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世界の終わりがくるまえに残しておきたい「ほんとうのこと」

北海道胆振東部地震が起きたとき、わたしはスマホを片手にうつ伏せで眠りこけていて、朝、ドンドンと部屋の扉が叩かれる音で起きた。

夜が明け、深夜3時に発生した地震が引き起こした甚大な被害を知る。

わたしが暮らす下川町は不幸中の幸いでガスは止まらず断水もせず、ひと晩、電気が止まっただけだったのだけれど。

──否、“だけだった”と書くと、仕事や地域によっては大打撃を受けた方々がおられるので、ひどく語弊があるから訂正する。

けれど、土砂崩れした山肌の写真や真っ暗な都市部の様子、避難生活を強いられた方々の声などを聞けば、少なくともわたしの暮らしに限定すれば、被害と表現するほどのものではないと言えると思う。

朝、オフィスに顔を出したけれど結局電気が通らなければパソコンで作業することもできないから「今日は解散」。仕事は無くなった。

涼しい秋風がふいていて、お日様は高くのぼり、まぶしいほどの、青い空。

「さて、どうするかな」と万が一の断水に備えて湯船に水を溜めながら考える。

家にずっとこもっていても仕方ないな、と思った。

被害の模様をインターネットで手に入れようと思っても、電池を消耗するからそこまでスマホを使うわけにもいかない。

外へ出れば、ふだん人通りがまばらな国道に車が何台も止まり、町内の小さなスーパーには行列。

消えた信号

交通整理をする警察官

強く横に吹きつける風

ガソリンスタンドへ急ぐ車。

あとから聞けば、町内の飲食店は、冷蔵庫が止まってしまってダメになる直前の食材を調理して無料で配っていたらしい。

ただ、今でも本当に不思議なのだけれど、なぜか「スーパーに行って食料を買い込まなくちゃ」という気持ちにならなかった。

宿泊事業をやっている身としては、あるまじき感覚なのだろうから、本当に猛省している。

でも「スーパーに行かなくてもなんとかなる」と、なんの根拠もなく思っていた。バカなのかな。

もしくは無意識にパニックになっていて、冷静な判断ができなかったのかもしれない。

その日は結局、昼前から友人たちと川へ釣りに行った。

午後から大切なお客様が来る予定だったから、せめて食べるものくらい自分の力でとりに行って、もてなしたかった。

嘘みたいに晴れて、うっすら汗ばむくらいの気温の中、渓流の音を聞きながら慣れない手つきで竿を投げる。

やっとのことで釣れた魚は、小さなヤマメ一匹だけ。

釣り針から外してさばき方を教えてもらい、命をいただく。

つるん、つるんと何度も手のひらから滑り落ちて川に逃げそうになるヤマメを見ながら「お互い生きるために必死だね」と少し苦笑いした。


お客様が来てからは、町内の展望台や山の中腹を少しだけ歩いて案内した。

燃えるような夕焼けと虹色の空が、少しずつ山の向こうにすいこまれていく。

明日また、ちゃんと太陽はやって来るだろうか。

当たり前に明日の予定を話していたけれど、また同じように朝は巡って来るだろうか。

高台から望む夕焼けに照らされた町は、とてもとても小さく見えた。

その日は一日中電気が戻らず、夜はろうそくや投光器を使った。

街灯も消え、明かりは星のきらめきだけ。

自然の闇に、人間の町がとけてしまったようだ。

人間がいなければ、本物の夜はこの漆黒がすべて。

部屋の暗さに目がなかなか慣れなくて、夜といえどふだんどれだけ明るい光が使われているかがよくわかる。

外に出れば、満点の星空。

町内でも、ちらほらとら外へ出て空を見上げている人影や、駐車場でバーベキューをしている家族やグループがいた。

彼らを見ながら、そしてわたし自身も友人たちと空を見上げて、今朝、本当に災害が起きたのだろうか、とふと思う。

混乱に陥ったりパニック状態になったりした人も中にはいたのだろうけれど、なぜ大停電になってもこの町はこんなに静かで、人々は半ば諦めたように、まるで不便を楽しむかのように、星空を見上げて「きれいだね」と言い合っているのだろう。

釣って来た魚を食べて、ゆれるろうそくの灯りに照らされた、友人たちのよく見えないおぼろげな表情が、影を作ってゆらゆらする。

とるにたらない、他愛もない会話。

ふだんどおりのメンツ。

灯りもある。みんないる。水も飲めるし、食事もある。

ただ、いつもと違うのは、電気が通っていないこと

──ほんとうに、それだけ?

……不謹慎を承知であえて表現するけれど、世界の終わりがくる最期の1日は、もしかしたらこんな感じなのではないかなと、思わずにはいられなかった。

昼間、釣りに行く準備をしているときも、秋風に揺れるカーテンのなびく動きやそこからちらちらのぞく木漏れ日が美しくて、それを見ながら「まるで世紀末だ」と思った。

もう、どこにも、安全な場所なんて、ない。

いつどこで、誰が災害や不幸に遭うか、分からない。

命が危険になるほどの酷暑も、水没した関空も、豪雨で浸水した中国地方も、次々と列島を直撃する巨大な台風たちも、まるでここぞとばかりにたたみかけてくる自然の猛威。

そうした“異常”な、非日常な出来事が続く日々の中で、地震が起きて全道で停電になっても、何食わぬ顔で営まれる“日常”の力強さに、わたしの方が若干ついて行けなかったようだ。

というのも、その反動が、停電から一晩明けて、ドッと押し寄せてきたから。

キャンドルナイトを経て迎えた“明日”は、やっぱり何食わぬ顔でやってきた。

電気もとおり、ふだんどおり出勤してみたけれど、「もし、わたしが被害にあっていたら?」という特に生産性のない仮説は、無意味だとわかっていても、仕事への集中力を削いだ。

地震の被害のニュースばかり目で追ってしまったし、その度に痛々しいニュースや彼らを慮る人々のあたたかい声、支援の動きが次々と飛び込んできて、うれしくも、自然を前に無力なことを思い知らないわけにはいかなかった。

電気が戻り、通常運転に戻ってからも、やっぱり大停電のあの夜の「異常なほどの日常」感は、まだわたしのなかでうまく消化しきれず、ずっとざわざわしていた。

そして完璧に日常を取り戻して何ら不自由ない暮らしを再び送ることができるようになった週末、参加するつもりで楽しみにしていたイベントも中止になり、久々に何も予定を入れずに「ふう」、とソファに深く腰掛けたら一気に涙が溢れてきた。

何も悲しくないのに、何の不自由があったわけでもないのに、何かを必死に繋ぎとめておこうとするかのように、ざわざわした心の雑念を洗い流すかのように、涙がとにかく止まらなかった。

一度、間一髪でロンドンのテロ事件に巻き込まれそうになったことがある。

・その時のこと:テロが起きたのは|Misaki Tachibana|note

そのときもひたすらSNSで情報収集して、自分がもしあの場にいたら、と否応なしに想像した。

被害者の数やテロリストと思われる加害者の情報が緊急速報として届くたび、食い入るように見ていると、いつのまにか涙がころころ出てきて止まらなくなった。

そのときは、わたし一人きり。

海外の一人旅で、あんなに心細かったことはない。

自分の不安を、分かち合える人が誰もいないのは、あんなにも苦しいのだとギリギリ保つ正気の最中で思った。

隣にいたカップルや、一人でコーヒーを飲んでいたおじさんに、何でもいいから話しかけたかった。

「わたし、さっきまでロンドンのビックベンの近くにいて、テロの現場にいたんです。もしかしたら巻き添えになっていたかもしれません」と不安を言葉にして誰かに伝えたかった。

そうでもしないと、無言で迫り来る何か大きなものに立ち向かえなくて、一人で抱え込みきれなかったから。


今回の地震においても、わたし自身は大した被害は受けていないのに、収集する情報にショックを受けるなら距離をおけばいいのに、なぜか「何かできることはないか」などとふだん振りかざさない正義をかついで、似合わないことをしようとする。

同時に、何が起きているのか、ほんとうのことを知らねば、とも思う。

けれど緊急事態では、事実確認も重要でありつつ、心と身体の手綱をしっかり握っておくこともすごく大事なのだということも分かっている。

ほんとうのことは、いま、ここにしかない。

わたしが生きているという、それしかない。

だったらそのほんとうのことを、こわれないように離さないように、守りぬくことが何よりも優先されること、のはず。

わたしのばあいは「しっかり手綱を握る」方法が、「書く」ことだ。

だから何が起きても、きっとわたしは文章に昇華してしまうし、そうでもしないといっぱいいっぱいになってしまう。

わたしなりの生存戦略を、どうか、許してください。

もしこのタイミングでこのnoteを投下すれば、誰かの心が傷ついて、誰かの心の手綱が手から離れてしまうのではないかという不安に駆られても、書かないと息がつまりそうで。

それに、当たり前に明日が来るわけではないなら。

今日が、世界の終わりがくる前日だとするなら。

いまわたしが知りうる、感じうる「ほんとうのこと」を、ここに残しておきたくて。

最後になりましたが、被害に遭われた方々の、一刻も早い復興と安全を、心からお祈り申し上げます。どうか心身ともに、ご無理をなさいませんように。

読んでいただき、本当にありがとうございます。サポートいただいた分は創作活動に大切に使わせていただきます。