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この10年を辿るトリップ in 淡路・上勝

guesthouse Nafshaの名前は、淡路島のArt & Café Nafsha から受け継いだもの。私が淡路島に住んでいた時に働かせてもらっていた場所だ。

美術家の旦那さんと料理上手の奥さんで切り盛りしていた淡路のナフシャは、なんと言うか、そこ以外では出合えないような唯一無二感のある空間だった。旦那さんが亡くなってから店は閉じている。

「Nafshaってどうゆう意味ですか?」と時折り聞かれることがある。その時私は少し様子を伺いながら、「古代ユダヤ語で “宇宙の根源と私たちを繋ぐ”って意味らしいです」と口早に伝える。あの淡路のナフシャを知っている人なら、ああそうか、なるほどなあ、とすんなり受け入れられるだろう。だけど私のいる福島ではちょっとハードルが高いかもしれない。まだまだ”宇宙の根源”を語って違和感なく受け留めてもらうだけの力量が、私たちにはないということだと思っている。

こんなタイミングだけれど、淡路島へお邪魔してきた。少し足を伸ばして徳島へも。久々の淡路島はやっぱり開けてて大らかでカラッとしてて、美しくアオだった。10年前、東日本大震災後のぐちゃぐちゃだった私を受け入れてくれたこの地を、私は決して忘れない。ハグされたように温かな時間だった。淡路島のみなさん、本当にありがとう。

徳島では、今や「ゼロ・ウェイスト宣言」で有名となった上勝町へ足を運んだ。実は10年前、この町で淡路時代のルームメイトが働き始めていて、私は彼女に会いに上勝へお邪魔したことがある。
当時はまだ葉っぱビジネスの町としての認知度がの方が高く、ゴミゼロは萌芽期と言ったところ。そんな中、彼女の知り合いがゴミをなるべく出さないカフェを開いた(当時の説明をよく覚えてないので間違っていたらすみません)ので、ぜひ行ってみてと告げられた。『polestar』と名付けられたそのカフェは、上勝の渓流が見晴らせる気持ちのいい場所に建っていて、私と同い年の旦那さんと少し年下の奥さんとで切り盛りされていた。お手洗いのお手拭きがペーパーではなくおしぼりだった、というようなディティールをかろうじて覚えている。

今回の旅ではpolestarにはお邪魔できなかったのだが、町の若い人から「ポールスターはすごい。本当に町に根付いて歩んできている」という言葉を聞いて、なんと言うか、すごいなという以上のほとばしる何かを感じた。ああ、彼らはこの10年、右も左も分からないうちから走り続け、試行錯誤しながらここまで来たのか。同時に自分の不甲斐なさをはっきりと自覚した。

変わっている。この10年で色んなことや人が変わっている。良い方にも良くない方にも変わっている。私は何をしてきただろう。これから私は、何をしなきゃいけないだろう。やらなきゃやらなきゃ。ダメだダメだ全然足りない。のろまのカメ!!!

淡路島のナフシャでは、本当に色んなことを見せてもらった。私の採用面接は動物占いだったし、お店のルールは「白魔術系の人はOK、黒魔術系はNG」だった。オーナーに料理の盛り付け方を聞くと「なんか良い感じで」と言われた。つまりはその都度「え?」となってはやってられないのだ。アメリカからインディアンが演奏しに来たり、鎌倉からヘンプカー走らせて来る人がいたり、手のひらに石を乗せられて「なんか感じますか?」などと聞かれるようなイベントが、まあ珍しくないくらいには起こる。そんな時「そんなこともあるよなぁ。ふーん」と受け入れる力を培うことができたのは、今考えると財産だ。

だからもし今見えてる世界がどうしようもなく窮屈に思えたり、ましてやその中で上手くやれない自分を卑下する気持ちになっているとしたら、どうか思い浮かべて欲しい。世の中には信じられないくらい変な人が、結構いるということを。自分と変な人を比べて「あれよりはマシか」と思って欲しいわけじゃない。「こんな自由にやって良いんだ」を感じて欲しいのだ。そして世の中の大体のことは「あほやなー」で解決できてしまうことを、私は淡路島や関西の人たちから学んだ。笑いに変えられるのは強さだと思う。
そんな風に感じれる場所を福島にもつくりたい。

色んなことを思った。
見て触れて食べて話して感じた。
これが私の旅の形だと改めて思った。
こんな時にも関わらず快く受け入れて下さった土地土地の皆様、本当にありがとうございます。感じたことをなるべくたくさん、書き残したりお伝え出来ればと思います。そんでまじでやってこうと思います。

明日PCR受けます。

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