飛び込みたい世界への飛び込み方

何ひとつ、まとまっていないけれど、ここ数日、いや数週間、自分の中でなんども反芻しながら「ああそうか」「いや違う」「やっぱりそうか」を繰り返している問いがある。

半年くらい前までは「わたしはどう生きるか」ということで、悶々とし、今は「生きていきたい世界は見えたから、そこへどう飛び込むか」を思案しておる。

「つべこべ言わず、気になったことを徹底的にやればいいじゃない」と、一人のわたしは言う。

「でもそれって、無目的じゃない? 優先順位は?」と、もう一人のわたしは言う。

飛び込んだことのない世界を前に、どうやって行こうか、もうずっと、そればっかり。

自分でも、この状態は、歯がゆい。

なぜかというと、答えはいつも、同じところに帰ってくるから。

その「同じ答え」以外の答えを探してしまうのは、もしこの「何度自問自答してもたどり着く答え」を貫くとするならば、それをかたちにするまでに、想像以上に時間がかかるのではないか、とビビってしまうからだ。

時間がかかるかどうかなんて当たり前だし悩むポイントではない、とまたもう一人のわたしが言う。

「時間がかかるかどうかはやってから考えろ」、と続ける。

分かっている。分かっているのに、動けないのは、なぜ?

時間がないことを、言い訳にしてしまうのは?

なんだか書いていて、本当にじれったい。

もう少し、ちゃんと考えよう。

と、思うけれど手足を動かさないとどうにもならないことも分かっている。

あー、鬱陶しい。

ふだん虚勢を張って実力を認めてほしいとわめき散らしているのに、いざ身の丈以上のことを求められると実力不足を突きつけられて、足がすくんでしまう、あの状態に似ている。

怖気付いている、自分がきらい。

考えて考えて、それでも全然決めきれない、自分が、きらい。

いや、腹は決まっているけれど、どういう方法を選ぼうか、それが全然定まらない。

走ることは決まっているのに、どのルートを使うかが決まらないと、走り出せない。

もうしばらくは、この状態が続くかな。

産みの苦しみとはいうけれど、これも同じかな。

さっさと選んで、走り出したい。

迷っている時間が、勿体無い。

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20190101〜/コラムや日記、メモリ〜

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