どういたしまして

大丈夫?って聞かれたい理由

 少し前にTwitterで,子どもさんのコミュニケーションに関する事例が流れてきた。それを要約すると,大意はこんな感じである。

 お母さんが家で怪我をして病院へ行った。治療を終えて帰宅すると,家で待っていた子どもさんが「ごはんまだ?」とお母さんに言った。お母さんとしては「大丈夫?」の一言を期待していたので落胆する。

 この事例を紹介している方は,お母さんは治療を終えて無事に帰ってきているのだし,明らかに大丈夫そうなのだから「大丈夫?」と聞くのは論理的にはおかしい,と子どもさんが考えた可能性を指摘されていた。そしてこの事例全体を読んだ方がこの子どもさん(の反応)に共感して,むしろ大丈夫だと明らかな場合でも「大丈夫?」と聞くことでコミュニケーションの何がどうなるのか?という疑問を投げかけておられた。

 おお。
 なんかすごい。
 いろんなことを含みすぎている。

 まず私の立場を表明すると,断然「大丈夫?」って聞かれたい派だ。ていうかそれ以外のリアクションを思いつかんというか,想定していない気がする。もちろんこれはいい・悪いの問題じゃなくて,「ナチュラルに当てにしちゃってる反応」が「大丈夫?」の一言っていうだけだということは予め言っておきたい。「大丈夫?」と聞かないことの理路だってあるのだと,今回分かったのだから。

 でももし「大丈夫?」とそこで聞かれなかったら,落胆どころじゃないというか,きっちり傷ついて悲しむだろうなぁ・・・と思うのである。他者(はた)から見て大丈夫そうだからあえて聞かないっていう理由が分かったとしても,

 「えっ!それはあなたから見て,でしょう?大丈夫かどうか(わたしに)聞いて?」
ってまず思っちゃうのもあるし,

 「心配して?」
というのもほぼ反射的に思っちゃう気がする。

 この2点で相当すれ違ってるし,拗れる予感が半端ない・・・

(ところでこの事例は子どもになっているのだけれども,子どもだけではなく大人同士でも起こり得ることなので,今回子どもから離れて広く「ひと」の話として進めたい。)

 まず1点目のところなんだけれども,第三者の視点からみて,かつその方の総合的判断として「大丈夫そう」かもしれなくても,どうしたって「抜け落ちている情報」があるはずである。例えばこの事例でいったら,子どもさんは病院に一緒について行っていないし,その病院でお母さんの怪我の状態に対してどんな判断を下されたのかという情報は(子どもさんの中で)ごっそり抜け落ちている。もしかしたらひどい傷で手術が必要だと言われているかもしれないし,そこは「当人に確認しなければ分からないこと」である。だからまずは(自分が知り得ない)病院での出来事を気にかけて,「どうだった?(確認)大丈夫?(私が思っているよりひどいことになってない?の確認)」と知りたい一心で声をかけると思うし,声をかけてもらうことを期待すると思う。それなのに(全情報が伝わってないのに)「大丈夫そうね。」という判断を外側からされてしまい,かつその思考過程もまるでこちらからは見えないとなると,「いやいやいや!!私の苦労(痛みその他)を軽視しないで(なかったことにしないで)よー」って,なっちゃうだろうなぁ・・・はたからみて「大丈夫そう」であることと,はたからは知り得ない情報を加味して「大丈夫」と判断することの間には,決定的な違いがある。

 そして2点目に関しても,その人はきっとその人なりに心配していただろうし,生きた心地がしないまま留守番していたかもしれないんだけど,「大丈夫?」と言ってもらえないと「心配してもらえてない」というふうに(私やそのお仲間たちは)自動的に受け取ってしまいがちなのである。というのも「大丈夫?」という言葉には,上記の「確認」の意味もあるんだけれども,実のところ「心配だよ」という意味がてんこ盛りになっているから。だからきっと「ただいまー」「大丈夫?」のあとに続くやりとりは,

 「ありがとう。大丈夫だよ。(病院での治療の報告が続く)」

 だと思う。たぶん,私だったら「(心配してくれて)ありがとう。」という言葉が真っ先に出てきちゃうだろうなぁと予想する。大丈夫?って聞いてるのに「ありがとう」っておかしくない?って感じる方も,もしかしたらいらっしゃるかもしれない。でも大丈夫かどうかの(事実の)確認だけじゃなくて,それは「心配してるよ」のサインなのだから,そのサインを受け取って「ありがとう」なのだ。だから「大丈夫?」って聞かれないと,そこに「心配してるよ」のサインを見て取れなくて,「えっまず心配してくれないの!?」と被害的になっちゃうのだと思う。

 要するにこのすれ違いは
「あなたが知り得ないことなのに,確認もしないで勝手に大丈夫って決めつけないで。」
「心配してるってことをちゃんと表現して。」
みたいなことになってくるので,うん,感情的にも拗れるに決まっている。そしてそんなふうに言われても,お相手も「心配してたよ!!」ってなるだろうなぁと思うので,なかなか難しい。

 難しい。

 しかもこれが「ちゃんと本人に確認とってから判断しよう」とか「心配だよっていうメッセージをのせなきゃ」だなんて戦略的にやってることじゃなくて,「相手を前にしたら秒で大丈夫??って言葉が口から飛び出ちゃう」ようなもんだから,「大丈夫?」って言葉がないと秒で悲しみに覆われちまうという悲劇に。

 これだけ書いてきて何の解決策も思いつかないんだけれども,この話題のtweetを受けてある方が(大丈夫?って聞いてくれないタイプの)ご主人に,「私は大丈夫?って聞いてもらいたい。聞いて欲しい。」と伝えていて,ご主人もその方の気持ちを尊重して「大丈夫?」と聞いてくれるようになったというtweetを読んで,素敵だなぁと思った。もちろんここだけ切り取ると「結局定型に合わせろってことかよ」みたいな話にもっていかれそうだけれども,そういうことではなくて,「お互いナチュラルにできないことを伝えあって,できることはする。相手の希望を尊重する。」ということができるというのは,とても難しいけれども素晴らしいことだと思ったのだ。だから逆に「明らかに大丈夫なのに大丈夫?って聞かないで欲しい。しんどい。」と言われたら,「心配してるだけなのになによ!!」じゃなくて,秒で「大丈夫?」って口から飛び出してしまいそうな言葉を飲込む努力が必要だということなんだと思う。お互いの「つもり」がずれていることを面倒くさがらずに確認して,「あなたはそうなんだね。私は違うけれど,できることはするよ。」という着地点を見つけることができる人に,なれたらいいなぁ・・・(遠い目)

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