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私はいくつまで生きないといけないのかしら

階下におしゃれなマダムが住んでいる。

カラオケとおしゃれが大好き、いつも着飾ってお出掛けに行く。姿勢がとてもよくて、”おばあさん”とは呼ぶのははばかられるような人だ。イナちゃんと呼ぼう。呼んだことないけど。

頭もボケずにひとりで暮らし。耳も悪くなく普通に会話ができる。私にとっての希望だ。元気でいる姿を見ると嬉しくなってつい話しかけてしまう。

先日、久しぶりに彼女を見かけた。少し離れた場所をゆっくりゆっくり歩いてくる。スラリと背が高いイメージの彼女が小さく見え、イナちゃんも歳なんだよな……と思った。

元気?と声をかけると「この間階段で転んじゃってさ」といつもの口調でほっとする。

でも大事に至らず今もしっかり歩いている。イナちゃん、数年前に転んで骨折をしたことがあった。さすがのイナちゃんも急激に年老いてしまうのかと心配したが、すっかり治ってまた一人暮らしの生活に戻った。すごい人なのだ。

「この前誕生日だったのよ」92歳になったという。

その日病院で先生や看護師さんたちがずらりっと並んで「おめでとうございます!」と言ってくれたんだけどね。

素敵ですね。

「わたし、いつまで生きないといけないのかしら」

イナちゃんは私の目をまっすぐ見てそう言った。右目から一粒の涙がこぼれ落ちていく。

イナちゃんは心臓が悪い。何年も前から「いつ死んでもいいって思ってるんだけど、なかなか死ねない」と言い、その度に「なにかお役目があるからだよ」「そうねぇ」という会話を繰り返している。ただ、今回はちょっとぐっと来てしまった。

そんなこと言ってないで、なんて軽い言葉は出てこなかった。

うん、私だってそう思ってる。少しわかる。

子育ても終わって、社会のメインストリームから外れて、特に役目もなくて、もういいやって思っても死ねなくて、生きていかなくちゃいけないってしんどいね。生き死に、選べないもんね。

「そうなのよねぇ。」

長く生きるお役目っていったって、そんなこと自分は望んじゃいないのに。

最近はテレビを見るのが楽しみだと言う。

それも「テレビくらいしか楽しいことがない」とは言わない。

「テレビが大好きなのよ〜。毎日昼ドラを2−3時間見てるわね」と言う。

言霊

そんな何気ない会話から、楽しむを知っている人はいくつになっても素敵なんだと伝わってくるのだ。

相手を喜ばせているなんてイナちゃんは思ってもいないだろうけど、やっぱりお役目なんだね。

いくつになっても自分が楽しいと思うことを見つけて、逝く時はすっと旅立つ。そんな生き方を私もしたい。


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