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地元の人に愛される「シビウ国際演劇祭」の魔法は、他の街でも効きますか?

タイトルは、演劇祭のプレスを務めるメリーラという女性にした質問。

魔法、という表現は、シビウの歴史と、毎年試行錯誤してたくさんのアーティストと各国から集まるボランティアによって手作りで運営されてきた土台について言及した彼女に「なぜそれが成り立つんですか」と聞いたわたしの質問に対する答えとして、彼女自身の口から出た言葉だった。

「地元の人に愛される『シビウ国際演劇祭』の魔法は、他の街でも効きますか?」。

彼女は「分からない」と首をすくめた。

一瞬、「抽象的すぎる質問だったかな」と焦る。

けれどメリーラは、言葉を続けた。

「シビウで起きていることをそのまま他の国でコピーすることはできないだろうけど、この街の人は芸術の力を信じているから、そういう人がいる場所では、効くかもしれません」。


Photo: Shingo Yoshizawa


「ルーマニアで、ヨーロッパを代表する演劇祭がある。しかもその運営に毎年10人前後の日本人がボランティアとして渡航しているらしい」。

そんな情報を見つけたのは、たぶん2019年2月のこと。

きっかけは、河野桃子さんという演劇ライターさんのnoteだった。

この募集要項を見て、瞬時に釘付けになった。

「私は共産主義時代に生まれ、独裁主義の下で育った俳優であることを、逆説的な意味で幸運だったと思うのです。なぜなら、舞台の上で、観客と『瞬間を共有できること』『生き残ること』『自由をともに夢見ること』そして『ともにその時代を笑い飛ばすこと』ができたからです。」(募集要項より引用)

特に上記のキリヤック氏の言葉が、噛まずに丸呑みした果物みたいに胸の奥につかえて、ぐるぐる大回転を始めた。(あの日、偶然行かなかったルーマニアへ|Misaki Tachibana|note

河野さんとは、晴れてシビウでお目にかかることができた。直接お礼をお伝えできたのが、とてもうれしかった(ありがとうございました!)。

同時にシビウ滞在を終えたわたしは、河野さんのnoteのタイトルにある「また来ます」という気持ちがどうしてわいてくるのか、後日その理由に納得するのだった。

Photo: Magu Sumita

シビウに約3週間滞在するインターナショナルボランティアは、それぞれ滞在中のミッションが与えられる。

フェスティバル中にシビウでパフォーマンスをするアーティストたちのアテンドとサポート。

フェスティバルに訪れるVIPの対応。

映像記録チーム。

ボランティアの活動やフェスティバルの様子を発信する係。

他、いろいろ。

わたしは「ボランティアの活動やフェスティバルの様子を発信する係」として、ポーランド出身のジャーナリスト・マルゴシアという女性と協力して、約30人集まったインターナショナルボランティアの半分のメンバーをインタビューすることに。

また、わたしたちが感じたフェスティバルに関するコラムも自由に書いていいと言っていただき、マルゴシアとブログを立ち上げた。

一度、アリシアというアーティストを日本でインタビューしたことはあった。

けれどその時は通訳をしてくれた方がいたし、日本語で記事を書いた。

今回は、ライティングも英語で、個人のアカウントではない媒体で取材し、文章を書くという、人生で初めての経験。

それでもまったく不安がなく(本当にこういうところは鈍感でよかった……)、「聞き取れなければ教えてもらおう」くらいに思いながら、インタビューを重ねた。

インターナショナルボランティアは、わたしが知る限りみんな、彼ら自身でも無自覚ながら志を秘め、言葉にならないけれどずっと探しているものを、静かに握りしめ、ルーマニアにやって来ていた。

ボランティアメンバーに話を聞く中で気づいたのは「みんな人間に興味があるのだな」ということだ。

そもそも芸術、パフォーミングアーツそのものが、人間ならではの生産物だ。

それらに興味がある人たちは、表現する人の頭の中や身体の限界、表現せずにはいられないその理由に強く惹かれているようだった。

同時に、アートを通じて「異なるものをつなぎたい」という思いも見え隠れしていた。

人間であることに悩み、苦しみ、心の底から祝福して楽しんでいるように、見えた。

シビウ国際演劇祭のすばらしいところは、いろいろあるだろうけれど、運営にボランティアが欠かせない仕組みを、あえて続けているというところのように思う。

演劇に対する興味も様々、舞台の仕込みやバラシなど専門的な経験も様々、共通言語は英語だけれど喋れるレベルもバラバラ、年齢層もバラバラ、しかも多国籍ときたものだ。

コミュニケーションコストを考えたら、ルーマニアのスタッフやルーマニア語か英語が流暢な人たちだけでチームを組んだ方が、はるかにスムーズで、トラブルも少ないだろう。

それでも、シビウでは、あえて手間ひまを取る。

時間がかかっても、ストレスになっても、コミュニケーションを諦めない環境を優先する。

そのおかげで──そのせい、ではなく──イライラしているカンパニーのスタッフや現地の高校生ボランティア、インターナショナルのメンバーも見たし、逆に舞台を一緒に見て意見を交わしたり感動を伝えあったりしている様子も、たくさん見た。

この“手間ひま”が、実は何ものにも替がたいほど重要だと、個人的には思う。

シビウ滞在中は、本当にいろいろなことが起きる。

与えられた役割以外に、突然新しいミッションが与えられることもあるし、予定していたものが届かない、スケジュールがすぐ変わる、飛行機が遅延する、約束していたのに誰も来ない……などなど。

わたしはこうした「走りながら考える」進行方法が肌に合っているので、スリリングなこともあったけれど波乗りのようで楽しかった。

大きなトラブルに巻き込まれなかったから能天気に「楽しかった」などと言えるのかもしれない。

ただ、ライブ感あふれるフェスティバル会期中は“手間ひま”にどれだけ向き合えるか、胆力が試されるなとシビアな気持ちになったことも確かだ。

Photo: Shingo Yoshizawa

ボランティアという立場が積極的に携わる、DIYな現場に加えてもう一つ、シビウで印象的だったことがある。

ここでいったん話題は遡り、2011年3月11日に東日本大震災が起こって間もなくの、ある日。

わたしは池袋の東京芸術劇場にいた。

野田秀樹作・演出「南へ」という舞台を観るためだ。

当時、大学生だったわたしは、自粛に次ぐ自粛ムードでどこか人がまばらな曇天の池袋をすっぴんで歩いていた。

震災から1ヶ月も経っていないなか、公演は決行された。

当時のわたしは、すっぴんでいることが何かの罪滅ぼしになると勘違いしていたのか、顔の8割を隠すマスクをして劇場へ行った。

そこで聞いた、幕が開くまえの野田さんの「劇場の火を消してはならない」というアナウンス。

一公演に消費する電気やもろもろの労力を考えると、いま演劇をやるべきではないかもしれないけれど、それでも劇場に火を灯す──。

正直、本編よりもそのアナウンスが、今でも忘れられない。

東京芸術劇場で聞いたその一言と、シビウが、8年越しにつながった。

シビウのシンボルでもあるラドゥ・スタンカ劇場は、わたしたちにボランティアにとって、そしてフェスティバル全体にとって、そしてなによりシビウの人々にとっての心臓だ……いや、国立だから「ルーマニアにとって」と広げて言ってもいいかもしれない。

ほぼ毎日、この劇場へ通ったが、この劇場のホワイエや入り口、座席に座りステージを見上げるたび、野田さんの「劇場の火を消してはならない」という台詞が、なんどもお腹の底でこだました。

わたしが印象的だったことは、この劇場の存在感の大きさと、パフォーミングアーツに対する人々の信頼感だ。

これはシビウだけではなく、ヨーロッパ全体に当てはまるかもしれない。

事実、3年前にマンチェスターの「SICK!Festival」を観にいったときも、似たことを感じた。

当時はうまく言葉にできなかったけれど、今ではもう少し咀嚼された、地に足のついた感覚として覚える。

人は、正論や正義を真っ向からぶつけられると、気分が悪い。

「そんなこと、言われなくても分かってる」からだ。

まるで「わたしがそんなことも分かっていない、ダメなやつみたいじゃない」と思うからだ。

けれど、正論も正義も、他者と共感できる部分はあっても、常にまったく同じ感性で共鳴することはあり得ない。

本当に伝えたいことを伝えたい人に伝えるには、演出が必要だ。

「わたしの言いたいことを聞いてよ」と思うなら、真っ向から体当たりして理解を求めるのに限界がある。

シビウ国際演劇祭は、もともと学生の演劇祭として1993年に、現・総合ディレクターのコンスタンティン・キリヤック氏がはじめたものがベースだ。

1989年に起きたルーマニア革命で、人々は尊厳をとりもどし、キリヤック氏は革命の混乱で燃えてしまった劇場を復興すべく奔走したという。

ほんの、30年前の出来事だ。

ルーマニアの、少なくともシビウの人々にとって、芸術は、民意の象徴なのだとわたしは解釈した。

そこで行われる作品の価値はもちろんだけれど、演劇祭を開催すること、各国から招待したアーティストたちの作品だけを上演すること、同時に多くの“ボランティア”のちからで運営すること──それらがすべて、「自分たちの選択」であり、誇りなのだろう。

ルーマニアのお金の100レイ札(レイはお金の単位)には、ヨーロッパの劇場でよく見かける、笑った顔と悲しい顔の2つの仮面が描かれていた。

お金に劇場のシンボルを載せるところからも、ルーマニアの歴史と生活に、どれだけパフォーミングアーツがしみ込み、人々の誇りになっているかが伝わってくる。

社会と芸術が、こんなに近く、溶けあっているようすは、今のわたしには途方もなくまぶしかった。

芸術は、人の生活には要らない、真っ先に切り捨てられるものなんかじゃない。

芸術は、生活に必要だ。

そう確信が持てただけでも、シビウに行って、よかった。

同時に、この在り様を、いったいどう日本にローカライズされるべきものかとウンウン考え込むことにもなる。

わたしが知らないだけで、きっと読み解けるコンテクストがあるはずだ。

だから「ヨーロッパと違って日本の芸術はウンタラカンタラ」などと知った顔で物語るのは、絶対にしたくない。

これから、ちゃんと知ろうと思う。

Photo: Magu Sumita

冒頭にご紹介した河野さんに教えていただいたことだが、去年は今年よりもずっと作品数や公演数が多かったらしい。

あまりにも多くて観劇しきれないから、今年はグッと数を減らしたのでは、とおっしゃっていた。

そんなふうに、毎年トライアンドエラーを繰り返しているのも、ひとけが強く、憎めない。

帰国してから、もう1週間が経とうとしているらしい。

熱は覚めず、まだどこかで観客の歓声や街中で毎日繰り広げられたバンドやサーカスの音楽が聞こえてきそうだ。

まんまと「また行きたい」と思ってしまっている。

芸術が生活にゆさぶりをかけ、生活が芸術を育む。

そんな共犯関係に、自分も身を投じたくなる。

これがシビウの“魔法”なら、どうか解けずにいてほしい。

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