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中川家のラジオにただよう、哀愁の「おじさんワールド」

ラジオが好きだ。

中学1年生のころFMラジオの「SCHOOL OF LOCK!」(以下、SOL)を聞き始めたのが、ラジオを好きになったきっかけだった。

当時は、バンド「BUMP OF CHICKEN」が有名になり始め「音楽が好きな子が知っているちょっとマニアックなバンド」だった。

テレビの歌番組ではもちろん登場しない、メジャーな音楽とは一線を画した知る人ぞ知るバンド、というイメージが強かった。

そんなBUMPが、SOLで“先生”として番組に登場していた(SOLでは曜日ごとにアーティストが先生としていろんな授業を担当するコーナーがある)。

平日の、23:00から20分間ほど、毎日違う“先生”が登場して、リスナーからのお便りに答えたり、新曲への思いを語ったりした。

なかなかBUMPの、音楽以外の一面を知る機会がない私たちにとっては、SOLはBUMPの素の部分が見られる貴重な時間だった。

音楽好きな友人と「昨日、SOL聞いた?」と話すのも、知る人ぞ知る世界の話を暗号を使ってやり取りするようで、秘密めいて、好きだった。

SOLから始まり、他のFM番組を聞くようになったけれど地元ではAMの電波が全く入らなかったので、上京してからやっと「オールナイトニッポン」やJ-Waveも聞くようになった。

ラジオへの愛は、いくらでも語れるのだけれど、今日はほんの少し、違う話。

いまよく聞いているのは、オールナイトニッポンPremiumの中川家の回。

人間観察系のネタが好きだからか、番組の進行を無視した兄弟のやりとりがあんまり楽しそうだからか、中川家のラジオにハマってしまった。

もともと「中川家、おもしろいなあ」とは思っていたけれど、そんなにしっかり漫才の趣向だとかを考えたことはなくて、ラジオを聞いて知ったのだけれど、彼らが得意とするのは「おじさん」ネタなのですね。

主に40代後半から50代以降の「おじさん」が、トークの主人公であることがもっぱらなのだけれど、「おじさん」と対比構造で登場するのが、「若い子」とされる10代から20代、ときおり30代までの女性、そして時に若い男性たち。

ラジオ番組でも「近頃の若い子は……」というトーンで、トークが始まることもしばしば。

その枕詞に続くのが、ただの批判や自慢ばかりの「おじさんマウンティング」であれば、30秒と聞かずに他の番組に変えてしまうだろう。

けれど、中川家の場合は、そうではない。

なんだか、自分では足を踏み入れられない、遠い世界のこと(若い子たちの生活や関心ごと)について想像をふくらましながら茶飲み話をしているような、批判するでも羨ましがるでもない、ただただ傍観しているようなトークが繰り広げられる。

これはわたしのバイアスがかかっているだけなのかもしれないけれど、その哀愁ただようおじさんトークが、なんだかクセになるのです。

「おじさん」というと、悲しい哉「自己の常識を“世間の一般常識”として押し付けてくる無理解かつ保守的な生き物」的扱いをされることも多い。

けれど、そうではない、ただただこちら(ミレニアル世代)を傍観しながら、茶々を入れつつも攻撃はしない、という存在のおじさんたちも、いるのね、と思ったらなんだかこちらから見てもそうしたおじさんたちの世界が「新しいもの」に見えてきて、ついついラジオを聞いてしまうのです。

敵対するのではなく、ただそこにいるだけ、ただ同時に同じ場所に存在するだけ、というのは、余計な気苦労がなくていいわ、とラジオを聞きながら感じる。

世代間の生活や価値観の変化が、目まぐるしくなればなるほど、多様性を受け入れろ、という緊迫感が生まれる。

でも、受け入れなくても、いいじゃない。

“そこに在るだけ”で、いいじゃない。

無関心は愛情の対義語だというけれど、無関心と“そこに在るだけ”を受け入れるのは、また少し違うスタンスだと思う。

そんなことを、「中川家のオールナイトニッポンPremium」から学んだり学ばなかったりしているのでした。

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