感情と感想

「感情と感想は違う」という話がマイブームになっている。
(きっかけはこちら)

感情と現状がフィットしない場合、人は感想でウソをつく。
特に、嫌だと思う現状が変えられない/変えられなかった時、「でもこんな良いところもあった」とプラス評価を解釈として加えてしまう。
例えば、恋人から殴られたりして嫌だったとしても「でも普段は優しくて愛されてる」というような感じだ。

こういうのを心理学では認知的不協和理論というらしい。
感情と現状をフィットさせるために、認知を歪ませる、とも言える。

認知的不協和の厄介なところは、その時は心理的不快感を解消できるものの、時間が経つと違和感で苦しくなることだろう。
実際は認知を歪ませてるだけで何も変わっていないのだから、当然といえば当然だ。

現在進行形の不一致なら、何かしら行動を変えることで歪みを正すことは出来る。
でも、これが過去の出来事だと難しい。
昔の恋人からDVを受けていたことに今気づいても、すでに別れてしまっていたら行動もなにもない。

そういう場合は、その時嫌だったという過去の自分の感情を認めるしかない。
認知的不協和で見ぬふりをした「嫌だ」という感情を感じきるしかないのだろう。
(深刻な場合はカウンセラーや心理士に手伝ってもらうべきだろう)

おそらく自分も、あらゆるシーンで認知的不協和に遭遇し、感想や解釈で認知を歪ませているのだろう。
それが大人の作法でもあるのかもしれない。

でも、それは何も解決にならない。
やればやるほど、自分がわからなくなるだけだ。

いま、なにを感じてるのか?
ちゃんとそれを自覚出来てるのか?
しばらくこのマイブームを追ってみようと思う。

豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。