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箱出駅伝の“隙”に惹かれる、お年頃

年始の風物詩でもある、箱根駅伝。

ここ数年は、毎年、なんだかんだテレビの前で釘付けになり「がんばれ」と小さく拳を握ってしまう。

ふだんはまったくスポーツ観戦なんてしないから、ただのニワカなのだけれど、それでも箱根駅伝に興味を持つようになったのはある日、突然だったことは今でも覚えている。

大学生になって、地元である静岡を離れ、東京で一人暮らしを始めた。

以来、年末年始は、毎年かならず実家に帰ると決めているのだけれど、箱根駅伝を見るようになったのは今から5年くらい前からだ。

それまでは、父に録画をお願いしていたお笑い番組や舞台、映画を見てグダグダ過ごしていた。

グダグダ過ごすのは今でも変わらないのだけれど、箱根駅伝を観戦する時間は格段に増えた。

中学生や高校生のころは、わたしがお笑い特番なんかを見たがってチャンネルを変えるたび母が「箱根駅伝の良さは歳をとらないとわからない」というようなことを言っており、当時わたし自身も「人が走っている姿を見て何が楽しいんだろう」と思って疑わなかった。

そんなふうに無関心だったわたしが、出先で「あっ、青学が2人抜いたって!」などとわざわざ検索して調べちゃうまでになったんだから、駅伝ってスゴイ。

最後まで箱根駅伝を見届けたのは、5年前。

実況中継をしているアナウンサーが、1位集団を走る選手を矢継ぎ早に紹介したあと、CMが数本挟まった。

それらが終わってカメラが駅伝の実況に移ると、1、2分前まで固まっていた1位集団が大きくバラけ、スパートをかけた選手が他の選手を引き離していた。

番狂わせが目の前で起こると、何気なく見ていた試合にも興味がわくものだ。

そのシーンは第何区だったか覚えていないけれど、1位集団がバラけてからは全選手がゴールするまでのすべて、テレビの前で座って見ていた。

今年も、箱根駅伝の季節がやってきた。

うちにはテレビがないので、テレビを見るという行為は、ほとんど実家に帰った時くらいしかしないこともあり、年末年始のちょっとしたイベントになりつつある。

今年も当たり前のように箱根駅伝にチャンネルを合わせたけれど、ふと「そういえばわたし、ふだんスポーツ観戦なんてしないのに、なんで箱根駅伝を見たくなるんだろうな?」と、思った。

箱根駅伝が、ほかの何と違うのかを考えながら、今日の往路を観戦していた。

23校に所属する、ほぼすべての選手は、テレビで紹介される。

一度も画面に映らない選手は、おそらくいない。

そして、それぞれの選手のプロフィールや、その年にかける思いをアナウンサーが簡潔に紹介する。

リベンジをかける選手、区間賞連覇を狙う選手、陸上部で一人きりで練習を続けていた選手──といった具合に。

しかも選手だけではなく、先導している白バイやワイプで抜かれた解説担当の過去の出場選手の生い立ちや箱根に関わる背景も、時折語られる。

ドラマがない人なんて、誰一人いないということが、素人目でも、すぐ分かる。

箱根駅伝は晴れの舞台であり、付け焼き刃の実力で出られるものではないことを視聴者も知っている。

知られざるケの日々を想像することで、ますます風を切って走る選手に惹きつけられる。

試合そのもののドラマティックな展開はもちろん、表に出てこない地道なドラマの気配を感じる瞬間が、一番人の心が動くのかもしれない。

すべてを見せてしまうのは、きっと無粋なのだ。

「涙は人に見られないと意味がない」と、どこかの小説の一節で読んだ。

けれど、必ずしもそういうわけでもないなと、思う。

どんなに気丈に振る舞う人であっても誰にも知られず泣いてきたことを、ふと感じさせる瞬間があって、その“隙”が、距離を縮めることがある。

スポーツは、その誰にも知られていないプロセスが如実に結果に現れたりするから人を熱狂させるし、残酷でもある。

そういう嘘のないドラマが持つ“隙”に、きゅん、としてしまうのは、やっぱり人間の面白みに気づいてしまったからかしら。

スポーツ観戦が趣味というわけでもない、中学生や高校生の女の子で、箱根駅伝を毎年欠かさず見ているという方は、おられるのかしら。

いたらぜひ、どうして好きなのか、聞いてみたい。

わたしが中学生や高校生のころは、ただただ「走っている人たちを実況中継するスポーツ」という軽薄な認識しかしていなかったから。

年始早々、ハイライトの動画なんかも見ちゃったりしながら、明日の復路のドラマを、心待ちにしている夜です。

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