見出し画像

無題

わたしはいつも、noteを書くときタイトルを一番初めに決めて書き始める。

決めるというほど強い意志はなくて、なんとなく書こうと思ったトピックに対してタイトルっぽいフレーズや言葉が、ぽこんと出てくる。

けれど、今回の此れは、ぜんぜんタイトルが出てこない。

2018年のふりかえり……というのはふだんのnoteで書いているから改める程のことはない。

2019年に向けた意気込み……というほど息巻いているわけでもない。

太陽は、毎度決まった軌道を、しっかり昇り、街を照らし、礼儀正しく山の向こうへ消えてゆく。

大晦日であろうと、元旦であろうと関係ない。

自然の、無慈悲で無垢で無頓着な在り方が、うらやましい。

うらやましいけれど、その淡々とした在り方に、ドラマを見出せるのも人間をやっている醍醐味でもあるよな、と思う。

思い立ったが吉日なの。

今しか、ないの。

生き急いでいるわけでは、決してない。

ただ、明日、死ぬかもしれないのだから今日できるところまでやって生きようと、心から、思う。

自分が生きているかどうかも分からない未来のことなんて、考えられない。

でも、明日がより良くなるようにするにはどうすればいいかを考えるくらいなら、わたし程度の頭でもできそうだから、せめて。

いま考えていることに、一筋でも縁がつながるといいな──という期待をほんの一抹、いだきながら、近しい未来のあれこれについて備忘録的に書き残しておく。

2018年、スタートしてからすでに100人以上が泊まってくださっている宿。

こればっかりは、2018年に始めたことでいうと指折りの出来事だった。

泊まりに来てくださる方々が本当にすてきな人たちばかりで、同時に、自分が本当にやりたいことの純度を上げていく上で、宿泊事業はとても良い刺激だったなと思う。

宿をメディアに見立てて、土着の人々の手を借りながら、コンテンツをつくってゆく──2019年は、そのコンテンツの質と量を上げていきたい。

現代の暮らしやちょっと未来の暮らしと、深層で細やかに接続しあっている歴史と生活文化を、いま一度、手触りのあるかたちで生み出したい。

表現方法が、宿である、というだけ。

くわえて、わたしはやっぱり、女将になりたいわけじゃない。

自分のホスピタリティの低さには苦笑いしちゃうし、じっと待っていられない。こればっかりは免れない性分だ。

だから、いわゆる“寝泊まりするための宿”という機能より、もっと別の場所の役割を、インストールしていきたい。

たとえそれが既存の“宿”のイメージと違っても。

表現方法という意味では、ハコモノだけではなく、二次元でも引き続き記しておきたい。

noteはもちろん、すでに新しく書き始めたモノがある。それはエッセイや日記、インタビュー記事とはまた違うモノだ。

書きたくなるタイミングを、ずっと待っていた。

重たい筆が動き出した理由は、自分にもわからないけれど。

あと、もう一つ。

2019年は、海外へ、行く。

次にやりたいことへの、伏線をつくりに。

どこか一つの場所に居続けて、一切そこから出られないという状態は、今のわたしにはしんどくなってしまう。

それは、国という単位でも、感じてしまうから、困ったね。

あちこち飛び回るにも、いま暮らしている地域にコミットし続けるにも、どう生きていくにしろ、理想ばかり華やかでも仕方ない。

想ってしまったからには、ますます強い羽根と足腰が必要だから、2019年はひたすら、その筋トレをします。ちなみに、海外と言って大風呂敷を広げたけれど、一番気になっているのはイスラエルです。

(イスラエル国内のパレスチナ自治区との間にある壁。2013年撮影)

さて、最後まで、このnoteのタイトルが思い浮かばなかった。

もはや2018年最後、かつ新年一発目のnoteを「無題」とかにしちゃおうか。

まったく新しい軌道を描こうとしている直近の未来に、ニュートラルな感じで相対せそうだし、それはそれで、いっか。

緊張感もあるし「無題」も、いいね。

ということで、2019年が開幕寸前の夜に、「無題」と称した備忘録を書き落として、椎名林檎×ミヤジの紅白を楽しみ待ちぼうけたいと思います。

然らば!

読んでいただき、本当にありがとうございます。サポートいただいた分は創作活動に大切に使わせていただきます。