“愛ってめんどくさい”。それでも。

5年前(厳密に言えばもうすぐ6年前、になる)の3月11日の14:45に、腰が抜けそうになるほど揺れてから、ふとんにくるまり、ひとり、部屋でじっとして外に出る気にも物を食べる気にもなれず、水だけ飲んで毎日過ごした。

一週間くらい経ってから、電車に乗って実家に帰り、しばらく事が落ち着くのをじっと待っていた。

もう6年も経ったけれど、何も、落ち着いていないような気もする。

6年前の帰路、わたしは鈍行の電車に揺られながら「こんな時でも電車を動かしてくれる人がいるなんて」と、ひとり車窓を見ながらはらはら泣いたことを覚えている。

その実家に帰る前の晩にスーパーに行ったけれど、そこにも食べ物はまあまああって、レジを打つ幾人かの店員さんもいて、本当は今すぐ家に帰って家族とご飯を食べて寝たいだろうに私たちのように食べ物とか水とか買いに来るお客のためにわざわざ出勤してくれているのかと思うと、いたたまれず、会計時に「こんな時に、ありがとうございます」と言って購入した森永ダースをレジうちのおばちゃんに渡した。

おばちゃんは、びっくりして戸惑っていたけれどすぐ「ありがとう」と言った。

電車が定時に来て、お金さえ払えば大体どこへでも行ける。産地直送の野菜やくだもの、魚や食べ物が食べられて、それだけじゃなくて、欲しいと思った本や雑貨もだいたい抜かりなく手に入る。

なんてすばらしいインフラ。なんてすばらしいサービス。

もし、電車が自動運転になったなら。

トラックが運転手じゃなくて自動運転カーみたいなのが物流を担うようになったなら。

どんなに大きな地震が起きても、どんなに大変な事故が起きても、ぜんぶオートマチックで人間ではないものが担ってくれれば、みんな好きな時に好きな人と好きなだけいられるだろう。

そうすれば、きっと世の中はもっと幸せになる。

幸せに

幸せに

幸せに、なる?

手早く、隙なく物欲を満たせるようになれば、豊かになるものかと言えばそうじゃないから人間は厄介だ。

人の手間が、どんどん削減されていく。何もかもが、どんどん思い通りになっていく。

それでも満たされない、何か。足りない、何か。

何もかもが当たり前になれば、当たり前ではないことに対して違和感や戸惑い、苛立ちや恐怖を覚えるようになる。

もし、大地震が起きても、自動運転が当たり前の暮らしなら、わたしは電車の運転手さんに感謝することもないだろう。

もし、インフラがすべてオートマチックに、機械で処理され、レジも無人のマシーンなら、大災害が起きてもスーパーが通常どおり営業して食べ物が難なく手に入っても誰にも感謝する必要はない。

いや、災害の有無は、もはや関係ない。スーパーに行かずとも、いつでもいくらでも物が手に入り、それらの届くルートもすべて自動化され、人件費ゼロで行われるようになったなら。

わたしは誰にも感謝も期待もせずに、ごく当たり前にいつでもなんでも手に入れられるようになるだろう。

わたしたちの、愛情を注ぐ隙間は、どんどん失われているようだ(このことは、ある連載でも書いたので読んでほしい。有料ですが。:【待てない男女#6】“愛”ってめんどくさい)。

誰かに感謝する頻度も、誰かを想う時間も、もしかしたらどんどん減っているのかもしれない。

感謝することを忘れたら、人は、誰かの親切に戸惑いと恐怖を覚えるようになるのだろうか。

好意を疑い、人との交わりを避けるようになるのだろうか。

今の職業の半分は、20年後にはないという話を聞いたことがある。20年後か30年後か、それか、もっと近い未来か。

少なくとも、わたしが生きているうちに、その未来は来るかもしれないなと思う。

「人の顔が見えるようなものを使いたい」「つくられた過程やストーリーがわかるものを食べたい」。

そんな言葉を、何度も聞くようになって久しい。

けれど、何故そういうのが喜ばれるのか、人気なのか、わたしには腑に落ちる答えが見つからなかった。

でも、今はなんとなくわかる。

人間は、失うかもしれないと自覚した途端、その失われつつあるものを尊ぶことが多い。これは、「失われている」という意識に無自覚であろうとそうでなかろうとあまり関係なく、ある種の生存本能のような気がする。

人の手間が徹底的に省かれ、何もかもが思いどおり。無駄なく卒なく、簡潔に。

そんなものばかりで、いつか人間という動物そのものも、簡潔さを追い求め、心臓と脳みそだけになってしまうのだろうか。

わたしは、それでも。どんなに手間でも、どんなにめんどくさくても、やっぱり誰かとどうでもいい話をして笑ったり悩んだり、喜んだり悲しんだりしたい。

誰かに「ありがとう」って言いたいし、言われたいし、触れたいし、触れられたいし、目を見て話したいし、そうやって、生きていきたい。

そりゃあ汚いことやつまらないこと、憤ることだって数え切れないくらいあるし、これからも腐るほどあるだろう。

それでも、めんどくささが人間くささなら、無味無臭の世界は、まだ遠い未来であってほしい。

2016年の慌ただしい年末に、電車がこなくてイライラしたり、忙しさのあまり気持ちが落ち着かない人へ。イラっとするエネルギーは、本当に無駄で誰も幸せにならないから、それを別のものに還元していきたいですね。良いお年を。おやすみ。

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ありがとうございます!今日もごきげんに過ごせますように。
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ほぞん

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