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忘れていいよ。

娘のパンツデビューと祖母のオムツデビューは同じ頃だった。

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娘が歩くようになった頃、祖母がアルツハイマー病になった。 

娘がよく話すようになった頃、祖母は施設に引越しした。



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私は、東京都の下町に生まれ育った。 

集合住宅の4階に私たち、7階に祖母が住んでいた。


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我が家は父子家庭だったので、毎日の夕飯の支度や日々の細々としたことは、祖母が世話をしてくれた。

私にとって祖母は、母親的存在であった。 

私が娘を出産した時も、真先に病院に駆けつけてくれた。




そんな祖母がアルツハイマー病と診断された。  


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症状は進み、やがて施設に入居した。

私は、娘を連れて、祖母の住む施設に通った。

心のどこかで、「私のことは忘れないかも。」なんて淡い期待を抱いていたが、
あっさり忘れた。

会うたびに「あんた誰?」と聞かれるようになった。 


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祖母と娘は仲が良く、まるで歳の近い友達のように見えた。


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祖母が娘の世話をしようとしたかと思えば、娘が祖母を守っているような時もあり、いいコンビだった。 

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娘が3歳になる少し前、祖母と娘と三人で桜を見に行った。 

私も、きっと二人もすごく楽しくて、たくさん笑った。


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後日、その話をしたら、祖母はもちろんだが、娘もそのことを忘れていた。 

娘はまだ、もの心がついていないのだ。



甘いものが大好きな、88歳と3歳、二人の女の子。

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一人は、みるみる記憶がなくなる。
一人は、もの心がついていない。


忘れる二人。


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二人が過ごしたこの時間は、どこに残るのだろう。 

私だけが知っている時間。


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祖母は、徐々に、出来ないことが増えていく。
娘は、すくすく成長して、出来ることが増えていく。 

別の方向へ向かう2本の曲線が、交わっているこの瞬間のこと。


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祖母は、忘れてしまう。
娘も、覚えてはいないだろう。

「でも、大丈夫。忘れていいよ。私と写真が覚えておくから。」
そんな言葉をかけて、シャッターを切っている。


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