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たましいが抜けたあと

noteのアプリを立ち上げたら、こんな企画が始まっていた。

なんてタイミングだ。

しかも、よりによって、アイキャッチ写真がゴールデンレトリバーだ。

わたしたちの家族は、つい1週間前、逝ってしまったばかりだというのに。

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カーロは、2008年に我が家にやって来た。

千葉の房総半島出身、英国ゴールデンで毛が白いのが特徴。

くりん、としたまん丸の目は、歳を重ねるほどますますまん丸になっていった。

人なつこくて陽気な先代犬のルーレットと違って、第一印象は、どこか一匹狼のようなマイペースな感じ。

「気が合いそうね」と思った。

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カーロは、写真に撮られるのが嫌いだ。

スマホのカメラを向けると、まん丸な目を細めて眉間にシワを寄せたり、明らかに「ダルい」という顔をする。

じゃあ、好きなものは?

母が洗濯ものを干すときにうっかり居間に落とした、弟の靴下が好き。

そのほか、「触っちゃダメなもの」「家族の誰かの落し物」などを見つけると、口にくわえてカモノハシみたいな顔で、こちらをチラチラ見る。

「あっ、返して!」と言って手を伸ばすと、ちょうど指先がギリギリ触れるか触れないかくらいの距離にサッと移動して、またこれ見よがしに口になにかしらをくわえて、ゆっくりクルクル回る。

「返してくれないの?じゃあもういい」と言ってそっぽを向くと、こちらの手元を湿った鼻でグリグリ押し上げて「見て見て」と寄ってくる。

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いたずらも好きだけど、不用意なことはしない。

両親は共働きで家を空けることも日常茶飯事だったけれど、カーロはいつも行儀よく留守番していた。

他には、りんご、ボール(噛みごたえのあるもの)、泳ぐことが好き。

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カーロと父の朝は早い。

6時くらいにはもう、目的地への道中だったり、なんならもう目的地へ到着していたりする。

実家に帰ればすっかりスイッチが切れて、催眠術にかかったように寝てばかりのわたしは、なかなか父とカーロの生活リズムについていけなくて、たいていは「おはよう」と「おかえり」を同時に言って、現地で気持ちよさそうに泳ぐ水面に浮いたカーロの写真を見ながら「次こそは」などと約束するのだった。

その「次」は、結局来なかったのだけれど。

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先代犬のルーレットは外でつながれているばかりで、一緒に過ごす時間が少なすぎたから、今度こそとカーロは室内で過ごすことになった。

一緒に過ごし始めると、人間でなくても、なんでか言いたいことが分かることに驚いた。

喜怒哀楽には分別できない、感情の機微があるのだ。

カーロがいると、みんながカーロに話しかけた。

カーロがいることで、新しい習慣が、いくつかできた。

例えば、毎年必ず家族4人と一匹で初詣をするようになったり。

デザートのくだものは一切れ残してカーロにあげたり。

家の間取りも、カーロが来てからわたしも弟も家を出たこともあり、ソファーが一つ無くなって、広くなった。

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もう、あのたまご型の頭を撫でることはできない。

実家に帰省しても、しっぽを振って玄関まで出迎えてくれることもない。

リビングの椅子の下には、足元でおこぼれが落ちてこないか待ち構える人もいない。

大学に進学して初めて帰宅したとき一瞬わたしのことが誰かわからず後ずさった顔。

一緒に散歩していてリードを強く引っ張られたわたしが「待って」と言うと歩みをゆるめてこちらを振り向く目。

リビングの椅子に座っていると構って欲しさにテーブルの下から手元を鼻で強く押し上げて撫でてくれとねだる鼻の湿り気。

突然くるくる回って自分の尻尾を追いかける眉間のシワ。

窓の外を見ながら家族の帰りを待つお尻。

そんな姿は、思い出そうとせずとも、浮かんでくるというのに。

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世の中では、大変なことがたくさんおきている。

10代の女の子が世界中の要人たちが参加する場で怒りと涙のスピーチをしたり、文化事業の予算が突然取り消されたり。

もちろん、そういう大きな話だけでなくて、日々の業務やわたし自身の身の振り方など、考えなければならない大切なことは、山ほどあると、わかってる。

けれど。

家族が一人、いなくなってしまった。

その事実が作る穴は、思いのほか大きくて、ふと写真を見返したりすると、涙が出てきてしまうから、まだなかなか、世界に立ち向かう力がわいてこない。

結局、わたしはカーロが亡くなった姿を自分の目で見ることはできなかった。

亡くなったのは、休日の昼下がり。わたしは仕事の真っ最中で、すべてが一旦終わったその日の夜に、母にLINE電話をかけて、事の顛末を知った。

LINE電話越しに見えるカーロは、なんだか、魂のかたまりみたいなものが、すっぽり抜けてしまったように見えた。

画面越しに横たわっているのは、カーロではない、何か違うものに見えたのだった。

実際に、からだに触れていたら違う感覚を覚えるのかもしれないけれど、遠隔ででしか、その死を感じられなかったわたしは「たましいが抜けちゃった。カーロはどこかへ行っちゃった」と、思った。

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最後に会った時のツーショット。

本当は、からだを置いてどこかへいっちゃう前に、もう一回、会いたかったな。

カーロ。

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