お金はいらないなんて言えない

お金以上の価値があるものなんて、人の数だけ存在するだろう。

たくさん物を持つことが退屈がられたり、一つひとつていねいに過ごす日々の価値を尊んだりすることが板についてきた現代で、お金ですべからく“幸せ”の指標をはかるのは、もうほとんど意味がない。

それでも、なあ、と思う。

もっとお金があれば、あんなことも、こんなこともできる、と思わないわけではない。

わたしはお金がないことを言い訳にするのが昔からあまり好きではなくて、「お金がないならないなかでできることを考えよう」という姿勢でありたいと思って過ごしてきた。

ただ最近は「お金がないなら生み出す方法を考えよう」という思いに少し、変わった。

億万長者になりたいとは思わない。

でも、もし今よりもっとお金があったなら、行きたいところへ自由に行ける。

弟が、人生で初めて海外へ行くという卒業旅行に、カッコよく軍資金を手渡したりできる。

奨学金の残金を一気に返済できるし、両親になにかしらの親孝行もできるかもしれない。

好きなところで多拠点だって自由自在、仕事のバリエーションだって、うんと、増えるかも。

数日間くらい思い切り、稼ぐことを考えないで学びに没頭できる──。

この「もし、お金があったなら」という気持ちは「もしわたしに、もっと稼ぐ力があったなら」という悔しさのようなものも想起させる。

だからなおさら、歯がゆい。

「もしお金があったなら」と仮定をつらつらぼやいても、意味はないって、分かっている。

そして、ないならどうすればいいかは、分かっているんだけれど。

お金以外に大切なものを見出して、それを愛でていればごはんが食べられるなら、一番健康かもしれない。

わたしはただ、価値交換の手段としてのお金が欲しいだけ。

遠く遠くのあの国へ、あの場所へ、あの人に会いに行く、その手段として、お金が必要なだけ。

ふところに抱え込むお金に興味はなくて、ただただ、わたしが求める理想だとか追いかけていく世界には、どうしたってお金っていうツールは切り離せなくって、金銭と向き合わざるをえなくって、その事実に気が滅入るような、逆に気合が入るような、どっちつかずな気持ちなの。

だからわたしは、お金はいらないなんて、言えない。

そこまで達観できないし、まだまだ、未来へ気が張っている。

欲が深いのだ、とても。

あればあるだけ、きっと、やりたいことが尽きないもの。

もっと稼げるように、なりたいな。

お金を投資したくなるような、切実な創作に、価値交換したくなるような、媚びない表現に、死ぬ前にたどり着けますように。

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20190101〜/コラムや日記、メモリ〜

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