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男の物まねをしても女は幸せになれない

先日、ぽっきい師匠から面白い話を聴きました。

男性の魅力の伝え方についての話でした。
男性は自分の趣味や世界観、こだわりを上手に表現すると魅力になると言うのです。
確かにそうですね。

でも女性の場合、趣味やこだわりを表現する人はごく限られていますよね。
ここ、男性と女性の大きな違いではないかなと思います。

そもそも、主語クソデカなことを言うと、女性は「趣味」を持つということが男性ほどあるのでしょうか。

私の周りには圧倒的に無趣味の女性が多いです。ここを読んでいらっしゃる女性の方はいかがでしょうか。男性の方は、パートナーの女性や職場の女性に趣味があると聞いたことがあるでしょうか。

例えば、女性は美容やファッションが大好きです。大好きではあるんですけど、それは趣味、でしょうか?
男性が「ファッションが好き」と言うとき、明らかに女性とその性格が異なります。男性の場合、ファッションは細部と物語に命が宿っているものです。スーツの生地一つにしても、歴史から産地から工房のことから、語るものが沢山あります。ネクタイも、ジャケットも、靴も、物語だらけです。

男性がファッションが好きというとき、目線は服そのものの物語に向けられています。それを着て、どう見られるかとか、どこに行って誰に褒められたいとか、そんなことはあまり考えていないと思います。

女性はどうでしょうか?女性はそんな服というパーツの物語なんかには興味がありません。代わりに、自分がどう見られるか、自分をどう表現できるか、とつまり自分に興味があるのです。自分と、その周囲の人との関係性に興味があることが多いですね。もちろん、自分が着たい服を着るのですけど、パーツである服そのものには興味が薄いです。服ではなく、ブランドにこだわる女性も多いですしね。

趣味性を男性ほど持てないのです。

もし、他人のどう思われるかばかり考えている男性がいたらどうでしょうか。ものすごく安っぽい人物に感じます。逆に女性が、服の物語を熱く語るようになったらどうでしょう。
正直、男性が語っているのと違って、「もういいから・・・」となるに違いありません。

全部がそうではありませんが、趣味とは、もともと男性のためのものなのかもしれません。

性別として優遇されてきた男性だけに許されてきたものではないのかとふと思います。

もちろん女性でも趣味の多い人はいます。私もそうです。私は、クルマが好きですし、もちろん美容やファッションも好きです。料理も、旅行も好きです。最近は陶芸もはじめました。

でも、違うなあと思うときがたくさんあります。

クルマが好きって、そもそも私はクルマをなぜ好きになったんでしょうか。それは若い頃に付き合った年上の男性の影響です。ベンツに乗ってるんですとか、ジャガーがいいですとか、そういうブランドの好みよりも、クルマのスペックや整備などに興味があります。自分でオイル交換くらいなら簡単にできますからね。

でも本来それは私が自発的に持った興味ではなく、男の興味を移植されただけ。

美容やファッションは好きとは言っても、それは私の仕事になっています。もう趣味ではありませんね。仕事になっていなくても、趣味ではないかもなと思います。

旅行や料理にしても、それは「誰かと時間と思い出をシェアする」ことが好きなだけで、新幹線に乗ることや食材を加熱することに興味はあまりありません。

女性の多くは旅行が好きですけど、男性と旅行するのは好きではないですよね。女性同士がいいはず。なぜなら男性が趣味性を丸出しにして、こだわり満載の旅を計画されるのは疲れるからです。

でも私は男のようにこだわりと趣味性をたっぷり詰め込んだ旅行が好きです。それは多くの男性を辟易させてきたことも知っています。

男性の論理で、男性の世界観で、自分の趣味を持つと、女性は「ぎこちなさ」と「不自然さ」を漂わせるようになります。
服のこだわりを語る女のようにです。
いくら拘っても、いくらお金をつぎ込んでも、女性は男性が趣味を語るときのように魅力的な雰囲気にはなりえない。

男と女はどこか違うんだよなと思います。
生物学的なことは分かりませんが、歴史的背景から違う生き物になったのかもしれませんね。

それらの男女の違いがダメだとは思いません。でも、違いはあると分かったほうがいい時もあります。

前置きが長くなりましたが、ここから本論です(笑)

男の真似をしたり、男の趣味を移植されると女は息苦しくなっていく。

たとえば、苦しげな女性の姿をよく見ます。子供の頃から受験という競争をひた走り、いろんなものを犠牲にして打ち込んでいる女性がいますよね。多くは優秀です。偏差値でも、思考力でも。ランキングの世界でも常に上位にいます。優秀な大学を卒業し、大手と呼ばれる企業に就職でき、その中でもビジネスの業績を追いかけてまた優秀な結果を残す。

その努力の結果はすごいものです。
でも、その一方で、決して幸せそうではなく少し苦しげな表情をする女性も多くなっていきます。
または、女の見た目をしたおっさんのようになります。

私は、知識を問う質問をするのがおっさんの特徴だと思ってます。
「○○って知ってる?」とか
「この正解はなーんだ?」とか、そんな質問の仕方をするのがおっさんなんですが、努力の結果苦しげになった女性はよくこういう態度をすることがあります。
周囲は、バカにされたと憤慨しつつも平静を装っていることに本人は気づきません。

男社会でランキングを登っていくと、自分が影響を受けた男以外を馬鹿にするのが女の特徴です。
それもまた、周囲を辟易させるのです。

男の価値観から自分の生き方に影響を与えてしまうと、どうも女は幸福にならないようです。

結婚とか出産だけが女性の幸せだとは私も思いません。
でも、努力家の女性たちが生きてきたその世界は、「ランキング」という男性のための価値基準ではなかったですか?と思うのです。

努力は絶対に否定されるものではありません、もちろん。
でも、ランキングは絶対に女性を幸せにしません。男性はランキングで十分幸せになれます。男性は序列の生き物ですからね。

女性は決して序列で生きていません。「マウンティング」はするかもしれませんが、それは「自分」を「どう見られるか」という自己承認欲求でしかありません。ランキングとは本質的に違うのです。

ランキングは男性のものである以上、女性がランキングを目指していくと叶わないものが出てきます。結婚しかり、出産しかり、です。日本は生まれた階層に関係なく成功できる社会です。ジャパニーズドリームってあると思います。そのかわりに、社会的な支援はありません。企業や業界のレースから、出産や結婚で一度ピットインしたら、レースに復帰できる保証はゼロです。優秀な経歴の女性ほど、元いた場所には戻れません。日本は北欧のような社会ではなく、誰でも金銭的に成功できるけど社会構造は優しくないのです。

男の真似事をして、ちんぽがついていないおじさんになることは、成功でしょうか。そうなれないからと男を差別者呼ばわりするのはどうでしょうか。

女性は、男性の論理ではない、女性のやり方で成功を目指すべきじゃないかなって。
男の真似事で、男の世界観で成功を目指しても、クルマのオイルの銘柄を熱く語る女のように見えてしまうのです。


女性は、ランキングで褒められるよりも、自分の技術を磨いてきた努力を認められたいもの。他人をぶん殴って蹴落として出世しても虚しいんです。肩書が新しくなった自分の名刺を額に入れて飾ったりしないんです。
それは女は男じゃないからです。

男性の趣味と、女性の趣味が全く違うように、男性の生き方の真似を女性がしても、多くは幸せがなにかも分からず鈍感になっていくだけのような気がします。

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