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早く行きたいなら一人で行きなさい。遠くへ行きたいなら誰かと行きなさい。

タイトルは、名前も知らない誰かの言葉。アフリカのことわざだと聞いたことがある。

なんとなく、何をするにも焦燥感に追われていたわたしは、早く行くことにこだわった。早い者勝ち、2位でも3位でもだめで、もし1番になれなければふてくされたし、はらわた煮えるほど悔しかった。 そして同時に、1位でなくても悔しくない涼しい顔して振る舞うことにも慣れてしまってそれが虚しく、摩訶不思議な二重苦を抱えていた。

でも、順位ってそもそもなんだっけ?

ぜんぶ自分のなかだけで決められた、謎のランキング。気にしているのは、わたしだけ。

人生の、何色の靴下を履くかというささいな選択から、ここでの一択が人生を変えてしまうという重大な選択まで、わたしはなるべく早く、直感に従って動いてきた。遠く、と言ってもその先が見えていなくて、そのあとどうしたい?どうなりたい?ということまで考え切らずに、「今、これがしたいからコッチ!」と即決することで満足し、遠い未来を見やることを怠っていたのかもしれない。

いまは、早く行くより遠くへ行きたい。というか、行く先での時間をじっくり過ごしたい。早く行くことは、案外簡単にできることがわかったから。というより、良くも悪くも後先考えず早く選ぶことに、わたしは慣れてしまった。

今まで、いろんなことを、ひとりで考えて、ひとりで決めてきた。相談も、あんまりしない。きっとそれはこれからも変わらない。早く選ぶことで、直感は磨かれた気がするから。

でも、遠くへ行くには誰かと一緒がいいらしい。でも誰と? どこへ?

そう思うと、今まで見えていなかった未来が見えてくる。欲しい未来とそれまでに必要なお金や体力や能力の貯金がいくばくか、直感では追いきれなかったリアルな数字が見えてくる。

そうすると、途端に足がすくむ。あれ、このままぼんやりとしていたら、あっという間に歳をとる。早く決めることだけ進めていたら、わたしになにが残るだろう? 欲しい未来は、いったいいつ手に入る?

けれど、同時にこうも思う。未来といえど、それすら今のわたしにしか測れない、ふわふわしたものじゃないか、確実に手に入る保証はないし、明日には欲しいものが変わっているかもしれない、と。

よく、未来は今の積み重ねと言うけれど、積み重ねたものがジェンガみたいにギリギリのバランスで成り立っている、今にも崩れそうなものになったとして、それでいいのかな。

くずれなきゃいいじゃん、というわたしと、リスクは嫌よというわたし。今までは圧倒的に前者のわたしが強かったけど、たまにはグラグラをなんとかするように考えないといけないね。

そうすると、やっぱりひとりじゃ知恵もチカラも足りないわけで。誰かに助けてもらわなきゃいけない日が、きっと来る。そのために、わたしが声を上げなければならない日も、いつか来る。

遠くへ行きたい。と、思うには、遠くへ想いを馳せることから始まる。その“遠く”は、明日くらいの未来かもしれないし、死ぬ間際の日を指すかもしれない。パッパッパッとさばくようにものごとを決めてきたわたしにとって、遠くを見据えることはじりじりと、焦れったかったり不安だったりするのだけれど、今を積み重ねた不安定なジェンガみたいなわたしでも、できることは1ミリくらいならあるんじゃないかと思ったら、その1ミリで、遠い未来を引き寄せてみたいと思うのだ。

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