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厄介な思い込み

 京都で生活を始めてから10年以上になるが,あまり京都を出ることがない。大阪へだって出るのは稀で,2ヶ月に1度研究会のために阪大(豊中)まで行くのだけれども,正直そのルート以外は未知すぎて分からない。いや,そのルートだってあやふやな理解だったってことを先日思い知らされた。というのも講演会を聞きに「吹田」まで行ったのだが・・・「吹田~近いじゃん!」と思って講演会に申し込んでおいて,前日に「所要時間」を調べてビックリ。あれ?阪急で(烏丸から)26分もかかるの?10分くらいじゃ・・・と思ってからはたと,「?高槻より手前ちゃうんや!高槻の先にあるとこね。」と気づく。了解了解!と思ってそれ以上調べず,当日駅の券売機コーナーで路線図を見上げると,「私が思っている場所」に「吹田」の駅名がない・・・あれ??・・ここでまたはたと,「あっ!私が思ってたんは,茨木市や・・・」と気づくことになる。どういうわけか,高槻と並ぶ大阪の巨大都市として「茨木市」と「吹田市」を混同していたらしい。あぶないあぶない。そんでもって「吹田」は一体どこにあるのだ?阪急吹田って案内には書いてあったから,阪急であることに違いはないはず。そうやってくまなく路線図を眺めて,ようやく「淡路」で乗り換えた先に「吹田」を発見!え,ほんまに乗り換えるの?とちょっと自信がなかったので,阪急のサイトで乗継を確認。昨日ネットで所要時間調べた時に同じ画面みていたはずなのに,「所要時間26分」て情報しか見てなかったんだなぁ~。

 いやぁこうして振り返ってみると,たいがいやな。ひどすぎる。「何でちゃんと調べて行かないんだ」ってオット氏には呆れられると思うんだけど,「自分なりには」調べてるつもりなんだよね。でもね,誤解のないように言っておくけれど,「遅刻する」っていうのはほんとに滅多にないのだ,どういうわけか。それは時間の神様がついてる的な,単なるラッキーなのかよく分かんないけど,この日もちゃーんとギリギリ間に合った。でも帰り道に吹田駅の意味不明な地下道を行ったり来たりさせられて,電車一本逃した。「大阪北千里方面」と「大阪天下茶屋方面」に通じる階段しか見つけられなくて,「私は京都へ帰りたいんだ!!」と架空の「京都方面」を探して右往左往(正確にはさんざん階段のぼらされて上往下往やけど。どこにも通じてない,道路の真ん中の小島みたいなところに出る謎な階段さえのぼらせられたよね。なんの嫌がらせだったんだろう)。途中でこれまたはたと,「京都へ帰るのは,(淡路で)乗り換えてからだ」ということに気づいて無事天下茶屋行きを選択できたんだけど,だけど!!もう,厄介!私のこの変な思い込み,相当厄介!はぁ。ま,帰りでよかったよね,これが行きだったら絶対遅刻してましたです。

 この話のひどさ,もしかしたら関西在住の方にしか通じないかもしれないのだけど,すみません。なぜか「吹田」を「茨木市」ポジションにあると思いこんでいて当日動きながらしかその思い込みを修正できなかったという話なので・・・まぁ山の手線でいったら,渋谷と新宿を混同するみたいな感じかなぁ。

 方向音痴のくせに確信を持って違う方向へ進んで行ってしまうって「方向音痴あるある」なんだけど,かねてからずっとそれが(自分自身に対しても,他者に対しても)謎だった。初めて行くショッピングモールのトイレなんて,用を済ませて出てくると大概「違うほうへ」歩きだしている。どっちかなって迷うんならまだしも,意識で選んでる感覚は皆無で,自然と「こっち」へと促されてみて初めて「あっ違った!」となる。もっとひどいのは,「カーナビの言うことを聞かないで失敗する」なんてのもありますね。ナビは「こっちだよ」って教えてくれてるのに,「えっ!そっちなわけないじゃん。」と全否定して我が道を行って結果迷子。何を根拠にナビのこと疑ってんのさ!って毎度思うが,結局その根拠って意識のバックグラウンドにある「思い込み」にあるんだと思う。その思い込みがどう形作られているのかは分からなくて,水面下で情報処理された「じゃーん!これが正解です」って答えだけが提示されちゃうもんだから,いきなり「ブー!!不正解!!」なんて言われても「はっ!?いやもう答え合わせは済んでるんですけど?」となるわな・・・

 思い込みの激しい人,なんて不名誉な感じ若干するけど仕方ない。
 そしてこの思い込みの激しさは,「酔いやすさ」にもつながってると思うんだよね。
 「こう動くはず」っていう予測(思い込み)と違う情報(揺れ)がやってくるときの混乱が,「酔う」という現象なのだろうから。

 ところでこの方向音痴を炸裂させていた日の講演で,どこかへ行きたいときに「同時処理」の認知傾向のある人は「グーグルマップ」を頼りにし,「経時処理」の認知傾向のある人は「ストリートビュー」を頼りにするというお話を伺った。そこで「あれ?」と思った。私は学習面では完全に,もう徹底的な「同時処理」をするタイプだと思っていて,概念や関係性を手がかりにしないと理解できない。先日受けた資格試験でも,教科書をもとにオリジナル一覧表を作成して,情報間の関係性(差異や共通点)がぱっと分かるようにした。逆に一つ一つ順を追って理解する経時処理は難しく感じる。しかしこと「どこかへ行く」ミッションにおいては,まっすぐ行ってこの建物を右に・・・というふうに細かいステップを指示してもらえる「ストリートビュー」が断然ありがたいし,地図なんてあっても何の役にも立ってくれないどころか混乱を招く元凶になったりする。そこで私に必要なのは,自分の立ち位置とこれから行くところとの関係性把握ではなく,そこへたどり着くまでの具体的な手順なのである。

 そこではたと気づいた。もしかして人は,得意な分野では「同時処理」を行い,ニガテな分野では「経時処理」を行おうとするのではないか,と。

 空間認知に難ありの私にとって,「自分の立ち位置とこれから行くところとの関係性把握」はまずそもそも困難極める(というか頑張ってもたぶんできない)。そこをすっ飛ばして目的地にたどり着こうと思うならば,手がかりにできるものは「具体的な手順」しかない。でもこの方法は正直,でっかいリスクを負ってもいる。なぜなら提示された情報以上に効率的な方法でそこへたどり着くことができるかもしれない可能性だってあるし,提示された道が一時的に使えないこともあるかもしれない。あるいは突然「途中で買い物してきて。」なんて,ルート変更を強いられることも。一つの手順しか知らなかったら,そんな状況に対応できず「お手上げ」となってしまう。しかしもし「自分の立ち位置とこれから行くところとの関係性」が把握できていたとしたら,そこから効率的なルートを割り出したり,ルートを変更したりなんてことは容易にできる。あらゆる状況をサバイブしようと思ったら,なるべく「同時処理」を選択できたほうがいいのだろうと思う。

 でも苦手な分野ではその処理コストが半端ないし,コストをかけても成功するとは限らない。苦手度に応じて「経時処理」を選択するよりほかないのだと思う。これは私の仮説だけれども,もともと「同時処理」「経時処理」特性の優位さや濃さみたいなものが人によって異なっているというよりも,得意な領域や場面と苦手なそれとで処理方法を変えているっていうことなんじゃないかな。日常生活や学習場面など目につくシーンで確認できた傾向が全てじゃないと,思ってないといけないんだろう。

 あ,それからもちろん,同時処理するより経時処理をきちんとこなすことが求められる仕事や状況もある。緻密な作業だったり,専門的な知識と技術の行使なんかは,確実な経時的処理によってクオリティを維持しないといけないと思う。だから同時処理が経時処理より優れているというわけでも決してなくて,状況のほうからこちらに求めてくる処理が決まっていたりもするように思う。

 ・・・とここまででタイムアップ!ぶつけた覚えも全くないのに太ももの裏側に巨大なアザ(皮下出血)&腫れが突如出現するなんてことに見舞われている年の瀬,謎すぎる。そしてなんだか忙しい~!

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