りに走っていたのも覚えています(この人たちCD売りたくて、寒い中歌ってたんじゃないの…?ってビビった)

今の空想委員会になってまだ2回ほどしかライブをしていないこと、もうすぐライブがあるからおいでよ!と声をかけてもらい、フライヤーと「回顧録」と撮りたてほやほやの「懺悔録」を持って帰りました。
お家につき、CDを聞いたときの衝撃は今も忘れません。すぐに実家の母と地元の友だちに「すげーバンドに出会っちゃったんだけど!!!絶対売れるんだけど!」って連絡をしたのを覚えています。

もともとイラストレーターを志し、上京していた私は漠然と20歳までにイラストの仕事を一つする!と自分の中で決めていました。

当時全盛期だったmixiで、メンバーと繋がり、私がイラストを描く人であるということ、空想の音楽が好きだということがきっかけで「次CDを出すならジャケットを書いてよ」と声をかけていただきました。

田舎から上京した小娘は「東京の男はこわい!しかもバンドマンなんて!」と大いに親に心配をされましたが、小娘当人は親戚のお兄さんみたいな彼らを見て、そんな心配は全くしておりませんでした。

当時の彼らはとにかくがむしゃらにバンドを広げるために邁進していて、「研修ツアー」もその頃でした。
いつでも、快く送り出し応援し、背中を押せる存在でいたいとずっと思っていました。

彼らの頑張りのお陰で、応援してくださる方が増えインディーズのレーベルからデビューが決まりました。

2011年夏の夜に電話で「デビューが決まったんだ!」とメンバーみんなで電話してくださったこと今でも覚えています。あの高揚感はこれからもなかなか味わえるものではないと思っています。

正式に依頼を頂いたあと、当時のレーベルの事務所に呼んでいただいたときの「プロっぽいでしょ!見てほしかったんだ」と嬉しそうに笑う三浦さんを今でも覚えています。

イラストの初めてのお仕事でいきなり大きなプロジェクト、すごいプレッシャーを感じながらも様々な方のお力を借り、メソメソしながらなんとか形にできました。

2011年12月28日


「恋愛下手の作り方」でインディーズデビューを果たしました。
全国流通盤として全国各地の店頭に大好きなバンドの名前とともに私のイラストのジャケットが並んでいる。こんなに嬉しいことはありませんでした。

泣きながら色んな店舗を周り、写真を撮ったのを覚えています。

その後もコンスタントにツアーや制作を重ね、制作のたびに、作詞でメソメソする三浦さんと二人でメソメソしながら作り上げていました。

どんどんかっこよくなる空想委員会、どんどん応援してくださる方が増え、会場の規模も大きくなる空想委員会は私の誇りでした。
お力を貸してくださる人が増え、私が関わらなくたって、彼らが彼らで有り続け空想委員会の曲を届けてくれていたことが私の誇りでした。

空想委員会が頑張っているから、私も頑張っていこうとずっと心の中の柔らかいところに大切において今まで生きてきました。

野音や初めてのテレビ出演は、当時生まれたばかりの娘と家族でおうちで見ていました。
いつか娘が大きくなったら自慢してやろうと思っていました。笑

私のライフステージが変わり、在り方が変わっても、いつかまた声をかけてもらえたら120%でお役に立てる存在でありたいと、思ってずっと生きていました。

原点回帰

活動休止をしていた間も空想のメンバーが空想で有り続けてくれたらいいと思っていました。
社会復帰ツアー後、三浦さんからポツリと「まだイラストの仕事は受けてくれますか?」と連絡が来ました。
「本当に私でいい…?」と自問自答をしましたがやらないと後悔する!という気持ちが強く、「やります!!!!やらせてください!!」と返した記憶があります。

私の人生の伏線が回収された、と思いました。

やるからには120%で貢献しようと臨みました。沢山の皆様に喜んでいただけて、よかったなと今でも思っています。
「世渡り下手の愛し方」は、今までの経験値や、社会復帰をして吹っ切れ、一皮剥けた感がある彼らが詰まった最高の作品だと思っています。

社会復帰ツアーをし、10周年を迎える彼らは全てを自分たちでやっていました。

「10周年なにかやりたいことはありますか?ファンの皆さんに届けたくないですか?」とお話、企画をさせてもらい、今私が働いている会社も巻き込み、10周年の特設サイトとグッズを作らせていただきました。

その後も、復帰前とは違うアプローチを積極的取り入れ空想委員会をする彼らに様々な形でかかわらせてもらって、とっても楽しかったです。

復帰後の空想委員会と関わるお仕事のやり取りは、すべて三浦さんが窓口として行ってくださっていました。

私の空想委員会は三浦さんの存在が大きくて、今回岡田さんとグッズの制作のやり取りをしていく中で「あ、三浦さんはもういないんだな」と節々で感じていました。

三浦さんがいたら喜んでくれたかな
とか、どんな反応をくれたかなと考えながら作りました。沢山の皆様に届けられたこと、最後の最後まで関わらせていただけたこととても幸せでした。

ライブでも「空想委員会の曲いいなー!」とずっと思っていました。

会場で、私のイラストのはいったTシャツやタオルを身に着けたお客様を見て「ありがとうー!!!」と何度も心で言いました。
一人ひとりにお礼を言って回りたいくらいでしたが、不審者すぎるので我慢しました。

空想委員会を通して、私を知ってくださり、応援してくださる方もいらっしゃいました。
皆様とても暖かくて、最後の最後まで素敵な言葉をかけてくださり幸せな気持ちです。
ありがとうございました。

正直、もう絵の仕事をすることはないかなあと思っていました。
でも、昨日の景色を見て、様々な人とお話をさせていただいて、本当にそれでいいのかな?またみんなにお会いできる人になりたいなと感じました。

最後の最後まで音楽人であることを諦めず突き進んでいた彼に恥じない生き方を、していきたいと思います。
本当にありがとうございました。

岡田さん、佐々木さん、空想委員会を支えてくださったすべての方へ感謝と今後のご活躍を心よりお祈りしております。
またどこかで。


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