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シェア時代の居場所について

先日、ここ最近ぐっと感じる機会が増えた「居場所がない」ということ。

実はもう2〜3年前からふつふつと感じてはいたけれど、言葉にして身体から出たのはここ最近。どこか虚しさと共に過ごしている。

選択の自由とシェアの文化の弊害

まあ、弊害っていっても一面でしかないのだけれど。

シェアハウス、コワーキングスペース、リソースシェア、ナレッジシェア、タイムシェア、複業、Airbnbのような民泊、情報のシェアなどシェアすることがあたりまえになった私たちの暮らし。

 住む場所も働く場所も、WiFiとコンセントがあればどこでもよくなった。そしてそれは、様々な制限がなくなり、自分で選択でき、そこから生まれる自由はとてもいごこちがよかった。最近までは。

最近は「変わらないもの/場所/こと」に触れる機会が極端に減り、変化し続ける時代に変化する自分がいい意味でマッチしすぎたせいか「居場所」「帰る場所」がないことに気づいた。

 特に私は奈良で生まれたけどそこでの記憶はほとんど家の中で、気がついた頃には横浜に引っ越し、小学生からはニュータウンという作られた街に住み始めたからそこに文化はなく一緒に育ってきた。だから「田舎」「地元」という感覚はない。

また、働く時間も起きる時間も食べる時間も休む時間も、何もかも自分で決めることができるようになり、時間の感覚や花鳥風月・春夏秋冬を感じる機会も減った。当時は自由最高ーーーー!!!って思っていたし、映画館が空いている時間に映画をみて、ランチタイムを避けてお昼をたべ、満員電車をさけて電車に乗り、航空券が安くなった時に安いチケットを買える喜びに満ち溢れてた。なんて自由なんだと。

 一緒に働く人もそう。もちろん性別や年齢や国籍や宗教なんて関係なく、このひととやりたいとおもう人と仕事をしているからストレスがない。(ちなみにうちの会社は、恋に落ちるほど好きな人としか仕事をしないと決めている)チームメンバーとはオンラインでのミーティングなので全員違う場所で参加するので時差だけあわせればいつでも話し合いができる。

ただ上司がいないからほめられたり評価されない。自分が成長しているのか、市場の価値がどのくらいなのかわかりづらく自分で確認しなければならない。ほめてほしいときに褒めてもらえない。メンバーとのミーティング前後の無駄話をする機会も減った。効率的だけれど無駄がなさすぎて寂しい。

はたまた、ふと出会った人がクライアントになるし、ふと出会った人が仕事のパートナーになることもあるし、仕事と私生活の切れ目はもうなくなり、全てがグラデーションになった。普段の言動が仕事にも影響するし、わたしも仕事ができたとしても言葉の選び方とか態度とかだらしない人とは仕事したいと思わない。

モノとお金を欲しいという欲望がみあたらない

「もの」へもほとんど固執しない。住まいも固定されない、移動も多いので生活は必要最低限のものばかりになっていく。極論55リットルのバックパック1つで1ヶ月くらいは余裕で暮らせる。(これはバックパッカー時代になれたのもある)だからものはどんどん減るし、服は基本のレパートリーだけになるし、いらないものはメルカリかジモティーに出すし、壊れたら修理したらいい。

移動していく遊牧民のような生活が基本なので、大きいものや壊れやすいもの、価値が高くて使いづらいものは買おうと思わない。(ちょっと憧れてもったときもあるし、今も着物とか好きな家具があるんだけど、最小限にしたり、必要な人に受け渡してる)

お金についてもそう。欲しいものがどんどんなくなったから、お金を使う機会はものでなく体験、もしくは身の回りのガジェットのアップデートか、交通費と食費くらい。あとはお金が必要な人が声をあげているときにクラウドファンディングや寄付に。(ちなみによくよく計算すると月収の5-10%は毎月寄付かクラウドファンディングに出費してることがわかった。必要な時に必要な人の元に必要なものが集まればいい)

そしてここまでくると、だいたい何をしたらお金が稼げるかわかるようになるから必要な時に必要な分だけ稼げばいいし、お金以外の価値での等価交換のほうが魅力的だし関係が続くことが多い。

特に私はこの2年くらい東京と滋賀のに拠点生活をしているけれど、滋賀県に移り住んでから、野菜は近くの畑を持つおじちゃんから新鮮なものをもらえ、お米はお世話になっているかたからいただき、家や車は地域の活動との引き換えに支援してもらっているので「お金を稼がずとも生きていける」ため余計にそう感じてしまう。

これまたこんな考えになると、お金が続々とたまるわけではないにせよ、やれ結婚、やれ出産や子育て、老後のことを考えようにも考えられないのも事実としてある。(合理的な部分もあるので何かあった時のためのお金のストックは一応ある)


こんな生活をあっというまに6年くらい続けると、やはり寂しさや虚しさがつきまとってくる。変わらないものがないからなのか、居場所がないからなのか。

宇宙船と私をつなぐコードが切られて、
どこへともなく宇宙をさまようように。


人格を失っていた6年間

これは少し話が変わるけれど、私は「防災ガール」という災害復興・防災に関する非営利団体を立ち上げ6年事業運営してきた。23歳からはじめ、今はもう30歳になった。20代のほとんどをこの団体に費やし、防災という業界に身を投じてきた。

全ての言動はこの事業に紐づいたし、防災に関係ない私生活でも少しでも選ぶ言葉や選択を間違えればネットで悪口を書かれた。時にtinderやpairsで出会いを求めようとも「防災ガールの田中さんですよね」とすぐ気づかれてしまったのは笑った。

「代表は孤独だ」と誰かが言っていたけれど、ようやくわかった気がする。

最終的な経営判断は自分にあり、自分が最終的な代表印をもつ重さ、そして相談をしたとしても最後の最後の決断は自分で、全ての責任は最後は自分にあるということ。

そんなこともあり、防災ガールの代表である私と、人間としてのそのままの自分自身がどこかで別人格になっていたんだとも思う。エヴァに乗るシンジくんのように、なぜ私が選ばれ、私自身には力がないのに評価されてしまうことにも空虚感を感じていたのも事実だ。私というものを感じなくなり始めたのも居場所を見つけられなくなった時と同時期だったかもしれない。わからない。


さて、私はもうじき次のステップに踏み出そうとしている。ライフステージを自分の手で変えようと思う。

いく場所も決まっていないし、やることも決まっていないのだけど。

またどこかでなにかのご縁があることをたのしみに目の前のことを丁寧に紡いでいこうと思う。

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