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それぞれの選択

 iphoneが調子悪いと先週呟きましたが・・・意を決して機種変更した。といってももちろん話題のiphone11ぢゃなくて、iphone8へ。でもそれだってめっちゃ高かった!!なんでこんなに高いの・・・そして型落ちiphone買うだけなのに、apple storeで1時間待ちとかなんなん・・・?そんで「紙袋がないんで」って、箱でそのまんま渡されたしね・・・別に紙袋欲しくないけど、ウン万円もするもの買った特別感ゼロ~。色々すげー。

 「これは・・・古い・・・」とappleの店員さんに絶句されたiphone5、古すぎてsimカードもそのまま移すことができなかったので新たに購入した。まぁまぁ難儀しながらsimカードの差し替えをして、回線切り替えの手続きも頑張ってしたんだけれども。残酷なまでの「圏外」表示・・・うぎゃー!となって問い合わせたところ、simカードを間違って購入していたことが判明した。ちーん。・・・って、すでに回線切り替えしちゃったじゃん!というわけで、古いスマホも、新しいスマホも、新しいsimカードが届くまでは(wifi環境下以外では)データ通信ができなくなってしまった。

 え?

 こういう時に限ってポケットwifiもギガ使い果たして(月末まで)通信速度制限中。というわけで、まさかのスマホなし生活に突入。

 ・・・なんだか、とっても心もとない。外ではスマホ死ぬのに、スマホを持って出ないと気が済まない程度には依存している。あー恐ろしや。

 と思うんだけど、私は今回実家に帰省して「できるだけテクノロジーの変化についていくことを選ぼう。」と思ったのも事実である。なんでもかんでもテクノロジーがいいってわけじゃないんだけど、テクノロジーを頑なに拒絶する両親の姿にものすごくモヤっとしてしまったのだ。いずれ身体の自由がきかなくなった時にネットショッピングを自由に使えるといいよね、そのためには今から慣れておくといいんじゃない?という非常に(私からしたら)合理的でまっとうな意見に対しても、「いやぁ・・・よく分かんないからいい。」の一点張り。「お気に入りのお店のこれ、みたいなものを全部諦めることを選ぶのか、動けなくてもお気に入りのものを手に入れられる自由をとるのかっていう話だと思う。」と伝えても、「諦めることを選ぶ。」と言うのである。

 そうか、と思った。じゃあ、私から言うことは何もない。それは彼らの選択であって、私の選択ではないから。

 正直「はぁ?」と思ったし、自由を自ら手離すっていうことを悲しく感じた。でも、私が生きてきた時代と違って、まだまだ両親の世代の暮らしには「不自由」や「不便」が当たり前にあったのだろうと思う。そしてそもそも生活とは不便で不自由なものである、という認識が出発点だったとしたら、今享受しているものを手離す痛みは、私が想像しているよりははるかに小さいのかもしれない。さらに「お気に入りのこれがなくちゃ」と執着していることのほうが不自由だと言われれば、「そうかもしれない」とも思う。

 でもそれを踏まえたうえで私自身は、「テクノロジーによって、可能性が広がるほうを選択したい。」と思った。欲望にきりがない在り方、って言われちゃえばもうその通りなんだけれども、「もうこのままでいい」とその場所に居つくより、自分のペースでいいから自分をアップデートしていきたいと、心から思ったのだよ・・・

 と同時に、「すごい世の中になっちゃったよな・・・」と暗澹たる気持ちにもなった。目まぐるしい変化にキャッチアップするために、常に学び、自分をアップデートしていかなくちゃいけないような社会。そうしていかないと若い世代から「変化を受け入れない頑固もの」「アップデートできない老害」認定されて、迷惑がられてちっとも敬意を払ってもらえない社会。どんどん身体(脳含む)が衰えゆく中でも、身体に鞭打って頑張っていかないといけない未来を想像して、つらみ・・・

 だけどさ。

 普段乗っているバスの時刻表が手元にない、と母は言う。そんなものはネットで調べれば数秒で出てくるんだけれども、それができない。ならばと「携帯のカメラで時刻表の写真をとっておけば」と提案するも、できないのかなんなのか拒否される。じゃあもう私が自宅に帰ったら、時刻表をプリントアウトして郵送してあげるよという最大限の善意を示すんだけれども、それも拒否。そして一言。「来たバスに乗るからいい。」

 私が最も深い断絶を感じたのは、このやりとりにおいてだった。といっても「来たバスに乗る」人生をdisりたいわけではない。むしろ時間を気にしないでいい生活、ゆとりがあっていいと思う。でも時刻表が手元にないということに対して不満があるのは事実で、「あったらいいな」と本心では思っているわけである。(そうじゃなかったらムスメに呟いたりしないだろう。)だからおそらく私がバスの定期券売り場で時刻表を見つけて(そんなもんがあるのか知らんけど)「たまたま見つけたよ、はい」と渡したら、きっとそれを喜んで受け取るんだろうなと思う。「昔は時刻表がどこでも手に入ったのにねぇ。」なんてブツブツ文句を言いながら。

 そういうとこだよ!!

 結局欲しいものが「自分の思う」形でやってこないと受け入れられなくて、そうでなければ「もう要らない」と全拒否(諦める)・・・ムスメの善意すら拒否・・・時間なんて気にしないで、ゆっくり生きていこう~っていう積極的「来たバスに乗る人生」ではなくて、頑固ゆえの「来たバスに乗る人生」っていうところに、私はモヤるのである。ほんとは欲しいなら、今の時代に合わせて工夫したらいいんちゃう?自分がそれ出来ないんだったら、若い世代を頼って「ありがとう」って言ったらいいんちゃう?・・・そう余裕をぶっこいていられるのは、私はまだ「頼られる」側だと自分で思っているからだろうか。頼る側になったら、沽券にかかわってきちゃうんだろーか。

 年を重ねたら新しいことを学ぶのは億劫になるだろうし、若い世代が軽やかに使いこなしているものを使ってもみないで「そんなの」と嗤う老人に自分がならないという保障は全くない。だから今現在だって、色んな変化、新しいテクノロジーに好奇心を持って触れていきたいと思う。若者たちが楽しそうにしていることは、見て聞いて、できればやってみさえしたいと思う。そういう「構え」や「態度」っていうのは培えるものだと信じたい。そしてそれは、それぞれの「選択」なのだ。

 というわけでsimが届いたら色んなことやってみよ~。

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