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「減ること・小さくなること・狭めること」は何故こわいんだろう

年末、電車の鈍行に揺られながら、一気に読んだ『未来の年表』。

発行されたのは、2017年。

2019年1月現在、ここで述べられていることのうち、すでに現実味を帯びているような話も出てくる。

<主な内容>
第1部 人口減少カレンダー
2017年 「おばあちゃん大国」に変化
2018年 国立大学が倒産の危機へ
2019年 IT技術者が不足し始め、技術大国の地位揺らぐ
2020年 女性の2人に1人が50歳以上に
2021年 介護離職が大量発生する
2022年 「ひとり暮らし社会」が本格化する
2023年 企業の人件費がピークを迎え、経営を苦しめる
2024年 3人に1人が65歳以上の「超・高齢者大国」へ
2025年 ついに東京都も人口減少へ
2026年 認知症患者が700万人規模に
2027年 輸血用血液が不足する
2030年 百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える
2033年 全国の住宅の3戸に1戸が空き家になる・・・ほか

第2部 日本を救う10の処方箋 ――次世代のために、いま取り組むこと
「高齢者」を削減/24時間社会からの脱却/非居住エリアを明確化/中高年の地方移住推進/第3子以降に1000万円給付
・・・ほか
(Amazonより)

目次だけでも戦慄するけれど、ぜんぶ読めば、しばらく放心しちゃうくらいショッキングなことも書いてある。

たぶんすべてではなくても本に書いてあることは、実際に起きるだろうな、と思う。

いま、社会を回しているシステムは、増えること・大きくなること・広げることが前提だった時代に、良しとされた仕組み。

そして『未来の年表』のなかでは、良しとされた価値観が変容し、「増えること・大きくなること・広げること」という前提が崩れ、完全にレッドカードが出されている。

もはや、イエローカードですらない。

文字通り、「もう限界」だ。

本を読み、「増えること・大きくなること・広げること」前提の仕組みから「減ること・小さくなること・狭めること」を厭わない、恐れないサイクルに、早急に作り変えるべきだ、と書いてあると、わたしは解釈しました。

けれど、人間ってホント、如何しようも無いね。

喉元にナイフを突きつけられないと気づけない。

人口推移は、予測しやすいデータだとも、著書に書いてある。

だったらなぜ、もっと早く「減ること・小さくなること・狭めること」へ舵を切れなかったのか?

今もなぜ、二の足を踏んでいるのか?(少なくとも、そういうふうに見えているのだけど、それはわたしが無知だからだろうか)。

崖っぷちに追い詰められて初めて「あれ、どうしたらいいんだっけ」と考える。

考えている間にも、数字は淡々と、現実を刻み続ける。

免れられない未来に戦慄している時間すら、本当はもう無いのかもしれない。

でも、一方で考える。

そもそも、「減ること・小さくなること・狭めること」が悪ではない時代も、あったんじゃあないの?

「減ること・小さくなること・狭めること」を恐れない人々だって、いたのではないの?

言い方を変えれば「増やさない・小さく在る・広げない」人々と、増えるのも、大きくなるのも、広がるのも、自然に任せる──そんな時代。

こうした前例が、日本でなくても人類の歴史のどこかにあれば、それは一筋の希望にはならないのだろうか。

何もわたしは「日本が〜」とか「社会が〜」とか、そんな大きなことを考えているわけではない。

ただ、何歳まで生きるかわからないにしろ、痛い思いをして死にたくない(献血人数が減って病院に行けなくなるらしい)。

友達や家族が、戦争で死ぬのはいやだ(人口減が戦争につながるとは書いていないけど国防に関わるという話は出てきます)。

生きたいように生きて、命を全うしたなと思って死にたい──その身の自由を、確保していたいだけ。

そんな慎ましやかな願いすら、既存のシステムは、叶えてくれそうにない。

だったら、無い知恵を絞るしかないし、人類の歴史のどこかで、「増やさない・小さく在る・広げない」生活が成立する文化と仕組みがあったなら、知りたい。

……そう思えば、やっぱり目線は都会から外れる。

確実に来る未来を先取りして、崖っぷちに追い詰められる前に先手を打つ──そのフィールドと答えは、悲しいけれど都会には、おそらくない。

いくつかの地域よりも高齢者数の増加率が加速しているという東京都心は、いずれ46道府県の住民の、サテライトハウスのようになるのではないかしらね。

もしくは、東京都が大きな老人ホームみたいになってゆくのかも。

もしそうなるなら、お年寄りをナメたようなホームじゃなくて、自由に買い物できたり映画を観たり、畑をやったり、お茶したりできる、こじんまりとした街のようなホームがいい。

その街の中で、仕事をしてもいい。

東京都と他の地域のインフラはどんどん整備されているだろうから、各地へ散った親戚や家族も定期的に東京に通える。

東京のお年寄りの暮らしを支えるのは、各地域で暮らす人々の税金──だとやっぱりちょっと大変かな。

「増やさない・小さく在る・広げない」生活に、都会や田舎という概念は、そもそも存在しないかもしれない。

けれど、幸か不幸か今は東京という圧倒的シティが出来上がってしまったので、これからどんどん人口が減るなかで、東京を含めたそれぞれの地域の人口規模に見合った適切な役割分担があるような気もする。

いま、少なくともわたしくらいの頭でもわかるのは「変化するのがこわくて動かないうちは誰も助けてはくれない」ということだ。

そして、自分の命も、自分で守らねばならないんだな、ということ。

とんでもない時代に産まれちゃった。生きねば。

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