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あの日、偶然行かなかったルーマニアへ

「ブカレスト……あ、やっぱりやめた。ブダペストへ」。

7月も終わりにさしかかろうという、カラッと乾燥したヨーロッパの夏に少しだけ慣れてきたころ、ブルガリアの首都・ソフィアにある一番大きな鉄道の駅で、いざ次の目的地へ行かんとチケットを買いに出かけた。

チケットを購入する窓口に行くまでは「ブルガリアの次はルーマニアへ行こう」と決めていた。

人生初の一人旅をトルコからはじめたばかりだったわたしは「好きなところへ好きなだけ滞在する旅」の2カ国目であるブルガリアに着いて2,3日ブラブラしたのち、Googleマップを眺めつつ3カ国目をどこにするか考えていた。

ヨーロッパの旅というのは、日本で県境を越えるがごとく国境を越えて行けるほど交通網のバリエーションが豊かだ。そしてどのツールを使えど比較的手頃なお値段で済む。

なんなら市町村間を越えるくらいの気軽さでもって入国できる国もある。

ブルガリアのソフィアから、ルーマニアの首都・ブカレストは見た目こそ近いけれど夜行バスか夜行列車に乗らなければならないらしかった──らしかった、と書くのは7年前(7年前……っ!)の一人旅のことなので記憶が細切れだからだ。

結局チケットを買う直前で「やっぱりルーマニアじゃなくハンガリーへ行こう」と思い立って目的地をブカレストからブダペストへ変えるのだけれど、行き先を窓口のおばさんに伝えたシーンこそ覚えているがどのようにブダペストへ移動したかは忘れてしまった。

おぼろげに「早朝なのに人がたくさんいるなあ」とブダペストの駅で思った記憶はあって、だからやっぱりわたしは寝台列車に乗ったのだと思う。

とにかく、直前まで「ルーマニアの首都・ブダペストへ行くぞ!」と心高鳴らせていたにもかかわらずGoogleマップで横目に見ていたハンガリーの首都・ブダペストの名前をチケット窓口の掲示板で見つけた時「あ、やっぱりブダペストに行こう」と瞬時に心変わりしたのだった。

そして実はまったく同じ時期、わたしがブダペストへ到着して2,3日してからルーマニアのブカレストで、わたしと同世代の日本人女性が惨殺される事件が起きた。

そのため、今でもあの青い掲示板に示された「Budapest」と「Bucharest」の英字の並びは覚えているし、一人旅の最中も帰国後も「あの時もしブカレストに行っていたら」と反芻しないわけにはいかない。

こう書くと、まるでルーマニアが治安の悪い場所のように思われるかもしれない。

実際、ブカレストでのその悲しい事件は、20歳・日本人・女・一人旅という自分を構成する分かりやすい要素がどれほど無防備かということを改めて痛感せずにはいられない出来事だった。

ただし、なにもルーマニアだけが危険なわけではなくて、なにがどこで起きてもおかしくないのだ。それは、もはや日本にいても同じこと。

ただ明るくない地理を手探りで体得しつつ知らない言語に囲まれて生活するのだから、ますます“自分の身は自分で守る”ことに神経を集中させなければならない。

とにかく7年前のあの夏の日、ルーマニアには行かなかった。

べつにチケットを買うときに嫌な予感がしただとか、なんとなく不安になったとかではなく、ただただ純粋に「ハンガリーの方が楽しそう」と突拍子もなく思ったからだ。

突然の行き先変更は、勘頼みでしかなかった。

ふしぎと、一人旅の最中は勘がよくはたらくのだ。

元来方向音痴なのになんとなく歩いていたら滞在先へ帰れたり、話しかけてきた人が親切なのかぼったくりなのか分かったり。

こればかりは野生の勘と表現する以上に適切な言い回しが見当たらないのだけれど。

そんな、おっかなびっくりな思い出があるルーマニアへ、今年初めて行けることになった。

ちなみに今度は“旅”ではない。ある目的とミッションを携えて、3週間ほど滞在させていただく。

“させていただく”ものなので、今回は今までの旅のようにわたし個人の意思だけでルーマニアへ渡航できるわけではない。

様々なタイミングと縁でもって、行けることになったのだ。

きっかけは、一方的にフォローをしていた河野桃子さんという方のnote。

最初は「へえ、ルーマニアにそんな大規模な芸術祭があるんだ」くらいに読み進めており三大演劇祭に数えられることすら知らなかったわたしは、何とはなしにnote冒頭に貼られたシビウ国際芸術祭のボランティア募集のリンクをクリックした。

この募集要項を見て、瞬時に釘付けになった。

「私は共産主義時代に生まれ、独裁主義の下で育った俳優であることを、逆説的な意味で幸運だったと思うのです。なぜなら、舞台の上で、観客と『瞬間を共有できること』『生き残ること』『自由をともに夢見ること』そして『ともにその時代を笑い飛ばすこと』ができたからです。」(募集要項より引用)

特に上記のキリヤック氏の言葉が、噛まずに丸呑みした果物みたいに胸の奥につかえて、ぐるぐる大回転を始めた。

この応募要項を見つけたころ、ちょうど「フィクションの強さ」を再認識した出来事があった。

演劇だとか芸術だとか、“娯楽”として切り捨てられがちなものだ。

けれど、「伝える」ツールとして、こんなにターゲットが広いものは、実は稀有なのではと感じるようになった。

というより、きっと誰もが思う以上に“芸術”のふところは、広く、深いのでは、という気持ちになっていた。

「フィクション」という名のフィルターが、世界からはみ出てかき消されてしまった深層の音を、届けることができるのではないか──?

そんな持論を閃いて「フィクション」を生み出すべくせっせと筆を走らせているさなか、それらを目の当たりにできる格別な機会が前触れもなく眼前に差し出された。

しかも世界中から様々な「演劇というフィクション」のプロの使い手を間近で見られるのは、またとないチャンスだと直感した。

それはちょうど7年前「ブカレスト……あ、やっぱりやめた。ブダペストへ」と、ブルガリア・ソフィアの鉄道の駅でハンガリー・ブダペスト行きのチケットを購入した時の「こっちの方がおもしろそう」という直感に似ていた。

職場でのこの上ない理解と後押しを得て、選考を受け、晴れて渡航できることに。

7年前のあの日、わたしがルーマニアに行かなかったことに理由があるなんて思わない。

運命なんてあってもなくても、どちらでもいいと思う。

「今、ここ」で出会えたなにがしかが何処へでも自分を導いてくれるなら、キーンと響く波長がより共鳴する方へ、五感をかたむける人生でありたい。

追記:先日、劇作家・野田秀樹さんに密着したWOWOWのドキュメンタリーを観たのだけれど昨年のシビウに行っている様子を拝見し、ますます楽しみになりました。

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