家事に以心伝心はありません

 前回の記事を読んで下さった方から、ぜひ読んでくださーいと下記のサイトをご紹介頂いた。 

  「おっぱい、ウンチ、そして育休」 著者:魚返洋平さんhttps://dentsu-ho.com/articles/5428 

 コピーライターをされている育児休業中の男性が書かれた記事なのだが、随所に「うまい!」と激しく共感できる表現がちりばめられていてとっても面白かった。中でも赤ちゃんとの生活において、ミルクやオムツ交換などのタスクが「点」ではなくて「線」、ずっしりとした一つの塊の時間なんだと気付かれたくだりに、「そうですよね〜!」と親近感が湧いてしまった。そう、「こんなはずじゃなかった!」「知らなかったよ!」は、もちろん男性だけではなくって、女性だっておんなじ。私も「自分の見込みが甘かった!」と、驚愕の日々を送っていたなぁ・・・ 

 ここでちょっと育児から離れるが、「家事」もその主たる従事者からみれば「点」ではなく「線」である。例えば洗濯であれば、簡略化して表記したとしても「洗濯機をまわす」「干す」「とりこむ」「たたむ」「仕分ける」「しまう」という工程は全て地続きのフローだ。それに「洗濯」だけが独立した工程としてあるのでは無論なく、ほかの様々な家事や、気候や赤ちゃんという大自然たちの影響を受けながらまわしていく、複雑な仕事である。今目の前のことをしながらも、過去のデータを参照しつつ、未来を予測し、「未来のほうから」仕事を組み立てる。おお、ここまで書いてみると、家事って時系列で表せるようなまっすぐな線なんかじゃないじゃないか。 

 それはさておき、おそらく家事を手伝ってくれている人にとってそのタスクは、「点」でしかない。それは「いい/悪い」の問題ではなくて、単なる事実である。サブの人が「洗濯ものをとりこんでおいて」と頼まれたら、「とりこむ」ことがミッションで、それ以上でもそれ以下でもない。それなのに時として、というか往々にして主たる従事者に「何でたたんどいてくれなかったの!?(気が利かないんだから!)」とプリプリ怒られたり、無言で不機嫌になられたりしてしまう。かく言う私も、後者的な理不尽攻撃を繰り出してしまいがちである。 

 でもさ。 

 先ほど申し上げた通りの複雑さの中でまわされている家事なのですよ。今現在自分のしていることの結果をのちのち自分が引き受けなくてはいけないような状況にいない限り、できない「段取り」「気遣い」「工夫」があるわけで。「今これをしとかないと、あとで子どもが騒ぎ出してからではできない!」とか「時間が押している・・これは明日でもいいから、今はパス!」「今これやっとくと、あとが楽なのよね~」とか、そういう思考が起動するのは、その仕事にメインで責任を負っている者だけなのではないだろうか。 

 ちょっとここで誤解のないように言っておきたいのだが、一緒に生活をしているんだから、家事にメイン役割もサブ役割もないだろう、というご意見もあろうことかと思う。でも私がここで論じているのは、そういう「家事の分担の正当性」のような話ではない。それは各ご家庭で、家事を含めた全ての「しごと」を誰がどのように担うのか、考え話し合ってその都度決めたらいいことである。だから「メインの従事者」なんてものはなくて、どの家事もできる人ができる時にやるというシステムにしてます!というご家庭もあるかもしれないし、各家事ごとにメインだけを決めてサブはおかない、という完全分業制のご家庭もあるだろう。そういったシステムがジェンダー問題の観点からどうなのか、というようなことは置いておいて(そこに問題を感じていたりご不満がある方はそれぞれの家庭でよりよいシステムを検討して頂くとして)、ひとまず誰かが「これ私の仕事として引き受けるよ」といって仕事をまわす中で生じる、周囲の人とのなんとも残念な軋轢について述べているのである。 

 さて話は戻り、メインで(ある特定の、あるいは全般的な)家事を切り盛りしている者が当然のように見えている世界も、それ以外の人には全く見えていない、ということは十分にありうる。例えば「洗濯物の干し方がまずくて完全に乾かなかった」というミスは、メイン担当者以外の者にとっては単に「そのまま干しておけばそのうち乾くんじゃない?」程度の事態かもしれないが、メイン担当者は「今日の夜から雨が降る予報。しばらく室内干しだが乾きにくい素材。においが出たら洗い直し。でもしばらく天気が回復しそうにない。」未来を見ているために、「干し方のまずさ」は痛恨のミスという意味を帯びる場合がある。当然「何でちゃんと干してくれなかったんだ!なんでそんなこともできないんだ!」とイライラが募ることになるが、そんな未来を見ていないサブ担当は「これっぽっちのことでガミガミ言われて・・」と思うに違いない。あるいはこんなこともよくあるだろう。夕方メイン担当がきりきり舞いして夕食作りをしている中、子どもと楽しく遊んでいるサブ。家族みんなが機嫌ようしてくれているのはいいことなのだ。いいことのはずなのに、「そんな暇があるんなら手伝え!!」とピリピリモードの主担当・・・「8時までには、ご飯食べて、お風呂に入って、寝る準備をして寝かせたい。」と、勝手におしりを決めているものだから時間に追われているのである。あぁこんなことになるんだったらあの時先取りして色々やっておいたらよかった、なんていう後悔もしつつ、あとこの2時間のあいだに全部してしまいたいんだから、今できることを先取りしてやってくれたらいいのに!と思うが、サブはおしりのことなど考えてはいない。それぞれの、生きている「時間」が違うのである。一方は限りのある時間を生きていて、他方は永遠なる「今」を生きている。もし「おしりがあるよ」ということを伝えたら、サブもおしりのある時間を生きてくれるだろう。 

  そうなのだ。 

  世にはいろんなサブがいらっしゃるかと思うが、我が家のサブさんは、「これをして」と言ったことに対して嫌な顔ひとつしないし、快く引き受けてくれる。お願いしたことはちゃんとしてくれるし、文句を言われたこともない。「何かすることある?」とさえ聞いてくれる。それなのにメイン担当者のワタクシは、「これをして」とか「おしりがあるよ」とか言えずに、1人で勝手にイライラピリピリして不機嫌になっていることが多々ある。ただ単に生きている時間が違っていたり、見えている世界が違うだけなのに、ということが分かっていても、である。 

  なんでだろう? 

 と他人事のように考えないと、自分でも不可思議なのである。後から冷静に振り返れば、「言えばいいだけじゃん!」という結論に至る。はい、毎度同じ結論。でも言わないんだな。言わずにキョーフの無言圧力をかけているのである。圧力をかけられている方は、たまったもんじゃないだろうな、とも思う。「理由も分からず、相手が不機嫌。しかもおそらくその原因の一端は自分にあるということは何となくわかる。でもそれが何なのか分からない。」なんていう状況に自分が置かれたらと思うと、いたたまれない。それなのに渦中にいる時はそんな反省を思い出すこともせず、同じことを繰り返しているのである。 

 なんでだろう? 

  まぁ一つには、「そんな余裕が完全に失われている」からではある。その時頭を占めているのは、「時間までにこなさないといけない山積みのタスク」であったり、「あらゆる状況を考慮して、痛恨のミスをどう挽回するか」ということであったりするわけである。そんないっぱいいっぱいの中で欲しているのは、実のところ「もう1人の自分」だ。ええ、完全なる自分のコピー。今自分が考えているように考え、その通りに動いてくれる人。目の前の大人にそれを求めるが、当然その人は自分のコピーではないから「自分が思ったようには」動いてくれない。「自分の思い通りにいかない」って、そんなの当たり前なのに、なんでこんなにも人をイライラさせるんでしょうね?そうこうしているうちに、今度はその「イライラ」でいっぱいになってしまうのである。冷静で合理的な思考は、その時点で吹き飛んでいっているように思う。 

  そんな不合理な状態になる前に、「8時までに〇と×と△をしないといけないから、今これをしといてくれる?」とお願いできたら、それこそ「自分の思い通りの」目標達成ができるというのに。それなのに、なぜそうしない? 

  うーん、そこにはおそらく「相手も同じものをみているだろう」という思い込みがあるんだろうと思う。これだけ一緒に生活をしていて、毎日同じことを繰り返しているのだから「見えているに違いない」と。「いつもそうしているのに、なんで分かんないの!」ってなことになってしまうんだろうなぁ。でも同じ時を過ごしていても、立場が違えば見えているものは違う。「8時までに全てをこなしたい」というのも、おそらくそれは言語化されない限り共有された目標なんかじゃなく、メイン担当の願望であり個人の目標でしかない。それなのに、「目標はシェアされているはずだ」と思いこんでいるような気がする。テレパシーでも使っているつもりなのか、私は? 

 しかしこのてんてこ舞いの、きりきり舞い状態にいる時に、「アレっ!?共通の目標に向かってタッグを組むべきときに、なぜ!?」というのはやはり、相当な衝撃ではあるのだ。 

 「いやいや、共通の目標伝達されてませんけど?」という話なのだが、「そこはもう済んでいるはず」と思っている人は、「なんで協力してくれないの!!」という被害妄想に突っぱしってしまう。 

 残念な感じである。 

 思えば結婚当初、我がオットさんから「以心伝心というのは、なしで。」と言われて、「なんて冷たい人だ!!」と憤慨したことがあった。 

 まぁ、新婚の妻に言うようなセリフではないと今でも思うが、オットさんはあながち間違っていないというか、さすが情緒に流されない万年上機嫌な人だけあって真理をついていると一方で思っている。結局「私のこと好きなら、私のことわかるでしょ?(以心伝心)」という根拠のない思い込みに基づいてしまうと、「分かってもらえない=私のこと好きじゃない」という図式が成り立ってしまう。でも、そもそも「好きであること」と「分かること」は全く別の代物である。そこを混同すると、家事においてさえ「8時までに全部済ませたい→分かってもらえずに好き勝手なことしてる→私のこと好きじゃない(大切に思ってくれてない)」という不合理な論理展開に行きついてしまう。つまり「協力してもらえない」ショックは、「私大事にされてない」ショックと表裏をなしてしまうのだ。正確には、「協力してもらえない」んじゃなくて、「相手は何に向かって、今何をしていいのか分からない」だけなのにね。 

 こんなふうに客観的に書いてみるとなんとも馬鹿馬鹿しくなってくるのであるが、でもショックそのものは大きいんですよ?「大事にされてない!!」なんて、とっても傷つく。たとえ単なる論理の飛躍で、勘違いの被害妄想だとしても。 

 というわけで、  

家事に以心伝心はありません。 

肝に銘じたいと思います。  

 まぁまたそのことをすっかり忘れて、決して届くことのないテレパシーを送り続けることもあるんだろうけれど。

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