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翔べ、時代の半歩先へ。

大海原に、ぽつんと浮かぶ小舟がひとつ。

ゆれる水面に映る影は、未だ形が定まらない。

見よう見まねで作られた小舟は、波まかせ。

気まぐれにたゆたい、船頭も行き先を知らない。

幸福も孤独も自由もぜんぶ乗せスペシャル、みたいなこの状況、人生であと何回あるだろう。

どこへいこうと、誰になんと言われようと、あなたはあなたで決めていい。

ダサいことなんて問題外。かっこわるいのも、アガらない。一人ぼっちになるのはイヤ。誰も褒めてくれないのだって、本当は耐えられない。

でも怒りも不満もさびしさも、ぶちまけられたところで処理すらされず、腐って土に還ることもできず、記憶の粗大ゴミとしてどんどん溜まってゆくばかり。

生ものの感情をぶちまけるのは、にっちもさっちもいかない事態のために、ジッととっておかなくちゃね。って、そんな忍耐があれば誰も苦労しないわねえ。

本当に追い詰められた時、もう手も足も出ない時、人は薄ら笑いを浮かべるものだ。

眉間に寄せたシワをゆるめて、固く結んだ鉄壁の腕組みを解いて、ふにゃりと笑う。

「ええじゃないか」と笑って四方八方へ転がり落ちてゆく。

突き上げた拳は行方不明。

ヒーローは、すでに不在だ。

だから誰がどこへ転がろうと構わない。

転がる人々の縦横無尽な軌跡だけが真実。

物心ついた大人と子どものハーフみたいな人たちが「あとに続け」と奮い立つのみ。

ふにゃりと笑えてきたならば「波まかせ」にする勇気も、時には必要だ。

「分かってくれよ」という強情な期待は己の首を絞める。

「そんなことも分からないの?」という軽蔑は鏡のように跳ね返る。

みながみな、自分の舵取りで精一杯。

搾りたての不平不満は、同情を集めても意味はない。暖簾に腕押し。

みなの目の前を愉快に翔ける、その姿こそ「おや」と人目を惹くものだ。

ある人は言った。「人は、自分を助けてくれるものには時間もお金も惜しみなく費やすのだ」と。

またある人は言った。「時代がやっとわたしに追いついた」。

一方ある人はこうも言った。「わたしたちがやったことは早すぎた」。

だからきっと愉快に翔る道筋は、虹ほど遠くないあたりがいい。

時折しぶきをあげて飛ぶ、イルカの背中くらいがちょうどいい。

ふにゃりと笑って全部手放してみたならば、波の動きも拾えよう。

助けるには役不足でも、翔ける瞬間、目配せしよう。

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